《セカイ系》定義論・私論

 私はセカイ系が好きだ。
 しかし、いわゆる《セカイ系》という定義に内容のないことはすでに周知されている。これは前島賢の『セカイ系とは何か』が詳しい。
 そもそも、《セカイ系》の定義である《「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと》という言説じたい、《中間項》という単語の定義をまちがえており、中学生の作文に過ぎない。
 しかし、《セカイ系》らしい作品はたしかに存在する。でなければ、そもそも《セカイ系》という造語が生まれない。そして、私はそれらの作品が大好きなのだ。

 《セカイ系》らしい作品の系列が存在するということは、その特徴を定義できるということだ。
 『セカイ系とは何か』は、最終的に「《セカイ系》を目指した作品が《セカイ系》である」という循環論法で、定義論を棚上げしている。
 ここでは個人的に《セカイ系》らしさというものの定義を試みたい。
 しかし、そうした試みは《セカイ系》と呼ばれる作品の広範さに、ほぼ失敗してきた。
 そのため、まず逆方面のアプローチで「セカイ系らしくない作品と、そのらしくなさの特徴」によって、消極的な定義をおこないたい。

①『機動戦士ガンダム』シリーズ

 少年が巨大ロボットに乗り、戦争の帰趨を決するという筋書き(意味不明だ)の幼稚さは、セカイ系そのものだ。しかし、セカイ系とは真逆のように思える。
 『ガンダム』の荒唐無稽さを指摘するのは、ジェームズ・ボンドの荒唐無稽さを指摘するようなものだ。しかし、その幼稚さゆえに大衆に人気を博し、そのなかでも教育水準の低い人々は「『ガンダム』で国際政治を学んだ」などと言う。哀れなことだ。
 重要なのは、とくにそうした人々が《セカイ系》という言葉を批判的に言いはじめたということだ。そしてセカイ系の嚆矢である『エヴァ』は、『ガンダム』と巨大ロボットへの皮肉がたっぷり詰まっている。
 ここで、ひとつ「大衆性が強いと《セカイ系》らしくない」ということが言えるだろう。

②『少女革命ウテナ

 物語を要約すると、天上ウテナが姫宮アンシーの意識を改革し、それが世界の革命となるというもの。適度な晦渋さもある。また、《世界の果て》という言葉がキーワードになっている。
 が、セカイ系らしくない。
 セカイ系にしては芸術性が高すぎ、前衛的すぎる。そして、その前衛性はフェミニズムが重要な主題である生硬さによるものだ。同監督の『輪るピングドラム』も、寡少な登場人物に対して壮大な展開という、セカイ系らしさを備えるが、前衛性と、地下鉄サリン事件を作品の背景とする社会性があり、やはりセカイ系らしくない。
 ここで、ひとつ「前衛性が強いとセカイ系らしくない」ということが言えるだろう。

③『二重螺旋の悪魔』

 《セカイ系》におおむね共通する「寡少な登場人物に対して壮大な展開」という特徴につき、ハリウッドの大作映画がよく反証に挙げられる。往年のベストセラーである本作は、作者がまさにハリウッドの大作映画を参考にしたと自作解題している。
 主な登場人物は主人公とヒロイン、そして物語の開始直前で死亡した主人公の恋人のみだ。そして、主人公が世界の命運を握る。まさにセカイ系だ。
 が、明らかにセカイ系ではない。
 本作は80%がアクションシーン、20%が科学技術の解説で構成される。
 ここで、ひとつ「純粋な娯楽作品はセカイ系らしくない」ということが言えるだろう。

④『灰羽連盟

 では、セカイ系には文学性、とくに思弁性が必要なのだろうか。あるいは、そうした文学性の強い作品に特有の暗い雰囲気が必要なのだろうか。
 本作は世界から孤絶した片田舎らしい異世界を舞台にして、思春期の少年少女が主人公だ。テーマは骨太で、作品の文学性が強い。
 が、セカイ系らしくはない。
 本作の物語は淡々と進行する。どうやら「娯楽性が弱いとセカイ系らしくない」らしい。
 本作と強い関係にある『Serial experiments lain』も、主人公とヒロインの関係性が世界の命運を決するという文脈においてセカイ系らしいのだが、やはりセカイ系らしくはない。《セカイ系》と呼ぶには『lain』は高踏派すぎる。

 これで、セカイ系の特徴をほぼ言えるだろう。
 「大衆的でなく、前衛的でなく、適度に娯楽性があり、また文学性がある」。

 さらに具体的には、以下のことが言えるだろう。

Ⓐ『STEINS;GATE

 「主人公が大学生だとセカイ系らしくない」。

Ⓑ『魔法少女まどか☆マギカ

 「主人公の意思がはっきりしているとセカイ系らしくない」。ここでは、暁美ほむらを主人公と仮定している。

 以下、上記の特徴を参考に、《セカイ系》と呼ばれる作品を検討する。

①『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

 個人的に『エヴァ』以前のセカイ系の源流だと思うのだが、どうだろう。

 1.芸術性の高い美術。とくに無人の街や廃墟といった背景の題材。
 2.思弁性の強い脚本。
 3.メタ=フィクション性。これは2とも関係する。

 セカイ系らしいではないか。

②『新世紀エヴァンゲリオン

 『エヴァ』に関する百家争鳴の議論の不幸だったことは、そのメッセージ性を問題にしていたことだ。
 第1に、放送直後の侃々諤々の議論があり、これは作品鑑賞の延長だった。第2に、時間をおいてまっとうな批評がなされるはずが、放送直後の余熱が伝播して、作品鑑賞の延長がさらに延長された。
 『エヴァ』は同時期にいくつか放送されたアニメのうちのひとつに過ぎない。放送中は、緒方恵美が『伊集院光 深夜の馬鹿力』のゲストに招かれ、伊集院光緒方恵美をイジリ倒していた。それは最終回の直前だった。そうした事実を忘れた批評は馬鹿げている。

 第1話の導入を確認する。主人公、碇シンジ無人の街に立つ。避難警報。爆風と車両の横転。シンジは基地に連れてゆかれ、訳のわからないまま巨大ロボットに乗ることを命令される。そして、ここまで設定に関する説明はほとんどない。
 面白すぎる
 視聴者に続きを気にならせるために、庵野秀明がどれだけ工夫を重ねたかわかろうというものだ。そして、この設定を小出しにすることでサスペンス性を維持し、視聴者への訴求力を保つストーリーテリングの手法は最終回まで続く。

 仮に、『エヴァ』が第1話から前衛的な映像を展開したとすれば、誰もみなかっただろう。『エヴァ』が人気を博した理由は面白かったということをおいて他にない。
 しかし、馬鹿げたことに、『エヴァ』に関する批評はそうした脚本や映像、美術、音楽をほとんど問題にしてこなかった。そして、彼らが問題にしてきた『エヴァ』のメッセージ性は幼稚なものだった。『エヴァ』のメッセージ性を問題にするのは、『ダークナイト』の《善と悪の対決》を真剣に捉えるのと同じくらい馬鹿げている。

 そして、『エヴァ』についてほとんど問題にされてこなかったことは、「エヴァ』は娯楽作品として面白い」ということだ。

③『ほしのこえ

 むしろセカイ系らしいのは、同監督の『雲の向こう、約束の場所』だろう。
 新海誠の作劇は非常に貧弱だ。そのため、《セカイ系》らしい展開の壮大さに頼った『ほしのこえ』『雲の向こう』以後、新海誠は低迷することになる。他人の脚本家を登用すればいいものを、馬鹿なことだ。

 『君の名は。』の許しがたいのは、「男女の精神転移という設定、じつは精神転移に時間差があったというどんでん返しと、それによる救出劇」というプロットがゲーム『Remember11』を完全に盗用したものであることだ。
 プロットの転用は法的にも道徳的にも問題ないということは理解している。それでも、『Remember11』のファンである私は、本作の流通における不遇と、『君の名は。』の大ヒットの落差をみるたびに、不平等への怒りをおぼえるのだ。

 ともあれ、「ほしのこえ』『雲の向こう』の《セカイ系》らしさで重要なのは、あくまで展開の壮大さ」だということが言える。

④『最終兵器彼女

 『最終兵器彼女』でもっとも面白いのは、それまで普通のラブコメだったにも拘わらず、第2話の終わりで兵器と化したヒロインが降下してきて《最終兵器彼女》という題名が見開きで表示されるところだ。
 残りはクズだ。
 しかも、蛇足にも拘わらず、分厚い単行本で全7巻もある。
 この「メタ=フィクショナルなジャンルスイッチ」が本作の面白さだ。ある種のメタ=フィクション性は設定と展開の壮大さを担保することができるということが言えるだろう。

 ゲーム『ネコっかわいがり!』なども、ジャンルスイッチに力点をおいたセカイ系だ。

⑤『イリヤの空、UFOの夏』

 じつのところ、本作では最終巻の最終章まで世界の命運は問題にならない。あくまで物語の筋書きは、主人公と、軍属の超能力者であるイリヤの逃避行だ。しかも、それまでの物語と最終章はほとんど整合性がない。
 苛酷な逃避行において、イリヤの記憶はどんどん退行してゆき、最終的に主人公の出会いのときまで戻る。そこで、イリヤが最後の記憶を失うと同時に、主人公はイリヤの思いを知る。その哀切さがクライマックスになっている。
 それが最終章ではなんか記憶が戻っている。そして、なんかイリヤが世界の命運を握ることになっている
 最終章を除く筋書きがミリタリーSFとしてリアリスティックなものであることは、前島賢が『セカイ系とは何か』で指摘するとおりだ。
 つまり、本作は「最終章でいきなり《セカイ系》になり、しかも、作者がオチに困った結果でしかない」。その意味で、本作はセカイ系と言いがたい。少なくとも、作者の意図した主題ではない。

⑥『涼宮ハルヒの憂鬱

 いいのか悪いのか、《セカイ系》という言葉が瀰漫した時期の作品で、《「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと》という定義が完全に当てはまる。
 つまるところ、本作は作品の内容からしても、作品の成立した背景からしても、完全な意味で《セカイ系》と言える。

 ともあれ、本作の特徴としていえることは、第1に「面白い」ということだ。そのストーリーテリングの巧みさは、新人賞受賞の講評で強調されている。
 また、そのセカイ系らしさ、《きみとぼく》が《世界》と直結することを担保しているのは、いわゆる青年心理学の、思春期の問題だ。これが、「思春期の少年少女が主人公だとセカイ系らしい」ことの理由ではないだろうか。この青年期に特有の問題を主題とした作品は、文学史おいて19世紀末の「世紀病」にもみることができる。

⑦『ブギーポップ』シリーズ

 じつは題名はミスリーディングで、ブギーポップは物語の終わりに登場して事件を解決するだけだ。そのため、ブギーポップと、そのもうひとつの人格である宮下藤花、その恋人である竹田啓司を主人公ということはできない。つまり、思春期の少年少女が主人公であるということはできない。ただし、ある高校を舞台にした第1巻は、その意味で完全に条件を満たす。
 しかし、シリーズを通してじつにセカイ系らしい。
 「①舞台と登場人物がミニマリズム的で、②世界の危機が問題になり、③さりげない文学性があり、④暗い雰囲気である」という条件を満たせば、かなりセカイ系らしいということが言えるのではないだろうか。秘密結社や超能力が存在すればなおいい。

 思うに、セカイ系とは「設定と展開は壮大であった方が娯楽性においていい」という一方、「壮大さは荒唐無稽さになりやすい」という二律背反に対して、「青年心理学やメタ=フィクション性といった文学性でバランスをとろうとする」ものではないだろうか。そうした文学性は作中の物語に対して外在的なもののため、いきおい、物語は大衆性、通俗性に反して前衛的になりやすい。しかし、純文学的ではない。

 また、その二律背反のアンバランスさが目立つとき、よくも悪くも《セカイ系》らしさは際立つだろう。『機動戦艦ナデシコ』がその好例(批判者にとっては悪例)だ。『少女終末旅行』などは、ミニマリズム的な筋書きと、世界観と主題の壮大さは《セカイ系》らしいが、まったくセカイ系らしくない。それは、本作が作品としてバランスがとれているからだ。

 最後に、《セカイ系》と呼ばれる次の作品の紹介をもって、本論を終えたい。

⑧『Angel Beats!

 待ってほしい。読者の諸賢が何を言いたいのかはわかっている。
 本作は、登場人物は魅力に欠け、ギャグはだだ滑りしており、シリアスな場面は寒く、メッセージ性は幼稚だ。そのメッセージ性すらすべて言葉で説明していて、脚本はクソだ。
 だが、私はこの作品が大好きなのだ
 最終回、感動的な劇伴が流れるとともに感動的な台詞で感動的な場面が展開され、もちろん、私はそれを額面どおりに受けとることはできなかったが、制作者の視聴者を感動させようという意気込みには、ささやかな感動をおぼえた。そして、その場面そのものにも、幾分かは心を動かされたのだ。

 《セカイ系》と称される作品は、その誇大妄想的な設定と展開のために、失敗は惨憺たるものになる。
 しかし、私はウェルメイドな成功作よりは、そうした壮大な失敗作を愛したいのだ。ごめん、嘘。本当は失敗作はみたくない。
 だが、いわゆる《空気系》や《なろう系》の、大きな挑戦心はなく、そのため大きな失敗もないが、大きな成功もない作品が大勢を占める現況において、たまには誇大妄想的な蛮勇をもった作品をみたい気持ちにかられるのだ。

『"文学少女"』シリーズの卓越した構成

 

 野村美月の『"文学少女"』シリーズは全7作(全8巻)、本編完結後に出版された外伝が8作(巻数同じ)の構成だ。
 第1巻および第8巻の後書きによると、本作は野村の持込み企画だったらしい。そして、第7巻の後書きによると、全7作の構成は企画の通りだったらしい。
 実際、本作の全7作はシリーズとしてプロットの結構性がきわめて高いものになっている。また、そのための伏線が比類なく機能している。
 『出版指標年報』2018年版、『出版月報』2019年3月号によると、現下のライトノベルは売上の中心を長期シリーズの続刊に依存しているらしい。しかし、そうして所定の結末を持たないことは、シリーズの全体の品質を低下させるのではないだろうか。
 気まぐれで『"文学少女"』シリーズを再読したところ、その構成と伏線の効果というものをあらためて認識した。
 以下、『"文学少女"』シリーズの卓越したプロットを確認することで、その効果をみたい。当然だが、全面的にネタバレしている。

・第1作『“文学少女”と死にたがりの道化

 初巻。じつは単巻としては、書簡の記述者が竹田千愛であるという、作品の中心であるどんでん返しが見透いていること、作中で大きな比重を占める井上心葉の過去の問題が解決せずに終わるという2点の弱点があり、やや訴求力は弱い。
 心葉の過去は、美少女覆面小説家としてデビューし、ベストセラー作家になったものの、それを契機として恋人である朝倉美羽が飛降り自殺をしたというものだ。ただし、自殺はミスディレクションだったことが第3作でわかる。
 ショックにより心葉は断筆し、呆然自失のうちに歳月を過ごしていた。だが、校庭の木の下で本を食べる上級生、天野遠子を目撃したことにより、彼女の後輩として日々、三題噺を書かされることになった。
 千愛の自殺をとめる、遠子の数頁におよぶ演説が本巻の白眉だ。この長台詞は本当に素晴らしい。高校生の当時から太宰治の作品を実際に読んだためか、再読して感動がより強まった気がした。
 イラストレーターは、ライトノベルでは異例の少女漫画の画調かつ透明水彩の塗りの竹岡美穂によるもので、作品との最高の相乗効果を発揮している。『涼宮ハルヒ』シリーズにおけるいとうのいぢ伏見つかさ作品におけるかんざきひろを上回り、作品に対するイラストレーターの選出としては、ライトノベルで最高のものだ。ライトノベルを「イラストの付いた小説」と定義するなら、この担当編集者はライトノベルの制作に当たり、もっともいい仕事をしたと言える。

 書出しはきわめて秀逸だ。天野遠子がバリバリと本を食べながら蘊蓄を垂れている場面で、抜群の訴求力をもち、さらには遠子のキャラクターと作品の雰囲気が伝わる。さらに、すぐに遠子の心葉に対する「君は薄幸の美少年みたいな外見なのに、どうしてそんなに意地悪なの」という主旨の台詞が続く。この冒頭の数頁で簡単的確な人物描写をおこなう手際は見事と言う他ない。

 天野遠子、井上心葉、竹田千愛、姫倉麻貴、脇役として琴吹ななせ、芥川一詩、回想のみにおいて朝倉美羽が登場。
 遠子は新宿の母に「恋愛大殺界中で、7年後の夏に鮭をくわえた熊の前で白いマフラーを巻いた男性と運命の恋に落ちるまで恋愛できない」と占われたため、恋愛には無縁だと宣言する。これで遠子はいわゆるライトノベルのヒロインながら、恋愛要素からはオミットすると、読者にメタ的にわからせる。が、これが伏線。ライトノベルでもっとも優れた伏線だ。
 登場からななせがツンデレしているが、つまり、第1作の時点ですでに当馬でしかなく、その後も当馬としての役割を果たしつづけたことになる。そう考えると同情する。

・第2作『“文学少女”と飢え渇く幽霊

 本シリーズが単巻完結の作品集の外観をとっていた最後の巻だ。その意味で2巻は最短の長さであり、本シリーズの結構性の高さをしめす。
 後書きによると、執筆に苦労したらしいが、そのためか物語の迫力は第1作に勝る。

 櫻井流人、櫻井叶子が登場。この時点で、最終巻の構図が完全に提示されている。この周到なプロットは見事と言う他ない。
 遠子が彼氏がいるとななせに吹聴し、「恋愛大殺界」の伏線を念押しする。

・第3作『“文学少女”と繋がれた愚者

 一詩が本格的に登場する。
 巻末で一詩の書簡の相手が、本巻の登場人物ではなく美羽だったとわかるどんでん返しがおこる。
 そのため、本巻の物語の訴求力は弱化するが、総合的な効果はそれをはるかに上回る。
 このシリーズ全体において、主人公を好きな少女が黒幕として陰謀を巡らせているという構図は、河野裕の『サクラダリセット』シリーズに直接的な影響を与えた。『サクラダリセット』では第2巻において、その巻の物語がサブヒロインの存在と、シリーズ全体に繋がる。
 「恋愛大殺界」の伏線を念押ししている。

・第4作『“文学少女”と穢名の天使

 一応、ななせが主役だ。
 作者が後書きで美羽の登場を引延ばして申訳ないと一言している。
 しかも、末尾に登場してクリスマスプレゼントの栞を食べてしまう遠子に、ななせの存在感が喰われている。
 伏線として、本巻でさりげなく白いマフラーが登場する。

・第5作『“文学少女”と慟哭の巡礼者

 ついに美羽と最終決着をつける。そして、番外編である次巻を挟み、続巻が最終巻となる。冗長のない見事な構成だ。
 屋上での美羽の慟哭と心葉との対峙の場面は素晴らしい。
 巻末で「天野遠子は存在しない」と述べられ、最終巻への期待と緊張が否応なく高まる。

・第6作『“文学少女”と月花を孕く水妖

 心葉の過去の決着がつく第5作と、最終巻であり遠子の物語が明らかになる第7作とのあいだの緩徐楽章。
 前巻で心葉とななせが完全に恋人として成立したため、遠子との関係をふたたび強調する役割もある。
 一応、麻貴が主役と言える。

 巻末に謎の女性が心葉にレモンパイをつくっている未来が描かれる。この女性が遠子かななせか、初読の当時はやきもきした。本巻で遠子の魅力を強調しつつ、料理をつくっているとなるとななせの蓋然性が高い。読者の多くがやきもきしたのではないだろうか。正体はただの妹だ。

・第7作『“文学少女”と神に臨む作家

 最終巻だ。
 本巻の物語である天野家-櫻井家の謎と真実も完成度が高い。また、この物語を通じて作家としての孤独な道か、ささやかな日常の幸福かという二択が示される。
 余談だが、第5作と本作とも、千愛がここまでトリックスターとして活躍していることを再読するまで忘れていた。自由すぎる。

 シリーズ全体の構成として、心葉が作家として再起するかどうか、遠子とななせのどちらを選ぶのかという選択肢が提示される。つまり、ななせは心葉が作家にならない未来の体現者だ。
 また、本巻まで遠子が探偵役を務めてきたが、本巻では心葉が探偵役を務め、遠子を救う。
 心葉は遠子への愛情を自覚し、その思いが小説の執筆へと駆りたてる。完成した、心葉の2番目の小説の題名は『文学少女』だった。
 原稿を書きあげ、遠子のもとに向かう心葉にななせは「その小説、破って」と言う。ななせがシリーズ全体でもっともカッコいい場面だろう。とはいえ、ななせは選ばれないことは第1作から決まっている。
 このあと、心葉はななせの友人の「森ちゃん」に「ななせをバカにするな」と殴られる。再読して「ホントだよ」と思った。初読のときもまったく同じ感想を抱いた。それはともかく、ななせは脇役(ライトノベルにおけるサブヒロイン)のなかで最高のものだろう。

 原稿を一読した遠子は、「この原稿は食べるわけにはいかない」と宣言する。そして、心葉に別れを告げる。遠子の真意を汲んだ心葉は涙ながらに別れを受けいれ、強引にキスをする。この場面はすばらしくロマンチックだ。
 姉であり、母であり、庇護の対象であり、友人であった遠子が恋人になる。
 本シリーズにおいて各巻で書簡体が使われるが、最後の書簡の記述者は遠子だ。この演出はすばらしく感動的だ。
 そこで、心葉との出会いは偶然ではなく、心葉に第2作を書かせるために、あえて本を食べるところをみせて偶然の出会いを装ったこと、そもそも心葉のデビュー作は遠子が落選原稿のなかから見つけだしたもので、その意味で心葉をデビューさせたのは遠子だったことが語られる。
 これほど結構性の高いプロットは、あらゆる小説においてほとんど類をみない。あえて言うなら、ギャビン・ライアルの『深夜プラス1』だけだろう。このプロットは、小島秀夫の『メタルギアソリッド』のシナリオに直接的な影響を及ぼしている。これらのプロットは、ゴダールが『ゴダール全評論・全発言』第1巻のヒッチコックの評論で、ヒッチコックのプロットは虚構が現実になるものだと述べた評言が当てはまる。
 書簡で遠子は心葉を作家として再起させるため、自身の恋情を殺したことを告白する。また、ここで数巻を跨いだ「恋愛大殺界」の伏線を読者に思いださせる。

 本巻で白いマフラーは遠子-心葉-ななせのあいだを何度も往復するが(デスノートの所有権並みだ)、最終的に心葉の手元にゆく。
 6年後、つまり「恋愛大殺界」の占いから7年後、心葉は作家としての地位を確立していた。真夏に、鮭をくわえた熊のタペストリーの前で、白いマフラーを巻き、新しい担当編集者を迎える。これほど見事な伏線回収は、他に何作もない。

 ライトノベルがあるヒロインを描く小説であると定義するなら、本作はその最高のものだろう。他に比肩しうるのは全4巻の秋山瑞人の『イリヤの空、UFOの夏』だけだ。本作で主人公はヒロインの伊里野と逃避行をおこなうが、その苛酷さに伊里野の記憶は徐々に退行する。そして、逃避行が終着点に達したとき、伊里野の記憶は主人公との出会いのときに遡り、奇しくもそのときの言葉が愛の告白になる。青春の哀歓をノスタルジーのもとに描いた名作だ。が、そのあとに伊里野の記憶が戻って戦闘機で決戦する余計な1章があり、その蛇足が作品の完成度を損ねている。

 本作は驚くべきことに、本編と同量の番外編がある。ライトノベルでは人気のあるシリーズは長期化する。だが、前述のとおり、そのことはシリーズ全体の品質を下げる。そのジレンマを、本作は本編の完結後に番外編を発表するという形式で解決した。
 野村は最終巻の後書きで、番外編では気の向くままに書くことができると心情を吐露している。最終巻で遠子は自身の恋情を殺したと語るが、それは作者の執筆の姿勢とも一致するだろう。もし、全8巻の区切りで緊張感をもって天野遠子という人物が描かれることがなかったら、彼女はこれほど魅力的なヒロインにはならなかった。
 まさに、本作はライトノベルで最高のものである。

つぐみのおっぱいが大きい方がいいと言うプレイヤーは『ガルパ』の文芸的な読解ができていない

 5月27日、アプリゲーム『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』において、公式の告知として《羽沢つぐみの一部のLive2Dキャラクターの胴体部分において、想定と異なる箇所がございましたため、近日中に修正を予定しております。》なることが発表されました。この修正は、つまるところ、つぐみのおっぱいを平坦に変更するものでした。制服の立ち絵では、胸部の影の処理が、美竹蘭および青葉モカから、湊友希那および宇田川巴と同じものになりました。
 この変更につき、ナンセンスとして笑われるユーザー、または不条理として憤られるユーザーがいらっしゃいます。ですが、『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』のシナリオを正確に読解していれば、この変更が無意味でないことは御理解いただけるはずでございます。なぜ、つぐみのおっぱいは平坦でなければならないのか。一介のユーザーごときが語るのは口幅ったいと思われるかもしれませんが、1.氷川紗夜というキャラクターとの関係性 2.羽沢つぐみというキャラクターの人物造型 の2点から解説させていただきたく存じます。

1.氷川紗夜というキャラクターとの関係性
 氷川紗夜と羽沢つぐみの関係性は、2017年10月31日配信のイベントストーリー『ちぐはぐ!?おかしな お菓子教室』を起点にはじまりました。両者の関係性はイベントストーリー、エピソード、ラウンジなどで描かれ、2019年4月10日配信のイベントストーリー『めぐる季節、はじまりの空』では直接、言及される※に至りました。(※「(モカ)去年はあの紗夜さんと真っ先に仲良くなってたしねー」)
 なぜ、この両者が親しくなったのでしょうか。ここで厚顔無恥にも、両者がいわゆるカップリングにおいて余っていたという作外の事情から説明することは可能でございます。しかしながら、そうした外在的な理由は、作中の事情とは無関係でございます。したがって、いずれにせよ作中の事情から説明しなければなりません。
 まず、氷川紗夜というキャラクターの特性から確認致したく存じます。それは、第1に性格描写として規範意識が強く、他者とのコミュニケーションを不得手としていること。第2に人間関係において妹である氷川日菜に劣等感を抱いていること、でございます。これは《Roselia》のバンドストーリー第1章において明確にされています。
 この性格はしばしば作中で他のキャラクターから《真面目》と表現されております。しかしながら、この性格はそうした意識に留まらず、アスペルガー症候群非言語性学習障害と言えるものでございます。なお、フィクションのキャラクターについて自閉症アスペルガー症候群または学習障害として定義することについて、ネガティヴな感想を抱かれる方がいらっしゃいましたら、僭越ながらその偏見について脚下照顧されることを御注進申しあげます。
 このことに関する描写は、とくに《魅惑の手》と《新米タンク》のエピソードが顕著でございます。《魅惑の手》のエピソードにおいて、紗夜は待合せの目的があらかじめ告げられたものとちがうことを知ると、単純に帰ろうとします。《新米タンク》のエピソードでは、オンラインゲームでクエストのマーカーが残っていると不安に感じることを説明しています。冗言ながら、この真摯さと不器用さが氷川紗夜という人物の魅力になっているものと存じます。
 さて、こうした非言語性および非習慣性の物事を理解することが苦手な紗夜において、性的な物事はストレスがかかるであろうことが理解できるのでございます。そのため、紗夜が好意を抱くつぐみが中性的である、ひいてはおっぱいが平坦であることは、『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』を文芸的に読解すれば、ごく当然のことでございます。
 性的な魅力と言語的な合理性が背反することについて、書物を手繰らせていただければ、文芸的にはすでにドゥルーズが『シネマ1』で述べております。いわく《…このリアリズムは純然たる行動イメージの構築のことであり、この純然たる行動イメージは、環境とふるまいとのもうこれしかないといった連関のなかで直接に把握されねばならないものである(自然主義の暴力とはまったく別のタイプの暴力)。それは、欲動イメージを抑圧する行動イメージである。すなわち、その粗暴さと粗末さそのものとその非リアリズムとを通じてあまりにも下品な欲動イメージを抑圧する行動イメージである。…おそらく、或るいくつかの女性の役において、そして或る幾人かの女優達を介して…》※。(※ジル・ドゥルーズ著、財津理・齋藤範訳『シネマ1』p.236)
 余談ではございますが、おっぱいに関する研究として名高いマリリン・ヤーロム著『乳房論』は、痩せた体に大きなおっぱいという体型を魅力的なものとして扱う文化は、後期資本主義に特有のものと断言しております。ここでドゥルーズが『差異と反復』の巻末において、ガタリとの共著である『アンチ・オイディプス』において全面的に後期資本主義の消費社会における常同症と呼ぶべきものを批判していたことを連想いただければ幸いでございます。何も、わたくしは衒学や文学的な虚飾をおこないたいわけではなく、もし大きいおっぱいが無条件に良いものだと見做している方がおられれば、御自身の定見に「御一考を」と申しあげたいのでございます。

2.羽沢つぐみというキャラクターの人物造型
 羽沢つぐみというキャラクターは、公式ホームページのキャラクター紹介では《個性的なメンバーに囲まれた、ごくごく普通の女の子。》と説明されております。このとおり、羽沢つぐみというキャラクターは特性を把握しにくく、不遜を承知で、つぐみの性格を捉えることができていない方におかれましても「御尤も」と同情をしめさせていただきたいのでございます。
 つぐみの性格が顕著となるのは、前述のイベントストーリー『ちぐはぐ!?おかしな お菓子教室』における紗夜との交流でございます。この料理教室を舞台にしたイベントストーリーにおいて、紗夜は非言語性の物事を理解することが不得手であるために、終始、料理の教則にありがちなあいまいさに翻弄されます。そして、つぐみがその紗夜を助けることになります。このイベントストーリーはコメディタッチで、紗夜とつぐみの掛合いはユーモラスなものですが、興味深くもあります。紗夜の奇行の最たるものは、以下のとおりでございます。《「(紗夜)……あ。羽沢さん、定規はありますか?」「(つぐみ)えっ!? 定規、ですかっ!?」「(紗夜)生地を5mmにするので、貸してほしいのですが…」((つぐみ)紗夜さんって、本当に真面目な人なんだ。きっと色々なことに誠実に向き合ってるんだろうな)》。
 さて、平均的な一般人がこうした紗夜の言動を受ければ、聞くに堪えない罵倒をするであろうことは想像に難くありません。心持ちのよい『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』のキャラクターのなかでも、こうして疑義を覚えることすらない人物はつぐみただ1人だけであると存じます。
 つまるところ、つぐみもまた自閉症的な傾向を有するのでございます。つぐみは仕事を抱えすぎてあたふたしているとよく他のキャラクターから言及され、とくに青葉モカからはその様子を《「ツグってる」》と表現されています。ここで、フィクションのキャラクターについて自閉症的な傾向を有することを指摘することについて、悪意にもとづく笑いをされたり、正義感にもとづく憤りをされたりする方におかれましては、それが無知によるものであり、政治的な公正さに反するのみならず、御自身の自己実現をも阻害するであろうことを、衷心よりあらためて申しあげさせていただきます。
 《ごくごく普通の女の子》と表現されるつぐみは、きわめて特異な人格を有しているのでございます。ただし、これにつきましては「《ごくごく普通の女の子》と表現される女の子は普通であるはずがなく、それどころか普通からもっとも遠い人物であるはずだ」という、ごく基礎的な読解ができるものと、恐れながら申しあげさせていただきます。
 さて、こうした特異な人格を有する羽沢つぐみという少女について、美竹蘭や青葉モカのような、『Afterglow』バンドストーリー第2章に象徴される、良きにつけ悪しきにつけ年齢相応の人物として描写すべきか、湊友希那や宇田川巴のような、やや風変りな人物として描写すべきかと言えば、これは一も二もなく後者なのでございます。

 長広舌が過ぎましたが、つぐみのおっぱいが平坦であることは、『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』における文芸の観点からは当然であることがご理解いただけたものと存じます。また、これに反対するプレイヤー諸兄におかれましては、僭越ながら御自身の見識に「御研鑽を」と申しあげたいのでございます。

『いでおろーぐ!』全7巻感想

 椎名十三著『いでおろーぐ!』全7巻が思いがけない佳作だったため、感想をしるす。
 第1巻のおおまかな内容は2つある。第1に、いわゆる「非モテ」による共産主義と、かつての学生運動、現代の共産主義の学生団体のパロディだ。第2に、アンチラブコメのラブコメだ。第1は、ヒロインの領家薫の演説が堂に入っている。毎巻、数ページにおよぶ演説が2箇所はあり、そのいずれも読ませるものだ。かつての学生運動を主題にした文学のパロディも巧妙で、かなり笑わせる。なお、後者についてはほぼ第1巻のみだ。第2は、主人公とヒロインは、恋愛により人間が没個性化し、思考力と行動力を失うことを恐れている。作中の言葉でいえば「生産性を回収される」ことを恐れている。その上で、どう恋愛するかが眼目だ。
 これは各巻およびシリーズ全体を通して一貫している。以下、各巻について記述するが、物語の核心まで触れる。ここまでで気になった読者がいれば、実際に購読することを勧める。全7巻の分量を負担に感じるなら、第1、3、5、7巻の奇数の巻だけでいい。第2、4巻は物語が動かず、しかも、あまり面白くない。第6巻は短編集だ。ただし、第6巻は面白い。

・第1巻

 第21回電撃大賞銀賞受賞作。
 12月24日、クリスマス・イヴ。高校1年生の高砂は、渋谷駅前で学生運動スタイルをして「反恋愛主義」の演説をしている自校の女生徒を見つける。彼女は高所である緑の電車に登って演説していたため、高砂はスカートの中が見えるのではないかという下心で近づく。そうはならなかったものの、高砂は反恋愛主義思想に強い興味を抱くことになる。
 高砂は校内の反恋愛主義団体を探す。しかし、非公然団体であるその団体を見つけることはできなかった。その折、屋上からイチャつくカップルを見つけた高砂は、教化された反恋愛主義精神に則り、「リア充爆発しろ!」と叫ぶ。その声に惹かれ、1人の少女が現れる。彼女こそ件の運動家であり、同級生の領家薫なのだった。
 屋上まで高砂の反恋愛主義運動を糾弾しにきたプチブルリア充たちに、領家は高砂と情事に及ぼうとしているかのように見せかけることで追及をかわす。ただ、領家もそういった行為には照れがあるようだった。
 領家は自身を「反恋愛主義青年同盟部」と名乗り、地上の公然アジトと地下の非公然アジトを案内する。じつのところ、「反恋愛主義青年同盟部」は領家だけの団体だった。その帰り、高砂は1人の幼女、「女児」に呼びとめられる。領家の反恋愛主義思想は、理論が人間の生物学的本能に及ぶと、宇宙人による陰謀論へと捻転する奇妙なものだった。しかし、それは事実だった。「神」を自称する女児により、高砂は領家と恋人になり、彼女を反恋愛主義から転向させることを命令される。
 ここまでがおよそ全体の30%だ。作者の自称するとおり、展開は予想がつかず面白い。ただ、このあと急激に失速する。部員集めに奔走し、レズビアンの西堀、ロリコンの瀬ヶ崎、巨乳で性嫌悪の強い神明という3人の部員を獲得するのだが、これが面白くない。キャラクターの配置と、物語の展開ともに『涼宮ハルヒの憂鬱』に類似していることが、退屈さを増す。
 ただ、この冗筆を除けば面白い。女児は自称するとおり物語の「神」で、作者のような存在だ。女児の後押しもあり、高砂と領家は「リア充の威力偵察」と称し、初詣や休日デートをおこなう。そして、反恋愛主義青年同盟部は「2・14バレンタイン粉砕闘争」に向けて邁進する。しかし、女児の手先である大性欲賛会=生徒会によって、バリケードは突破され、反恋愛主義青年同盟部は敗走する。そして、生徒会に追いつめられ、公然アジトに籠城するなか、領家は高砂にバレンタインチョコを渡し、告白する。
 が、高砂はチョコを窓から捨て、領家を総括する。ここが本巻のクライマックスだ。高砂と領家は、すべての恋人を亡きものとしたあと、最後にたがいの体に刃を突きたてることを誓い、ふたたび反恋愛主義運動に身を投じるのだった。
 最後に、女児が高砂の妹として居候し、領家との関係を後押ししつづけることを宣言する。
 受賞の選評によれば、初稿ではかなりキツい下ネタが多々あったらしく、好奇心をそそられる。

・第2巻

 面白くない。
 公然アジトを失った反恋愛主義青年同盟部は風紀委員会を支配、偽装団体とする。領家は風紀委員長に就任する。奇しくもこのことで、領家は大性欲賛会=生徒会の走狗であり、校内の恋愛至上主義の指導者である生徒会長・宮前に気にいられる(本当に本文中の表記が「生徒会長・宮前」なのだ)。
 風紀委員会として校内の恋愛相談に介入する反恋愛主義青年同盟部だったが… これが面白くない。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のような設定だが、まったく面白くない。にもかかわらず、第4巻までこの設定が使われる。この恋愛相談と、『涼宮ハルヒの憂鬱』か『僕は友達が少ない』のような、リア充への威力偵察と称した種々の活動が、今後の物語の主軸となる。
 物語としては、映研からの恋愛相談に便乗して映画を制作する。また、スキー合宿に参加する。
 一応、領家と高砂が、互い以外の恋人はつくらないことを誓い、否定弁証法的に関係が進展する。
 神明さんに鉄オタという属性がつき、脇役として活躍しはじめる。

・第3巻

 面白い。
 冒頭で領家と宮前が交戦するのだが、ゲバ棒で戦う領家に対し、宮前が自撮り棒を警棒として使っていて笑える。ただし、宮前が自撮り棒を武器にするのはこの場面だけだ。
 新年度になり、新入生のオルグをおこなう。結果、極右の新入生の天沼が入部する。極左と極右で真逆のはずだが、結果として主張は同様のものになってしまうのだ。現代の極左と極右を知るものにとっては笑えるギャグだ。この極右のパロディもなかなかの力作だ。
 反恋愛主義青年同盟部の面々は天沼を歓迎し、非公然アジトまで教えてしまう。ただ1人だけ警戒心を保っていた高砂は、天沼が女児の派遣した大性欲賛会のスパイであることを知る。女児の企みを阻止しようと、高砂は自分も大性欲賛会のスパイだと名乗り、秘密裏に天沼を排除しようとする。が、これは大きな失敗だった。
 素の天沼はいわゆる生意気な後輩系キャラだった。ちなみに、なかなかかわいい。高砂と天沼が2人で行動することに対し、領家は不信感を強める。ついに高砂と天沼がホテルから出てくるところを目撃するにおよび、領家は高砂と絶縁する。なお、生徒会からの三角関係の恋愛相談がサブストーリーになっているが、前述のとおり、これは面白くない。
 反恋愛主義青年同盟部は解散の危機に瀕する。また、高砂は天沼から領家の扱いについて、ただ、いわゆるキープをしておいただけだと批判される。
 しかし、高砂が天沼にいかに自分が領家を愛しているかを熱弁し、それを領家が聞いていたことで、2人の関係はより強固なものとなるのだった。
 じつは女児の計画は、反恋愛主義青年同盟部を解散させることではなく、高砂と領家の仲を進展させることだった。予想はついたとはいえ、こうした筆運びはやはり面白い。なお、高砂の熱烈な告白を聞いて、天沼が絆されるが、最終巻まで出番はほぼない。高砂は天沼を二重スパイに転向させる。

・第4巻

 海水浴と怪談および夏祭りの2本立て。あまり面白くない。
 海水浴では旅館の跡取り娘の縁談を妨害する。前述のとおり、面白くない。反恋愛主義青年同盟部の面々が、スイカ割りに対し、いかに知的に劣後したプチブルリア充といえど、ただ棒でスイカを割るだけのことに遊戯性を感じるはずがないとして、科学的反恋愛主義の精神に則り、スイカ割りのルールを研究するのが笑える。
 怪談はホラーオチ。夏祭りでは高砂と領家が例によって威力偵察と称して花火大会にゆく。

・第5巻

 傑作
 文化祭で反恋愛主義青年同盟部が総決起をおこなう。物語、文章ともに充実していて、前巻までとは質的にも異なる。
 本巻の最終章の題名が『恋愛論とイデオローグ』で、シリーズの総決算とも言える。
 『やはり俺の…』でも文化祭を主題にした第6巻がシリーズ全体で最高傑作と言われることに因縁を感じる。
 反恋愛主義青年同盟部は文化祭を総決起のときと位置づけ、準備をおこなう。しかし、文化祭を目前に生徒会は活動を強化し、ついに地下アジトが摘発されてしまう。
 領家は意気消沈し、また、文化祭によりクラスに溶けこみつつあったことで、議長の辞職を宣言する。そして、後任に高砂を推薦する。それに対し、高砂は議長に就任したらまず領家を除名し、自身も脱会、領家に告白すると宣言する。この率直な言葉に、領家は自己批判し、反恋愛主義の闘士として再生するのだった。
 文化祭で反恋愛主義青年同盟部は活発な活動をおこなう。そして後夜祭、領家は後夜祭企画長という表向きの立場を利用し、狂言誘拐をおこなう。そして、学園を封鎖する。文化祭において鬱屈の溜まっていた非リア充たちが次々に籠城に参加する。バレンタインのときには失敗した学園の封鎖をついに実現したのだ。
 しかし、領家にはただ1つの誤算があった。宮前が立場をこえて領家に友情を感じていたのだ。狂言誘拐を信じる宮前は単身、校舎に突入する。
 キャンプファイヤーの火が赫々と燃えるなか、学生運動スタイルの領家と宮前は屋上で対峙する。領家は戦いを制する。しかし、激闘の末に宮前に正体を知られてしまう。
 もはや領家に希望はない。高砂が首謀者を名乗り、領家を庇おうとするが、逆に領家に庇われてしまう。際限なくたがいを庇う2人を見て、宮前は屋上から絶叫する。「リア充爆発しろ!」。
 宮前は反恋愛主義に転向、その場で高砂と領家に自己批判を要求する。そして領家に反恋愛主義青年同盟部議長の辞任を求める。結果、宮前が議長、領家が書記長の新体制になり、高砂と領家はリア充の偽装という反恋愛主義活動を続けるのだった。

・第6巻

 正規のナンバリングがされているが、短編集だ。ここまで本シリーズの部活動モノの要素を腐してきたが、この巻はけっこう笑える。
・遊園地に威力偵察にゆく。この遊園地が明らかにディズニーランドのことで、ディズニーランドをここまで腐したライトノベルも他にないのではないか。
・女児の観察日記をつける。瀬ヶ崎のヤバさが光る。
・女児が高砂に反恋愛主義を放棄した場合、保持した場合の10年後をみせる。放棄した場合は大学では高砂と領家は甘々な半同棲生活を送り、最終的に結婚する。保持した場合は、高砂は領家と大学進学で別れ、大学では反社会的な学生団体に加盟し、鬱屈した生活を送り、就職にも失敗し日雇いに身をやつす。そして1人で反恋愛主義の街頭演説をおこなう。そこで領家と再会するが、彼女はすでに結婚している。怖すぎる。読んでいて泣きそうになってしまった。高砂も転向しかかる。しかし、領家が大学が別れても離れないし、そもそも同じ大学に進学すると言い、高砂は一瞬で不安をなくす。その様子を見て女児も洗脳を諦めるのだった。
・反恋愛主義青年同盟部で異世界転生モノのリレー小説を書く。ギャグがキレていて、不覚にも爆笑してしまった。

・第7巻

 最終巻。
 宮前の転向により、領家は次期生徒会長に立候補、公的な権力も奪取しようとする。しかし、生徒会長選挙で領家はあっさりと敗北する。そして、新任の生徒会長である佐知川は人権侵害となる非リア充弾圧を開始する。
 そうしたなか、女児が姿を消す。高砂は清々するとともに、一抹の寂しさを感じ、また危機感をおぼえるのだった。
 12月24日、クリスマス・イヴが近づき、新しい生徒会の非リア充弾圧が強まるのに対し、反恋愛主義青年同盟部は為すすべもなかった。
 高砂は大性欲賛会に拉致され、洗脳施設に送られる。そこは、ギャルゲーの世界を再現したような疑似的な町だった。そこで高砂は幼なじみ、同級生、先輩の3人の少女から迫られる。これがムダに長く、320ページほどの本文に対し、60ページもある。読んでいるあいだ、さすがに辟易した。
 だが、クリスマス・イヴに、天沼によって高砂は救出される。天沼は3人が他の男とセックスしていることを暴露する。しかし、高砂は覚醒するどころか無気力になり、反恋愛主義運動を脱退すると言う。だが、クリスマス・イヴに渋谷駅前で演説する領家の姿をふたたび見たとき、一瞬で高砂は復活するのだった。
 ここのところの筆致が見事だ。文中では明記されていないが、洗脳施設の下りはまさにメタ的なラブコメのアンチテーゼだ。主人公に好意を寄せる都合のいい美少女キャラクターという作劇の人工性が浮きぼりにされる。また、それは恋愛そのものの虚構性をも剔抉する。だが、高砂が領家の姿を見たとき、そういったことはすべて問題ではなくなる。そうした外在的なことには関係なく、高砂が領家を愛していることは確かだからだ。
 高砂は反恋愛主義青年同盟部とふたたび合流する。が、学園に向かうと校内は完全に荒廃し、反恋愛主義青年同盟部の支配下にあった。高砂を失った領家が武力闘争路線に転換したらしい。ちなみに、ここのギリギリのギャグはかなり笑える。
 ともあれ、新しい生徒会を弱体化させた反恋愛主義青年同盟部は、終業式に最後の闘争を仕掛ける。高砂と領家は第1巻以来、ふたたび屋上に追いつめられる。また情事に及ぶふりをするが、ここで高砂は領家に告白する。「それに……俺には領家ひとりいればいい。それが分かったんだ」。
 領家は佐知川に正体を明かし、ついに正攻法で生徒会を敗北させる。それは反恋愛主義革命の大きな一歩のはずだった。
 高砂の家に女児が戻る。高砂を失った領家が弱化するどころか、武力闘争路線に転換し、何倍も強靭になることを知った女児は、ふたたび高砂と領家の仲を後押しすることにしたのだった。
 新年を前にして、領家から高砂に初詣の威力偵察の誘いがある。高砂はその問いにどう答えるかじっくり考えるのだった。完。
 最終章の題名は『自己矛盾するイデオローグ』だ。大団円ではないが、アンチラブコメとしては最上の終わりだろう。これはアドルノの否定弁証法だ。マルクス主義の観点からすれば、アルチュセールの重層的決定だし、ドゥルーズの力能だ。椎名十三は時折、文章の端々にインテリらしいところが滲む。物語としては『いでおろーぐ!』は第5巻で決着がついているが、アンチラブコメという主題としては、この巻の解答が理想のものだろう。

『White Album2』の物語の構造分析

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WhiteAlbum2

 『元年春之祭』の陸秋槎が『ミステリマガジン』2019年3月号の寄稿において、影響を受けた作品のなかで、『CROSS†CHANNEL』『キラ☆キラ』『White Album2』の3作を「魂の名作」と評していた。
 いわゆるエロゲの成熟期における代表的なシナリオライター虚淵玄奈須きのこ田中ロミオ丸戸史明、るーすぼーいは現在のアキバ系サブカルチャーに強い影響を及ぼしている。個人的には評価しないが麻枝准もそうだ。
 このなかで丸戸史明はいわゆる作家性より、技術的な水準の高さが際立つ。映画監督でいえばビリー・ワイルダーだろう。名匠と呼ぶのがふさわしい。
 とくに本人の代表作であり、エロゲそのものの代表作である『White Album2』は構成がきわめてロジカルで、技術の粋を極めている。だが、本作は「感動的」と評されるあまり、その技術に注目されることが少ない。
 そこで、本稿では『White Album2』のシナリオを分析し、脚本における技術の重要性を確認する。また、付論として丸戸史明がライターの『パルフェ』のシナリオもみる。両作のネタバレをしているため、注意されたい。
 余談だが、ライトノベルの『冴えない彼女の育て方』において、丸戸史明はこうした脚本上の技術をほとんど使っていない。個人的に残念に思う。

・『パルフェ~ショコラ second brew~』

・あらすじ:八橋大学(事実上の一橋大学)経済学部3年生の高村仁は、半年前、義姉の経営する喫茶店が全焼する不幸に見舞われていた。そこに、近日開店する大型ショッピングモールのテナントに出店できる僥倖が訪れる。仁は義姉、そして店員たちと悪戦苦闘しつつ新店を経営することになる。
・本作の白眉は里伽子ルートだ。夏海里伽子は仁の旧友で、新店には参加しないものの、陰ながら仁を手伝うことになる。
 このルートではどんでん返しがあり、里伽子がじつは利手だった左手が不随になっていたことが明らかになる。件の火事のとき、里伽子は左手の神経を損傷していたのだ。そして『パルフェ』という作品において巧妙にその伏線が張られている。共通ルートにおいては、里伽子が食事をみられたがらないこと、講義ノートをみられたがらないこと、メガネをかけているところをみられたがらないことだ。メガネを着用するのは片手ではコンタクトを嵌めることができないためだ。そして、そのそれぞれで伏線が笑劇として巧みに消化されている。何より、里伽子が頑なに新店を現場で手伝わないことが最大の伏線になっている。里伽子ルートでは、濡場になったときに里伽子は両手を縛らせ、物語の後半からは火傷と称して左手に包帯を巻く。
 そして、どんでん返しがおきたとき、読者は障害のことを隠していた里伽子の憎悪と、それを超える愛情を知る。

《「好きだから、好きだから、大好きだからっ! 仁が、憎いよぉっ!」》

 感動は技術がおこすのだ。

・『White Album2

 作品のコンセプトもすばらしい。『天使のいない12月』のなかむらたけしが原画を務める。作中の季節は一貫して冬だ。デザインは寒色を基調とし、輝度が高く、彩度が低い。音楽はいずれもピアノが際立つものだ。
 本作は三部作で、以下、順番に確認する。

○introductory chapter

エピグラフ:《初めて好きな人が出来た。一生ものの友だちができた。嬉しいことが二つ重なって。その二つの嬉しさが、また、たくさんの嬉しさを連れてきてくれて。夢のように幸せな時間を手に入れたはずなのに……》
 本作は非常にロジカルで、このエピグラフがコンセプトと物語の骨子を要約している。
・導入部は、空港で春希とある少女がある少女を見送っているというものだ。三角関係により、もともと交際していた2人も離別したということが示される。「悲しさのあまり、あなたがわたしを受け入れてるって、最低の思い込み、しちゃうよ?」。
・あらすじ:峰城大学(事実上の慶応大学)付属高校3年生の北原春希は学園祭にバンドで参加する予定だった。しかし、ボーカルの少女を巡る痴情のもつれにより、バンドは解散。春希と親友の飯塚武也だけが残される。
 春希はふとした偶然から、学園のアイドル・小木曽雪菜と知己になり、彼女をボーカルにバンドを再結成しようとする。他のメンバーを募集しようとしたところ、今まで壁ごしに合奏していた人物の正体が、同級生の不良の冬馬かずさであることを知る。春希はかずさを勧誘するが拒絶される。
・序盤に面白みはない。かずさが物語に登場して、ようやく面白くなりはじめる。雪菜が誘いに乗ったのは、春希のことが気になりかけていたからだ。明示されないものの、春希はかずさに片思いしていて、かずさも春希に好意を抱いているらしい。ただし周囲から弧絶しているかずさは、おそらくその思いを告白しない。
 それが、学園祭というきっかけで春希と急接近する。雪菜がかずさの勧誘に成功したとき、「あなたも男の趣味が悪いね」という趣旨のことを言う。ここから学園祭までは王道の三角関係モノのラブコメだ。その後の悲劇が本編の核心である。
・学園祭は無事に成功する。春希たち3人は「このままずっと3人でいよう」と誓う。
・学園祭の直後、音楽室で、春希はかずさのピアノを聴きながら眠ってしまう。目覚めたとき、眼前には雪菜がいた。雪菜から告白され、春希はそれに応じる。『White Album2』はここからはじまると言っていい。
・春希はかずさに雪菜と交際することを告げる。かずさもそのことを承諾する。『White Album2』は三角関係モノでありながら、登場人物たち3人は廉潔で、それぞれ自分の行動にきっちりとケジメをつけている。それが本作を高い完成度たらしめ、また、悲劇性を強めている。
・雪菜とかずさが対話する。「だって、だって… わたし、知ってたんだ。ずっと、知ってたんだよ」。かずさは春希と雪菜の2人が好きだから、(言葉にはしないが春希に気があったことを認めつつ)2人と友人関係を続け、2人の交際を祝福すると言う。
「かずさが…さぁ…っ、かずさが男の子だったらよかったのになぁっ」「そしたら…どうなってたんだろうな」「そしたら…そしたらね…っ、きっとわたし、かずさも春希くんも好きになっちゃって、やっぱり酷い女の子になってたって思う」
 名言である。
12月24日。『White Album2』はきわめてロジカルな構成で、序章、終章とも12月24日と2月14日が転機になるように構成されている。
 春希たち3人は卒業旅行として温泉旅行にゆく。夏に免許をとったかずさが車を出すのだが、このあたりが大変よく書けている。丸戸史明の地力の高さが伺える。
 『White Album2』の登場人物たちは廉潔なので、かずさの同伴している旅行で春希と雪菜が恋人らしくすることはない。春希とかずさは微妙な雰囲気になりかけるが、たがいに否定する。
2月14日。雪菜の誕生日。だが、かずさと連絡がとれない。かずさの自宅にゆくと、母親の冬馬曜子がいて、かずさがオーストリアに転居することを告げられる。その下見のため、かずさは渡墺していたのだ。オーストリアは国際的ピアニストである曜子の実家があり、かずさは母親と復縁するとともに、進路をピアニストに定めたのだった。春希は雪菜を残し、空港までかずさを迎えにゆく。ここからの一連のシークエンスが本章の白眉である。
 春希はかずさを雪菜の誕生日パーティーに参加するように説得するが、かずさは顔を合わせにくいと言って断る。黙って渡墺しようとするかずさを春希は責める。
 それに対し、かずさは悲痛な声で応える。この「そんなのはなぁ………っ、親友の彼氏に言われる台詞じゃないんだよ!」の台詞をスクロールした瞬間、BGMが『After All -綴る想い-』に変わる。この挿入歌は最終章『coda』の場面でも使われる。コーラスはかずさ役の声優であり、物語上の場面はともにかずさが傷ついているところだ。この2つの場面が『White Album2』でもっとも盛りあがるところだ。つまり、雪菜とかずさの二者択一の葛藤が顕在化する場面だ。
 『After All -綴る想い-』そのものも非常な名曲だ。ハ短調の旋律的で力強いピアノの序奏を聴くたびに、かずさの哀切さを想起する。

《「そんなのはなぁ………っ、親友の彼氏に言われる台詞じゃないんだよ!」「っ!?」「あたしの前から先に消えたのはお前だろ!? 勝手に手の届かないとこに行ったのはお前だろ!」「え…」
 ふたたび目を上げると… そこには、俺が零しそうになっていたものが、もう、とめどなく溢れていた。
 信じられないことに、冬馬の瞳から。
「手が届かないくせに、ずっと近くにいろなんて、そんな拷問を思いついたのもお前だろ!」
 冗談でも、なんでもなく… こんな言葉と態度を、冗談でできる奴なんか、この世にいるわけがないって、信じられるくらい。
「なのに、なんであたしが責められなきゃならないんだ…?」
 その震える口からこぼれる言葉と、その歪んだ表情から溢れる感情が、冬馬の叫びと同調していく。
「あんな…毎日、毎日、目の前で、心抉られて… それが全部あたしのせいなのかよ…酷いよ…っ」
 それでも…
「冗談………だよな?」
 俺の口は、相変わらず冬馬の言葉を否定する。
「まだそんなこと言うのかよお前は…」「だって冬馬…お前、俺のことなんかなんとも… 俺だけが、俺だけが勝手に空回りして、 変に諦めきれなくって、情けないなって…」
 だって、否定しなければ… 逆に、今までの俺の決断が全部否定される。
「だから俺…せめて誠実にだけはなろうって。雪菜にも、冬馬にも、嘘だけはつきたくないって」
 ずっと、冬馬のことを想っていたことも。雪菜に、あっという間に惹かれていったことも。
「雪菜が告白してくれた時だって、冗談だろって言いそうになったけど…それでもものすごく真面目に考えた」
 雪菜の歌声に引き寄せられたことも。冬馬の演奏に身を委ねていたことも。
「けど、雪菜のこと、好きか嫌いかなんて聞かれたら、そんなの考えるだけ無駄だろ? 好きに決まってる」
 じゃあ、どっちが一番かなんて聞かれたら、本当は、結論が出てたってことも。
 「そう言ったら、雪菜はまた冗談みたいに喜んでくれた。それで、さすがに本気なんだって、気づいた」
 だけどそんな、自分の勝手な思い込みよりも、思いをぶつけてくれる相手の言葉の方が強くて尊いって、そう信じたことも。
「それでもやっぱり、冬馬にも嘘はつきたくなかった。だから、冬馬には一番に知らせた」
 何も言ってくれなかった相手には、俺の思いは届いてないんだって、そう信じてしまったことも。
「あたしに最初に言うことが誠実なのか…? そんなののどこが誠実なんだ?」「だって冬馬………俺たちのこと、認めてくれるって」「人を傷つける事実を堂々と相手に押しつけて、それで自分は誠実でしたってか?」「傷ついてるなんて知らなかった。だってお前、いつも通りだった…」「そんなの、女の扱い方を何も知らない、つまらない男の無知じゃないか」「そうだよ、俺はそういうつまらない普通の男だよ。冬馬みたいな奴が振り向くはずのない…」「そんな女のこと何も知らない奴が、あたしの想いを勝手に否定するな! あたしがつまらない男を好きになって何が悪い!」「そういうことは最初に言ってくれよ! 俺なんかにわかるわけないだろ!?」「言えるわけないだろ! 雪菜がもう言っちゃったのに… 雪菜を傷つけるってわかってるのに…っ」
 ほら見ろ… お前だって、俺と同じじゃないか。雪菜に対して誠実でいるために、俺に対して誠実でいられなかったじゃないか。》

 

《「北原とあたし、たった今、友達になっちゃったな」
 冬馬が、目元をぐいっと手でぬぐって、もう一度、無理やり卑屈に笑った。
「言いたかったこと、全部言っちゃったな。なんでもわかってる間柄に、なったもんな」「冬馬…」「友だちになった瞬間、絶交だけどな」
 冬馬が一歩、二歩と、後ろに下がる。また、車道に逃げようとする。
「追うな…今度こそ追うなよ? 二度と、あたしの前に顔出すなよ?」
 …俺から、離れていこうとする。
「あたしも今…こんなこと言ってるけど、内心じゃものすごく後悔してるんだからな?」
 だから俺は… 一歩、二歩と、距離を詰める。冬馬を、追い詰める。
「ちょ、ちょっと… 北原、だからやめろって…」
 俺に気を取られていた冬馬は、ガードレールに阻まれ、それ以上後ろに下がれない。だから俺は…
「や、やめ、やめ………やめてよぉ。こんなの、駄目だって…ば…」
 捕まえた。やっと、冬馬を、この腕の中に、捕まえた。
「っ…」「北原…北原ぁ…っ」
 肩を掴み、正面を向かせると、真っ赤に腫れ上がった目と、濡れた頬が、いつもの冬馬と全然違う雰囲気を醸し出していた。》

 イベントCGで2人のキスシーン。美しいものだ。BGMは穏やかなものに変わる。が、かずさは拒絶する。ここでBGMが『氷の刃』に変わる。

《俺の胸と頬を、激しい拒絶の意志が貫いた。
「はっ、はっ、はぁぁ…っ」「と…冬馬…?」
 胸を思い切り突き飛ばされ、次の瞬間には、頬を思い切り引っぱたかれてた。どこまでも明確な、拒絶の意志。
「ふざけるな…ふざけるなよっ」
 もう遅いって。
「冬馬、俺… 俺はお前のことがさぁっ!」
 今の冬馬は、もう俺のことを振り返ったりはしないって。
「なんで…」
 俺なんか、眼中にないんだって…
「なんでそんなに慣れてんだよっ!」「………ぇ?」
 そう、言ってくれればよかったのに…
「雪菜と…何回キスしたんだよ!?」
 なのに、冬馬の口から出た言葉は…
「どこまであたしを置いてきぼりにすれば気が済むんだよ!?」
 信じられないくらいの悲しみが籠った、心からの嫉妬、だった。》

 すごすぎる。かずさが雪菜を裏切ることを受容するか拒絶するかに読者の関心を誘導し、かずさが拒絶し、やはり雪菜への友情が勝ったのだろうと思わせたところに、この台詞をおく。ピアノ曲で言うところの超絶技巧だ。「なんでそんなに慣れてんだよっ!」の台詞そのものも素晴らしい(当然、ここまでで恋人同士になった春希と雪菜は何度もキスしている)。
かずさの渡墺前日。春希は電話でかずさに別れを告げられる。かずさは自分とはもう会うな、雪菜の恋人を全うしろと言う。が、春希は通話の背景音から、かずさは自分の家の門前で電話していることに気づく。対面すると、もはやたがいに自身の恋情を否定できず、2人はセックスする。
 『White Album2』は非常にロジカルで、エロゲーというジャンルにより濡場がかならずあることと、三角関係という主題により、セックスが物語を左右する。春希は規範的な人物で、一般的にはセックスするような流れでも自重する。そのことが本作のロジカルさを高めている(このため、おそらく濡場の数値目標があるために、セックスしたときは何回戦もしている)。
渡墺当日。空港へ向かうゆりかもめの車中で、春希は雪菜に浮気を告白する。それに対し、雪菜は自分がかずさより春希を愛しているわけではないと応える。すなわち、どちらかといえばかずさへの友情のほうが勝っている。それでも春希と恋人になったのは、このままだと春希とかずさが恋人同士になることが明白で、その場合、当然の推移として自分が疎外されるだろうから。自分が先んじて春希の恋人になることで、3人の関係性を維持しようとした。
 ここは台詞回しも巧みだが、正直、春希とかずさだけに《原罪》を負わせないようにするという作為を感じた。さらにいえば、雪菜という存在そのものが、三角関係と浮気という主題を成立させるための作劇上の都合に思われることがままある。
・空港で、雪菜の眼前において、春希とかずさは抱擁を交わす(まさにこの言葉どおりのイベントCGがある)。それは、3人の関係が決定的に破綻したことの象徴だった。そして導入部に戻る。
 この『introductory chapter』だけで10時間ほどの分量があり、内容も十分だ。物語としても単体で完結している。

○closing chapter

・あらすじ:introductory chapterから3年後。春希と雪菜は峰城大学に進学していた。2人は自他ともに認める恋人同士であったものの、事実上は絶縁していた。そして、2人は関係を修復するか、完全に破局するか、どちらとも決めかねていた。
・本稿では雪菜ルートについてのみ記述する。丸戸史明の脚本の執筆は「CC:千晶、小春、麻理、雪菜」「coda:浮気、雪菜、かずさ」の順番だ(

社会に全力で立ち向かいたい人のための,PS3「WHITE ALBUM2」インタビュー。シナリオ・丸戸史明氏,原画・なかむらたけし氏に聞く,その思惑 - 4Gamer.net

)。よって、それぞれ「雪菜ルート」と「かずさEND」を正史としていいだろう。
 本章では春希と雪菜の関係は別れたほうがいいものとして設定されている。そして、千晶はともかく、小春と麻理はかなりかわいく描かれている。しかし、そうして順当に雪菜と別れると、雪菜のいたいけさが引立つようになっている。なお、雪菜ルートそのものは、時間をかけて2人の関係を修復するというもので、率直に言えば退屈だ。
・かずさルートは存在しない。かずさの出番そのものがほとんどない。唯一、かずさルートに進むことができるようにみえる「コンサートに行く」という選択肢があるが、これはただのギミックで、実際には選択できない。そして、春希とかずさがたがいに再会の機会を失ったことも知らず、かずさがもう日本にくることもないと独白し、春希と雪菜の幸福を祈るところだけが描写される。当然、読者は雪菜ルートをクリアしたあとに選択肢が解放されるものと推測し、雪菜ルートのシナリオを進める。だが、そのエンディングののち『coda』の導入部がはじまる。なお、「コンサートに行く」の選択肢のギミックは表示されなくなる。
・この状況につき、序盤で雪菜がもう別れたほうがいいと漏らし、必死に撤回する。このあたりの筆致はさすがだ。
・大学3年生になり、春希は雪菜と距離をおくため、政経学部から文学部に転部している。そして、出版社に就職することを決め、中堅どころの出版社の開桜社の編集部でアルバイトしている。
 ある日、春希にアルバイトながら記者の仕事が与えられる。向上心の強い春希としては、絶対に失敗できない。だが、その記事は新進気鋭のピアニストである冬馬かずさの取材だった。元同級生の縁故でその記事を任されたのだった。
 この構成の結構性がすばらしい。こうして春希はかずさとの過去を反省させられる。
 なお、物語が進むと、学園祭の映像記録のDVDが出てきて、小春、麻理がそれぞれ春希とかずさの過去を知ることになる。この小道具の使用も巧みだ。
・失敗を経て、春希はかずさの特集記事を脱稿する。それは、かずさとの過去を清算したことを意味するはずだった。
12月24日。武也と、同じく旧友の水沢依緒の後押しもあり、春希と雪菜は関係を修復する。春希は件の記事の掲載された雑誌をみせ、過去を清算したことを告げる。そしてホテルに泊まる。3年間交際を続けていながら、ここまで2人に肉体関係はない。前述のとおりのロジカルさだ。
 だが、セックスに及ぶ直前で雪菜は豹変する。
 以下の台詞からBGMが『氷の刃』に変わる。

《「もう、正直に言っちゃうね」
 ホテルに入るまでの、堂々と俺に身体を預けた雪菜とは違う。
「春希くんが本当のこと話してくれないから、わたし、切れちゃうね」
 赤く腫れた目で、ようやく俺を正面から見据え、もう、何もかも諦めたように、堂々と俺を否定する。
「わたしね、この記事、もう何十回も読んだんだ。読むたびに、笑って、泣いて…」「心と身体の両方が痛くて、たまらなくて… 自分を抱きしめたまま、眠れない夜を過ごしたよ」「だって…言ってること何も変わってないんだもん。かずさを追い続けてた、あの頃の春希くんと」
「何を… そんなこと、あるわけ…」
 論破、しないと。抱きしめて誤魔化せない俺だから。言葉を連ねて言い負かすことだけは得意な俺だから。
「俺、あいつを利用したんだ。売り渡したんだ。ただウケ狙いで、悪口ばかり面白おかしく書き殴って…」「こんなに愛が籠もってるのに? かずさへの気持ちが滲み出てるのに!?」「………」
 …なのに、たった一言で、黙らされてしまう。
「そうだよね、春希くんはかずさのこと、いつも悪く言ってた」「照れくさそうに、自慢げに、まるで自分のことみたいに…」「最初は悪口ばかりだけど、そのうち一生懸命庇い始めて、でも、最後は余計なお説教で照れ隠し」「これは、この文章はさぁ…あの頃の春希くんの言葉そのままだよ…っ」
「ぁ…ぅ」
 否定する言葉が頭に浮かんでも、口が否定してしまう。
「こんな想いを込めたラブレター見せつけられて、わたし、どうやって納得すればいいの…?」
 全然、そんなつもりじゃないんだ。ただ、採用されればいいって。ちょっと誇張して、下手をすれば捏造までして、自分の評価さえ上がればそれでいいって。かずさへの想いなんか何も関係なく、ただネタ的に美味しいものを並べただけで。
「嘘つき」「っ…」「春希くんの、嘘つき」「ぁ…ぁ」「嘘つき…嘘つき嘘つき嘘つき…っ」
 そんな… 俺が頭の中でついた嘘まで、勝手に見抜かないでくれよ…》

 本章の白眉である。ここまでが共通ルートだ。
・この後、春希と雪菜は時間をかけて関係を修復する。この微温的な展開は独白で自虐までされている。
・雪菜をライバル視する柳原朋の計略で、雪菜はバレンタインイベントのステージに立つことになる。なお、朋は『introductory chapter』の冒頭でバンドが解散するきっかけをつくった人物だ。じつに構成にムダがない。3年前から歌を忌避していた雪菜だったが、春希の助けで回復する。そして2月14日。春希のギターの伴奏で雪菜は歌う。それは、3年前の学園祭でのバンドに対し、3人からかずさがいなくなったことを、2人が認める儀式でもあった。
 こうして名実ともに恋人同士になった2人はセックスする。
・そして2年後の12月24日、春希はストラスブールにいた。春希は無事に開桜社に就職していた。仕事の都合で海外出張したついでに、春希と雪菜は婚前旅行することにしたのだ。そして、この日、春希は雪菜に正式にプロポーズすることに決めていた。街頭で春希は自分の名前を呼ばれる。だが、その声の主は雪菜ではなくかずさだった…

○coda

・事実上の本編。上掲の記事によると、『君が望む永遠』は二部構成で、第1部の終結部における転調が全体の構成の要になっているが、本作ではそれが第2部の終結部にある。元は『White Album chapter』という題名だったらしい。
・前述のとおりかずさENDが正史だ。
 三角関係モノときいて、まず思いつく最悪の展開は、2人のヒロインが掴みあいの喧嘩、いわゆるキャットファイトをして、事後に和解することだろう。雪菜ENDではそれをする。その場面がはじまったとき、かなり鼻白んだ。とはいえ、こうした総花的な結末も読者が期待するもので、なければまた不満を覚えただろう。物語の大枠としては、かずさが視野を広げ、二者関係に留まらない社会性を身につける。そして春希と雪菜を祝福する。その過程で3人が共同作業し、5年前の再演をするというものだ。正直なところ、予定調和的なシナリオで、あってもなくてもどちらでもいい。
・『introductory chapter』と『closing chapter』では12月24日と2月14日が転機になっている。本章は導入部が12月24日で、物語上はかずさの2度の日本公演が転機になっている。
・導入部で、かずさが足を怪我しているというのが巧みだ。春希とかずさは即座に距離をおこうとするが、その外的な事情により、やむなく密接な関係をもつことになる。
・かずさの日本公演が決まる。そして、曜子の差配で、かずさは春希の隣室に転居する。かずさはもともと生活力がないことに加え、日本で実力以上の注目を集めていたことにより、精神的に衰弱していた。そのため、やむなく春希がかずさに親身になる。
 余談だが、曜子のモデルは内田光子だろう。個人的には、端正な演奏でもピリスは好きだが、内田光子はそこまでわからない。無論、きわめて高い水準にあることはわかる。要するに、私は感受性に欠けているのだ。しかし、そのほうがアーティキュレーションに注目することができるはずだ。その姿勢は本稿でも活きていると思っている。
・春希とかずさはどうしようもなく愛情が再燃していた。だが、2人はあくまで雪菜への義理を守り、廉潔であろうとする。
 かずさの日本公演の前日。取材の一環で、2人は峰城大学付属高校にゆく。そして、そこでかずさは5年前、学園祭のあと、雪菜が春希にキスした場面を再現しようとする。だが、その場面をかずさがみることはできなかった。だとすると、その場面をみたのはかずさではなく…
 次の台詞からBGMが『After All -綴る想い-』に変わる。前述のとおり、ここが『White Album2』でもっとも盛りあがる場面の1つだ。Leafのアンケートによると、次の台詞が本作でもっとも人気があるらしい。

《「あたしが、先だった… 先だったんだ」「かず、さ…っ」
 かずさの手のひらが、俺の頬に触れる。もしかしたら、これも五年前の再現なのかもしれなくて。…俺が目覚める、ほんの数分前の。
「キスしたのも、抱きあったのも。…そいつのこと好きになったのも」「~~~っ」「卑怯な真似だって… 許されることじゃないってわかってた」
 かずさの吐息が、一声ずつ俺に触れる。
「でも、告白なんてできる訳がなかった。あの時のあたしは、あたしですら大嫌いな奴だったから、そいつが好きになってくれるわけないって思ってた」
 かずさの唇が、俺の唇と触れそうなくらいまで近づいてくる。
「だから、そんな自分にふさわしい最低の真似をした。そこまで切羽詰ってたんだ。苦しかったんだ」
 もう、俺の視界の中にかずさの表情が収まりきらなくなっていた。
「…誰にも、奪われたくなかったんだ」
 かずさの身体から、甘い匂いがする。かずさが甘党だからとか、そんな色気のない話では逃げ切れないほどの、心の底まで揺さぶる香りだった。
「でも、その日のうちに雪菜に奪われた。何もかも、雪菜に持っていかれた」
 かずさの声が、胸に響く。甘い匂いとは対照的な、顔をしかめたくなるくらい痛々しい言葉とともに。
「だって、思わないって。あたしみたいな変な女が他にもいるなんて…」
 あまりにも、痛かった。その言葉が、立ち振る舞いが、五年前と何も変わっていないって、俺に勘違いさせることが。
「あんないい奴が、あんないい女が… あんなに悪趣味だなんて、そんなの誰がわかるんだよ…」
 五年前の、かずさの慟哭も… 熱さも、冷たさも、悲しさも、痛々しさも、あの別れの夜から何一つ劣化していないって、俺に勘違いさせることだ。
「春希、春希ぃ…」「やめ…ろよ」
 触れてしまいそうなほど目の前のかずさの瞳が、ゆっくりと潤んでくるのを見てしまった俺は、自分もそうなっているかのような声を上げた。
「からかってんだろ? 俺に仕返ししてんだろ? そうだろ…そうだって言ってくれ」
 悲しかったから。俺の、進んでしまった時間と、かずさの、停滞した時間との間に、こんなにも決定的な乖離が生まれていることが。乖離…してるはずだ。
「冗談だと…思うか? ここまで言っても、冗談だって笑うのか? 春希」「俺が笑えるわけないだろ… だから頼む、お前の方から笑ってくれよ」「っ…」
 瞬間… かずさの潤んだ瞳から、ゆっくりと雫が伝った。
「お前が笑ってくれないと、俺、どうしていいかわかんないよ…っ」「どうすることもできないくせに、今さらどうしようもできないのに、わかんないとか軽々しく言うな…っ」「ならお前も今さらなこと軽々しく言うな! 今日が最後だって言うなら墓まで持ってけよ!」「………っ、春希… 春希、春希…酷い、よ」「酷いのは… 酷いのは、お前の… かずさ…お前の方が…」》

 そして、2人はキスをする。

《「………ごめんな、春希」「え…」
 けれど、触れたのはほんの一瞬だった。
「駄目だよな…ほんと、全然駄目だよな、あたし」「かずさ…?」
 俺の肩に手を置いたまま、かずさがゆっくりと距離を取る。
「そうだよ、冗談だよ。からかってたんだよ。春希に、仕返ししたんだよ」
 今さら言ったって遅すぎる… 誰も信じない言い訳とともに。
「その証拠にさ… はは、あははっ、笑ってるだろ? あたし」
 目を真っ赤にして、けれど多分、その微笑みだけは心の底から。
「だから、ほら、これで最後の取材も終わり。…お疲れさまでした」
 俺に対する強がりと、雪菜に対する気遣いと。かずさ自身の、本当に、本当に小さな願いが満たされたという喜びとともに。》

 ロジックの粋である。
日本公演当日。自分の自制心に自信のなくなった春希は、ケジメをつけるため、コンサートに出席せず、仕事で大阪に出張している雪菜のもとにゆく。
 だが、結果、かずさの公演は表面上は無事に終わったものの、批評的には酷評されることとなる。
・かずさは失踪する。また、曜子は音信不通になる。春希はかずさのかつての生家でかずさを発見する。売家になった、かつての生家に不法侵入したかずさは手を負傷していた。
 かずさを責める春希に、かずさはコンサートにこなかったことを非難する。かずさはそのコンサートで春希への愛情を諦めようとしていたのだ。ここでのBGMは『氷の刃』だ。「どうして思わせぶりなことばかり言ったんだ。どうしてあたしのこと… 嫌ってないみたいな態度取ったんだ」「嫌ってないからだよ! 決まってるだろ!」「嫌ってないくらいであたしの心を乱すな! あんな、期待させるような、手を伸ばせば届くって錯覚させるような…」。「なのに、いつも最後の最後でするりと逃げて… あんな痛くて苦しい拷問、耐えられるわけないだろ…」。「お前に聴かせるためだけに帰ってきたのに… 最後に、最高の演奏を聴かせて、今度こそ、諦めるはずだったのに」。「なのにお前は来なくて、あたしは最低の演奏をして、今度こそ、何もかも失った」。
 自暴自棄になるかずさを春希は必死でとめる。それに対して、かずさは憎悪とともに愛情を告白する。
 それに対し、春希はあくまで雪菜への義理を守り、かずさを拒絶する。実際のところ、春希は雪菜よりかずさへの愛情のほうが勝っているから、たとえ仮初めのことでもかずさを愛することはできない。また、それは最終的に雪菜を大事に思っているかずさをも傷つけることになる。このロジックはすばらしい。なお、ここでかずさを受容し、セックスすると浮気ENDになる。
・曜子が音信不通になったことの真相が明らかになる。曜子は白血病に罹患していた。そして、死地として日本に永住することを決めていた。また、かずさに親元を離れて独立することを望んでいた。日本公演はそのための試金石だった。さらに、この機会に春希との関係を清算させようとした。しかし、逆に2人の愛情が再燃してしまった。
 かずさが唯一の肉親と社会との関係を失う。新進気鋭のピアニストであるかずさは、対人関係がまったくできず、母親が死ねば、ただの生活能力のない無職になる。
 曜子に依頼され、かずさの追加公演までに、春希は曜子とともにかずさを精神的に自立させようとする。また、かずさの手の負傷が回復するまで、生活を支えることになる。
 『closing chapter』の雪菜ルートを経て、また婚約し、読者はもはや雪菜と離別できないことをわかっている。規範意識の強い春希においてはなおさらだ。それでもなお、春希はかずさを選択する。
・ここから、雪菜と離別し、会社を退職し、友人たちと絶縁し、小木曽家の人びとに謝罪する。しかも、編集部の同僚、友人たち、小木曽家の人びとがみな善人なのだ。そして、ここまでの物語で春希は彼らと信頼関係を築いてきた。三角関係という主題で、主人公を規範的な性格に設定したことの効果が、ここで最大限に発揮される。ここが『White Album2』でもっとも胃が痛い場面で、作品そのものがそう評価される所以だ。
・友人たちに絶縁を覚悟して事情を話す。朋がかずさを不潔だともっともな非難をし、春希は肉体関係はないと弁解する。それに対する依緒の台詞が冴えている。「………なにそれ、最低」「寝てもいないのに、何もしてないのに、取り返しがつかなくなった訳でも、重いもの背負った訳でもないのに…」「ただ、彼女を愛してるからって理由だけで、雪菜を、切り捨てるの…?」「じゃあ、雪菜はなんだったの? 心と身体の両方の繋がりをあわせても、彼女との心の絆に敵わないって言われたんだよ?」。「これだけ周囲をボロボロに壊して、自分たちはプラトニックですって…」「最低の純愛だね。吐き気がする」。「雪菜は色々ないからいいんだ? 一人ぼっちじゃないから捨ててもいいんだ?」「そんなこと言ってないだろ!」「言ってるよ春希… 雪菜は自分がいなくても一人じゃないから、可哀想じゃないから捨ててもいいって、言ってるよ…」。「痛いだろ? 春希」「でもな、春希… 雪菜は…あんたに捨てられた雪菜はこんなもんじゃ…」。
 だが、武也が朋と依緒を制する。「………帰れ、お前ら」「春希を説得する気がないなら帰れ。ただ言い負かしたいだけなら、もう二度と会うな」「もう諦めろ。というか、お前らもう諦めてるじゃないか。いらねぇよこの場に」。名場面だ。結局、春希は親友である武也にだけ曜子の死病のことを話す。武也は春希がかずさを選択したことを諦める。そして、春希は親友をも失うのだった。
・小木曽家の人びとに婚約破棄のことを告げ、謝罪する。5年に及ぶ交際で家族同然の関係になっていただけに、小木曽家の人びとの怒りと悲しみは大きなものだった。だが、愁嘆場に雪菜が飛びこみ、春希を責めるなと言う。そして、もはや自分たち3人の問題であり、他の誰にも口出しさせないと言う。
追加公演前日。とうとうかずさは雪菜と対面する。そして、2人だけで話をつけようとする。雪菜はショックで統合失調症の前駆症状を発症していた。症状の悪化で会社を強制的に休職させられてまでもいた。それでもときおり鋭さをみせ、かずさと対話する。「そんなことある。あなたはたくさんのものを持ってるよ」「ピアノに、賞に、女性としての魅力。それに、それに…」「愛する、人」「全部、かずさが持ってる」「いつの間にか、かずさのものになってる…」。「…あなたの求めてる春希くんは、本当に、今ここにいる春希くんなのかなぁ」「ずっと会えなかった五年間のうちにかずさが作り上げた理想の存在… アイドル、なんじゃないの?」「わたしはずっと、本当の春希くんを知ってる」「三年間、ずっと遠くから見てきた。二年間、ずっと側で見てきた」「かずさの気持ちが変わらなくても、春希くんは変わってしまったんだって、どうして思えないのかなぁ」「あたしの想いが、嘘だって… ただの思い込みだって言うのかよ…?」「じゃあかずさは、春希くんの欠点をどれだけ知ってる?」「わたしは、嫌なところも駄目なところも沢山知ってる。それ以上に、いいところも、素敵なところも、数え切れないくらい知ってる」「かずさが五年間、ずっと夢の中で描いてきた春希くんなんかとは違う… 本物…なの」「たとえあたしの五年間が全部夢だったとしても、それでもあたしはこの数日間、現実と戦ったんだ…」「そしてあたしは… 理想と現実とのギャップに、押し潰されたりしなかったんだ」。
 あくまで話をつけようとするかずさに対し、雪菜は精神病を理由に、何を言ってもムダだと応じる。そして、このまま壊れて、かずさより助けを必要とすれば、春希の気持ちをとり戻すことができると言う。かずさは、それは春希とかずさを苦しめるだけだと言う。そして、もしそうなっても、もはやかずさは雪菜のために春希を諦めることはないと宣言する。
 かずさは自分にはピアノと春希しかないと言い、春希をとった償いのために、ピアノは捨てると言う。そして、卓上のコップを割り、自分の指に叩きつける。この場面にはイベントCGがある。感極まる場面だ。かずさは春希を奪ったという《原罪》を負っているわけだが、ここで春希への愛情が自分の生命と等価であることを端的に示す。そして、贖罪が果たされる。きわめてロジカルだ。
・春希はかずさと雪菜が対面したことを知る。そして、かずさの指は無事なままだった。指が傷つく直前、雪菜が庇っていたのだった。雪菜はかずさを憎みきることができなかった。また、そのことに自分でも混乱して、その場を離れる。呆然自失のうちに、雪菜は交通事故に遭う。
追加公演当日。コンサートの直前、依緒から春希に雪菜が失踪したという緊急の電話連絡がくる。春希は雪菜を探しにゆく。
 春希は雪菜を発見する。雪菜はふたたびかずさのコンサートを妨害したことを謝る。だが、春希はそれを否定する。かずさのコンサートは大きな成功をおさめていた。春希はもう状況に関わらずかずさを愛しつづけることを誓い、かずさもそのことを認めていた。そのため、もはや春希の不在はかずさの障害とはならなかった。
 ここにおいて本作の三角関係という主題が昇華される。つまり、本作において愛は一貫してネガティヴなものとして描かれていた。雪菜への愛は義務感によるもので、かずさへの愛は罪悪感をともなうものだ。それが、この場面において愛が奪うものから与えるものへと逆転した。このため、やはりかずさENDが本作の正史である。
 「なぁ、春希」「ん?」「あたしはさ、これからもピアノ以外は何もできないかもしれない。…ううん、多分その可能性が一番高いと思う」「何を今さら」「金銭感覚がなくて、家事もできなくて、もしかしたらピアノで金を稼ぐこともできなくなって、お前に地獄を見せてしまうかもしれない」「織り込み済みだよ、そんなの」「お前はあたしのために無理して、体を壊して、長生きなんかできないかもしれない」「お前なぁ… 今からそんな縁起でもないこと考えてたって」「けどさ…たった一つだけ、絶対に保証する未来がある。…お前が死んだら、あたしはすぐに後を追う」。
・春希とかずさは渡墺する。機上で春希はギターの処分を忘れたことに気づく。ギターは雪菜に捧げたもののため、オーストリアに持ってゆくことはできなかった。
・エピローグ。2年後、すでに春希とかずさは入籍していた。曜子からオンラインでメッセージが届く。添付されていた動画には、朋、依緒、武也、そして雪菜が映っていた。そして、雪菜は春希の残したギターで弾語りを披露するのだった。
 大団円である。

 いかがだったろうか。感動的と評される本作が、きわめてロジカルに構成されていることがお分かりいただけたと思う。
 ただ、本作にもただ1つだけ難点がある。それは多大な分量だ。プレイ時間が60-80時間ある。いわゆるエロゲが衰退した理由に制作コストとユーザーの時間コストの上昇がある。他のハードに移植するときの通例として、本作にもシナリオが追加されているが、作品の品質そのものには逆作用しているだろう。2011年発売の本作はエロゲの成熟期から衰退期の半ばに位置するが、その観点において、本作はエロゲの可能な品質の臨界点に達している。

『ラーメン才遊記』全話レビュー

 ついでなので『才遊記』の内容もまとめる。全11巻なので、この記事で内容を確認しようとしているひとがいるなら、実際に読んだほうが早いです。

○第1巻「フムフムとワクワク」

・第1-3杯:汐見ゆとり登場。初めてラーメンを食べたのが半年前というが、奇しくも「ワクワク」というラーメンの本質を悟っていた。
・第4-6杯:廃業寸前のラーメン屋を再建。「今回、俺がやったことは、一日二日で終わるちょっとした工夫だ。なのになぜ、あの老夫婦は長年、何もしないでいた?」「能無しの怠け者だからだよ。」
 芹沢さんが『才遊記』で初のゲス顔を披露。
・第7杯:汐見ようこ登場。ここのやりとりが最高。
・第8-9杯:ようこの弟子と背脂ラーメン対決。

○第2巻「奥様は食いしん坊」

・第10杯:承前。「ギトギトの背脂ラーメンにおいてスープは強すぎたり複雑であったりしては逆効果。しっかり塩の効いたシンプル味のスープのほうが、背脂のコッテリ感と甘味と引き立ててくれる…」
・第11-14杯:女性向けラーメン店の改装で夏川と対決。女性向けラーメンの本旨は『発見伝』で既出。(でも… あいつに何が劣ってたって、一番劣ってたのは…)(お客のことを第一に考えられなかったことだ。店への復帰がかかった仕事だからって、自分のことばかり考えてた…)というエピローグもいい。
・第15-18杯:相川くん登場。ネット上で有名な「「やる」というクライアントに、「やるな」という助言だけはしてはならないのだ。」の回。相川くんは46万円、飲食店勤務未経験でラーメン屋を開業しようとした無茶なクライアントなので、あまり須田くんのことを責めないでください… 芹沢さんは昼間だけの店舗レンタルで解決。
 グリストラップの詰まりのトラブルが発生。勉強になる。

○第3巻「ラーメン完食街」

・第19杯:承前。
・第20-24杯:ニューウェーブ系ラーメンの現状。武田さん再登場。「食事満足度」の低さが致命的となり、ニューウェーブ系ラーメンはブームを過ぎると絶滅の危機に陥る。生存競争で残留したのはそのことに気づいた店だけ。そして現在、ラーメンのブームは爆食ワイルド系ラーメンと濃厚豚骨魚介系つけ麺の2つだという話。
 咀嚼の必要な具を足すことで、原価はさほど上げずに満腹感… つまり「食事満足度」を改善する。
 「あの頃、私は中原さんのことが大嫌いでしたよ」。かつてニューウェーブ系ラーメンの両雄であった芹沢と中原だが、芹沢は紛いものの「鮎の煮干しの濃口らあめん」を看板にしている一方で、中原は自分の理想のラーメンを実現していた。しかし、それは過去形で、いつしか中原は時代遅れのラーメン職人になっていった。「でも、また、中原さんのことが嫌いになりそうですよ。」。これに対するゆとりの反応が爆笑もの。
・第25-27杯:エレベーターなしビルの4階という最悪のテナントのラーメン屋を改装。居酒屋に業態変更する抜本的解決策で対応。

○第4巻「模擬コンペ開始!」

・第28-32杯:後継者探し。外れの後継者候補のラーメンマニアが『発見伝』の知識で店を経営しようとしているのがウケる。
・第33-35杯:難波の初登場。つけ麺専門店の改装でコンペ勝負。つけ麺専門店の過当競争の立地において、最高品質のつけ麺の新メニューを考案したゆとりに対し、難波はラーメン屋に変更することを提案。ゆとりは勝負に勝って試合に負けるのだった。
・第36-37杯:シメのラーメンの話。『発見伝』で既出。

○第5巻「魔のテナント」

・第38-41杯:『楽麺亭』チェーンの蒲生社長の再登場。難波とボリューム系ラーメンの新メニュー考案で対決。ボリューム系ラーメンの客層である若い男性は味覚が未熟というセオリーに則り、あえて単調な味付けのメニューを考案した難波に対し、きっちりと味わいに変化のあるメニューを考案したゆとり。外食・中食・家庭料理の発達で、若い男性の味覚も成熟しつつあるとして、ゆとりは雪辱を果たすのだった。
・第42-44杯:国道沿いにある「魔のテナント」。その正体は坂道による視認性の低さだった。競合店はポール看板を出すことでその難点を克服していたのだった。安価な野立ての看板を国道の上り・下りの両方に設置することで解決。
第45-47杯:B級グルメの開発の依頼。各地でB級グルメが開発されては失敗していることの理由。いくら地元の名産を使い、どれだけ美味しい料理を作ろうとも、町興しのために人工的に作りだされた料理など誰も見向きはしない。それはただの創作料理であり、そのためにわざわざ都心から地方にまで出向く人間はいない。B級グルメとして成功しているのは、昔から地元のひとびとに愛され、生きのこってきた料理だけ。

○第6巻「なでしこラーメン選手権開幕!」

 この巻からなでしこラーメン選手権編になる。いろいろ面白かったフード・コンサルタントの話も本巻でほぼ打止めです。

・第48-49杯:夏川さんが変な男に引っかかる。
・第50-52杯:「要するに油そばは、将来性あるボロいメニューなんだよ」。高品質で原価率の高い創作系ラーメンは売れず、爆食ワイルド系ラーメンと濃厚豚骨魚介系つけ麺の店は売れる。油そばはその上をゆく。シビアなビジネスの話。
・第53-57杯:なでしこラーメン選手権予選編1。麻琴の初登場。

○第7巻「「ワクワク」の正体」

・第58-59杯:ゆとりが麻琴の店に弟子入り。
・第60杯:「1000円の壁」。高級蕎麦屋ではせいろ1枚が1000円を超すことは珍しくないが、それ以上の品質と原価率を持ちながら、ラーメン屋で1000円以上の値付けをすると、途端に売上が落ちる。
・第61杯:「ワクワク」の正体。結局、答えの見つからなかったゆとりは、麻琴のラーメンの欠陥だと思われた味の不調和を解消する。だが、それでむしろ「ワクワク」感は損なわれた。「料理はバランスですが…」「ラーメンはアンバランス! それが「ワクワク」の正体です!」。納得感がある。
・第62-66杯:なでしこラーメン選手権予選編2。
・第67杯:なでしこラーメン選手権予選編3。

○第8巻「新東名ラーメン・バトル!!」

・第68-69杯:承前。
・第70-71杯:「金の介在しない仕事は絶対に無責任なものになる。」の回。3Kのラーメン業界はなんだかんだで世間的に地位が低く、人材難であるという話。
・第72-77杯:なでしこラーメン選手権準決勝編1。

○第9巻「狙われた『らあめん清流房』」

・第78-79杯:なでしこラーメン選手権準決勝編2。
・第80-83杯:「お客様は神様などではありません。」「お客様とは… 人間です」。店内環境の話。『発見伝』で既出。
・第84-87杯:『才遊記』の白眉。競合しない大手チェーン店の近隣に出店し、マーケティング費用を節減するとともに、外食ローテーションにフリーライダーする「コバンザメ戦略」に対し、競合するチェーン店に同品質で低価格の商品で出店し、商圏の奪取を狙う「カッコウ戦略」。「らあめん清流房」はその標的にされてしまう。なんと、実質的に鮎の煮干しが寄与していない「鮎の煮干しの濃口らあめん」と同じ味のラーメンを、鮎の煮干しを使わずに低価格で出品しているのだ。『発見伝』からの読者にとっては、まさに固唾を呑む展開。
 「芹沢達也の手がける店は全滅させないと、私の気が済まないものでね。」。かつて芹沢の部下だった安本は優秀で、「鮎の煮干しの濃口らあめん」の欺瞞に気づいていた。「淡口らあめん」がお荷物メニューであることを指摘、撤廃することを提案するが、そこで芹沢に「濃口らあめん」の真実を聞かされる。「冷徹なリアリストに見えて、実はビジネスという鎧で理想を守ってるロマンチストなんですね」。これほど的確な芹沢評は他にあるだろうか。
 つまるところ、安本は芹沢の最高の理解者だったが、理想だけは理解しなかった。鮎の煮干しを使わずに、横流しして裏金をプール。その金が現在の「カッコウ戦略」の資金になっている。つまり、芹沢は「濃口らあめん」に関わる自身のダークサイドと対決することになる。

○第10巻「「選手権」決勝戦スタート!!」

・第88-89杯:承前。「いいものなら売れるなどというナイーヴな考え方は捨てろ」の出典。芹沢はきちんと鮎の煮干しの活きた「濃口らあめん・解」のレシピを引っぱりだす。アンテナショップの「麺屋せりざわ」は、その商品開発のために設立されたという事情も明らかに。「芹沢達也、孤高の原点… これに固執する気持ちも分かる…」「『らあめん清流房』とともに、この「淡口らあめん」も消える… 奴の血と汗と涙と理想の結晶が… ンクククッ… ヒャ~ハッハッハッハッ!!」。従来の「濃口らあめん」より値上げして出品。さらにイメージで付加価値を付けていた「濃口らあめん」を廃止、低価格の「濃厚煮干し麺」に替える。こうして、芹沢は「濃口らあめん」に関わる自分の過去と決別するのだった。『発見伝』読者にとっても、最高の決着である。
・第90-97杯:なでしこラーメン選手権決勝戦

○第11巻(最終巻)「本物のラーメン屋」

 傑作。本巻のラーメン勝負はあらゆる料理マンガでも至高の対決。

・第98-99杯:承前。
・第100-106杯:ゆとりとようこの母子の「ワクワク」ラーメン勝負。ゆとりの進退がかかり、物語としてもクライマックス。「ワクワク」とはラーメンの本質のこと。つまり、ラーメンとは何かの形而上的な対決がおこなわれることになる。
 「こ、これはさっきと比べると…」「ラーメンになってますね。」。「大抵のものごとはまず本物が存在し、その後に偽物が生まれます。ところが戦後ラーメンは、安上がりに手っ取り早くできるからと、フェイクにフェイクを組み合わせて成立しました。最初にフェイクありき… だったんですよ」。
 「い、いえっ! 私は、ゆとりさんの「水ラーメンのほうがずっとラーメンらしかったと思います!」。「あのラーメンの中には過去しかない。」。
 「そうですねえ… 率直に言いますと… ようこ先生はラーメン批判などしていないとおっしゃってましたが、それでもあの一杯からは…」「しょせんラーメンの本質は偽物(フェイク)であり、無化調ラーメンの如き本物の料理気取りはちゃんちゃらおかしいという、上から目線のラーメン観を感じましたよ。」。ニューウェーブ系ラーメンは下火になったものの、実のところ、その姿勢はラーメン界に深く浸透していた。現在の濃厚豚骨魚介系やボリューム系も、その影響を受けている。「ラーメンとは… フェイクから真実を生み出そうとする情熱そのものです。」。
 すごすぎる。あらゆる料理マンガ、いや、あらゆるマンガのなかで至高の対決である。そして、芹沢さんの言はアルチュセールの重層的決定であり、あらゆる物事に通じる普遍性がある。傑作としか言いようがない。
・第107杯:ゆとりは女性だけで経営する、日替わり創作ラーメンの「麺屋なでしこ」を開業する。奇しくもその値付けは1000円。「1000円の壁」を超えたのだった。最後、ゆとりがラーメン業界を志すことになる、初めて食べた1杯というのが「ラーメンふじもと」のものだったと明らかになって幕。

 

『ラーメン発見伝』全話レビュー

 個人的なメモを兼ねて。全話ネタバレ。

○第1巻「繁盛店のしくみ」


 記念すべき第1巻だが、第1-3話があまり面白くない。

・第1杯「ラーメン、会社員、現る!!」
 記念すべき第1話なのにあまり面白くない… のだが、この第1話で転任した前課長の挿話が最終巻の伏線になっている。
・第2杯「泣く子も黙る大魔神!?」
 小池さん、有栖さんの初登場。実は、有栖さんがラーメンを食べて「大魔神顔」を見せるのは、この初登場の回が最初で最後である。
・第3杯「ラーメン小学生vs藤本!?」
 祐介の初登場。それだけの話だが、終盤の話の展開に捻りが利いている。
・第4-5杯「課長の宿題、無理難題!?」
 四谷課長の初登場。ソバの愛好家である醤油メーカーの社長に、ラーメンにおいても醤油の質が重要であることを伝える。醤油ラーメンでなく豚骨ラーメンを食べさせ、脇役だからこそ重要だという逆説を披露。
・第6杯「職人芸とラーメン魂」
 このあたりからだんだん面白くなってくる。老齢で往年の職人芸をふるえなくなり、引退を考えていたラーメン職人に機械の導入で対応する話。藤本の「オヤジさんは職人芸を見せたくてラーメン屋やってたわけじゃないでしょ? お客サンに美味しいラーメンを食べさせたくてやってたんじゃないんですか!?」という結論も見事。『そばもん』の第1話もこういう話でしたね。
・第7-8杯「繁盛店のしくみ」
 言わずと知れた傑作回。芹沢さんの初登場。
 「いいか、ひと言忠告しといてやる。オマエはただのラーメン好きとしては、味をわかってるほうだ。しかし、プロを目指す身としては、なにもわかってない。ラーメンのことも客のことも商売のことも、なにもかもだ。」からはじまる一連の台詞は名言。「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ!」
 本作がボンクラ社員の藤本と、リアクション役の佐倉さん… という『美味しんぼ』の派生型に終わることがなかったのが、この回と芹沢さんの存在。グルメ漫画に経営面の視点を入れた画期である。実際、今後も芹沢さんの登場回は傑作回が多い。
 小池さんの「お客サンにはできるだけ情報を食べさせたくない。ラーメンだけを食べてもらいたい。評価の言葉は「うまい」か「マズい」だけでいい……」も名言。「うん、藤本クンはラーメン屋が虚しいって言ったけど、キミが今、本当に感じているのは、答えが見つかっていない自分への虚しさなんじゃないかな。」。
 藤本は牛脂(ペット)の代わりにネギ油を使った改良型の「鮎の煮干しの濃口ラーメン」を作る。こってりだが鮎の煮干しの風味を感じることができ、客を味に目覚めさせることができるかもしれない。こちらの方が理想を実現する戦略としてはスマートだという藤本に対し、芹沢は返す言葉もない。
 理想と現実が激突する、単体としても傑作の話。この主題はラーメンだけではなくあらゆる創作物に付きものの問題でもある。この問題が最終巻、芹沢と藤本の最終決着までの導線になる。

○第2巻「塩の秘密」

・第9杯「老舗の味、オヤジの味」

 名店として慕われた亡父のラーメン。そのレシピを再現したはずが、かつての常連客たちには大不評だった。それというのも、戦後から高度経済成長期を経て、ラーメンの味はドラスティックに向上していたからだった。
・第10-11杯「塩の秘密」
 傑作回。芹沢さんの再登場。「いやあ、藤本クン… やっぱりキミは実に優秀なラーメンマニアだ。」「え…?」「プロとしてはキツい… ということさ。」。藤本と芹沢のマニアとプロの戦いの始まり。
 納得できない藤本に芹沢は塩ラーメンで勝負を挑む。麺、スープ、具のすべてに最上のものを使った藤本のラーメンは、全体としてはアンバランスなものだった。それゆえに芹沢は味のはっきりした塩ラーメンで勝負を挑んだのだった。「確かにオマエは巧みに”上手いラーメン”を作ることはできる。だがプロは真に”旨い”ラーメンを作るんだ。」。名言である。
・第12杯「小池さんの技」
 ナルトの初登場。
・第13杯「大衆料理の味」
 フレンチのシェフに自作のラーメンを否定されてしゃかりきになる若者に、本来、フランス料理は大衆料理であることを気付かせ、「ポー・サレ」の技法を教える。
・第14-15杯「トンコツ大戦争
 豚骨ラーメン回。「どんたく亭」と津田親子の初登場。「もう典型的なトンコツラーメンは、九州以外では通用しなくなってしまったからです。」という豚骨ラーメンブームへの問題提起。豚骨ラーメンブームの結果、東京を中心とするラーメン店はコクのあるスープに注力しはじめたが、その中で豚骨ラーメンだけはダシに豚骨を使いつづけざるを得なかったという逆説。で、ラーメン勝負。
・第16杯「ラーメン・コレクター」

○第3巻「札幌ラーメン・夏の陣」

・第17-19杯「札幌ラーメン・夏の陣」
 味噌ラーメン回。「札幌には本当にうまい味噌ラーメンなんて存在しません。なぜなら、どの店も味噌ラーメンの持つ構造的欠陥に気づいてないからです。」という味噌ラーメンへの問題提起。「つまり、味噌という調味料はうますぎる……それが味噌ラーメンの最大の魅力であり、最大の弱点なんです。」。で、ラーメン勝負。「味噌だまり」を使った強いタレで勝利。ちなみに、ここでライバル店が審査員を買収しているが、味の優劣が明確だったためあっさり反故にされている。
・第20杯「跡継ぎの条件」
 味を守る従業員より味を改良する従業員の方がいい従業員という話。
・第21-22杯「コンペ勝負!!」
 傑作回。醤油ラーメンで芹沢さんとラーメン勝負。スープの味わいを出すための醤油ダレの減量、かつ、必要な塩分量を補うための塩の追加… という味の勝負を芹沢さんの一言がすべてひっくり返す。「審査など必要ない。このコンペ、オレの勝ちだ。」。「レギュラーメニューなのに、一年を通して出せないラーメンを持ってくるとはな。うまいマズいだけに気を取られ、こういう無責任なことをやるから、しょせんオマエは”ラーメンマニア”だというんだ。」「まだプロになる気があるのなら、覚えておけ。厨房だけがラーメン屋のすべてではない!」。グルメ漫画の「料理の歴史→アイディアの発見→貴重な食材の入手→勝利」という定石をひっくり返す、コストと供給という視点。

・第23杯「祐介の初恋」
 片山夫妻の初登場。このあたりから行く先々で殺人事件の起こる『名探偵コナン』よろしく、行く先々で脱サラして開業したラーメン屋に出会うことになる。
・第24-25杯「夫の味」
 ホロリとくるラストの光る佳作回

○第4巻「日本・台湾、麺勝負」

 この巻あたりから長編が多くなってくる。

・第26杯「伸びない麺!?」
 「どきゅん」と武田さんの初登場。というか再読してビックリしたけど、野獣野獣と言われる武田さん、早大卒じゃん。麺が伸びるというボリューム重視のラーメンの欠点を、麺の加水率を上げることで解消。
・第27-28杯「ネットバッシング」
 「大野屋」と大野さんの初登場。芹沢さん回。「ラーメンオタク特有の幼児性」とか言いたい放題。
・第29杯「陳さんの悩み事」
 「中華料理店のラーメンスープには、共通した構造的弱点があるからなんです。」という、スープが他の料理と兼用のため味が弱い中華料理店のラーメンの問題を、ダブル・スープを使うことで解決。
・第30-34杯「日本・台湾、麺勝負」
 本作で初の大長編。「日式ラーメン」ブームに沸く台湾だが、日台での味覚の違いにより、藤本らは理想と現実のギャップに直面する。

○第5巻「天才、現る!?」

・第35-36杯「プロとアマチュア
 芹沢さんとの塩ラーメン勝負。塩ラーメンには塩ダレが必要だという固定観念を指摘され、ただ香りづけした塩を加えただけの芹沢に敗北。
・第37杯「常識と非常識」
 佳作回。スープはどんぶりから直接飲むほうが旨いというかつての常識に対し、スープに油を浮かした二層構造のスープ… ひいては多重構造型のスープではレンゲを使わなければ味がわからないという新常識をぶつける。
・第38-39杯「天才、現る!?」
 天宮の初登場。やっていることは悪辣だが、性格は素直、情報公開をモットーとするという癖のある人物造形。
・第40杯「出前狂想曲」
 麺は伸びるし、スープは冷めるという出前ラーメンに付きもののまずさを、麺とスープを分けて出前することで解決。
・第41杯「ラーメンの流儀」
 和食・イタリアン・フレンチ等からラーメン屋への異業種参入の課題。ラーメンがわからないことではなく、異業種参入ゆえにラーメンの既成概念に囚われることが問題。
・第42-43杯「つけ麺の弱点」
 芹沢さんとのつけ麺勝負。麺とスープの温度差というつけ麺の弱点に対し、冷やしつけ麺を改良することで対応した藤本だったが、芹沢はフレンチ等のデザートを応用し、つゆを熱く、麺を冷たくすることでドラスティックな改善を施す。そして、既存のつけ麺の改良に留まった藤本を所詮マニアと冷笑するのだった。

○第6巻「日本海ラーメン紀行」

・第44杯「作る側、食べる側」
 いわゆる「スープ切れ」批判。スープ切れは店の人気の証明などではなく、ただ店の怠慢の証拠に他ならない。
・第45杯「”幻”の名店!?」
 ネット、テレビ、雑誌等のメディアには頻繁に登場するため名店に見えるが、実際には流行っていない。それこそ「”幻”の名店」こと「ヴァーチャルな人気店」である。
・第46杯「ネギの憂鬱」
 ネギ批判。ただの薬味にしては癖の強すぎるネギをラーメンに入れているのはただ慣習という理由しかない。つまり悪習である。
・第47-48杯「天宮、再び!!」
 天宮の再登場。
・第49杯「ザルの秘密」
 湯切りにおける振りザル、平ザルの一長一短の話。
・第50-52杯「日本海ラーメン紀行!?」

○第7巻「油の魔術」

・第53-54杯「客の心裡」
 芹沢さん回。ネットにもときどき画像が貼ってある外食産業のセオリーの回。「「1時間が30分より長いとは限らない」。オマエに、この言葉の意味がわかるか?」。店内で待たされる方が行列で待つより不快感を覚えるという逆説。「「うまいラーメン」で満足しているのは、アマチュアに過ぎない。「うまい店」を目指してこそ、プロなのだ。」。
・第55杯「記憶を取り戻せ!?」
 記憶喪失の手がかりを求めて謎のラーメンを探すトンデモ回。『相棒』とかにもときどきこういうトンデモ回がありますよね。竹岡式ラーメンという奇習の紹介。
・第56杯「季節とレシピ」
 レシピは季節によって変動するという話。勉強になる。
・第57杯「ブランド麺!?」
・第58-59杯「油の魔術!?」
 芹沢さんとのラーメン勝負。新メニュー開発で藤本はダブル・スープの配合を変えることで醤油・味噌・塩ラーメンの鼎立に成功するが、芹沢は香味油で7種類のメニューを実現するのだった。芹沢がプロデュースした店の店主が4種類のスープに7種類の香味油で28種類のメニューを謳って勝手にコケる展開がウケる。
・第60杯「評論家に貴賤あり!?」
 本作で初めての後味の悪い回。『相棒』とか『TRICK』とかにもときどき狙って後味の悪い回がありますよね。
・番外編「スープが冷めた日」
 傑作回。10回読んで10回泣いた。芹沢さんの理想の挫折の話。
 詳細はよくネットにアップされているのでいいだろう。
 ちなみに、この回は帳簿がすべてコマ内に書かれている。そのために芹沢さんの苦悩がより一層伝わる。単体で読んでもいい超傑作。

○第8巻「魅惑の夏野菜対決」

・第61杯「サイドメニュー」
 ラーメン屋におけるサイドメニューの再浮上の話。かつて他の料理と並んでいたラーメンだが、ラーメンが料理として確立すると、サイドメニューとして他の料理がふたたび必要とされるようになった逆行現象。
・第62杯「夢と現実のあいだ」
・第63杯「いい店の条件」
 店作りの話。
・第64杯「エセ清湯!?」
・第65-66杯「魅惑の夏野菜対決!!」
 芹沢さんとのラーメン勝負。ポストモダン料理のエスプーマを載せるという常識の埒外のラーメンを作った芹沢に藤本が敗北する。「「つけ麺のコンペの時もそうだし、「麺 朱雀」と「らあめん大河」がぶつかった時もそうだが… オマエがやってることはいつも、既成のラーメンの構造に乗っかって、細部をチマチマ改良してるだけだ…」「だが、ラーメンに限ったことではない。新しい何かとか、構造を疑い破壊することなくしては生まれないのだ!」。
・第67杯「テレビの現実」
 片山さん暴走シリーズ第1弾
・第68杯「味付けのワナ」
 和食・寿司・フレンチ・イタリアンからラーメンへの異業種参入がうまくいかない原因。コース料理の慣習でスープを作ると、一品料理のラーメンには味が不足する。
・第69杯「麺茹での秘訣」

○第9巻「「ラーメン・マニア・キング」開催」

 シリーズでここまでで初となる長さの大長編。シリーズの転機。

・第70杯「小池さん、廃業!?」
 よくネットに画像が貼られる芹沢さんのクレーム云々の台詞がある。ネットに貼られている画像はコラで、実際は「いいか? 行列店にわざわざクレームをつけてくるようなヤツは、無能ゆえにヒマを持て余していて、そのくせ無闇にプライドだけは高く、嫉妬深いクズのような人間だ。」というもの。しかも「そんなクズに甘い顔を見せてはつけ上がらせるだけにしかならない。そこで商店会々長を金で懐柔し、クズどもを黙らせてしまうって寸法だ。クズは、力を持ってるものにはからきし弱いからな。」という実際的なアドバイスが続く。というわけで、行列問題の話。
・第71杯「リストラの味」
 家庭で作れる美味しいラーメンを紹介してくれる。
・第72-73杯「ラーメン刺客!!」
 芹沢さんの部下と麺でラーメン勝負。藤本を鍛えようという芹沢の親心。
・第74杯「スパイスの役割」
 卓上コショウ批判。臭い消しのコショウはラーメンの風味を飛ばしてしまう。にも関わらず、ただ慣習で卓上コショウを置くのは悪臭でしかない。さらには味を際立たせる有用なスパイスを開発。
・第75杯「ダメ従業員矯正法!?」
・第76杯「修行のススメ」
 煮込むのに3日かかるスープを定常的に生産する方法。地味に面白い。
・第77-79杯「「ラーメン・マニア・キング」編」(編者による仮称)

○第10巻「夢の果てに」

 藤本がクイズ大会に優勝し、開業資金の1000万円を得る。本作はここまでで第1部としていいだろう。

・第80-86杯「「ラーメン・マニア・キング」編」(編者による仮称)
 長期連載では逃げの一手と言われる大会。それもラーメンとは直接の関係のないクイズ大会とは、いよいよネタ切れではないか。それも巨乳ギャルの響子ちゃんの登場に、水着回という露骨なテコ入れでは… と思わせておいて、かなり面白い。
 響子ちゃんは初戦で脱落。感じの悪いラヲタの岩破が準決勝進出。さらには準決勝でもラーメンに興味のないクイズマニアが盤外戦術で決勝進出と予想できない展開に進む。この岩破のキャラクターがとてもよく、感じの悪いラヲタで、いい人間ではないのだが、その孤独感が描写され、感じの悪いラヲタのまま感情移入してしまう。これはもう『鬼滅の刃』ですよ。ラヲタのご意見番である宮部さんの負けられない理由も描写され、大会モノとして理想的な展開で進む。
 よくネットに貼られる迷惑な常連客の画像の出典はここ。
 というわけで、響子ちゃん、千葉さんの初登場。
・第87-88杯「自分のラーメン」
 傑作回。芹沢さん回。「まだオマエに店は持てないってことをコンペでハッキリ教えてやる。」。「思うに、これまでオレとのコンペで出してきたラーメンもなかなかだ。だが以前、オマエの屋台で食ったラーメンは、うまいことはうまいが保守的でおとなしい味だった……」「つまりオマエはラーメンの知識も技術も豊富なだけに、何らかのテーマを与えられたら相当なレベルでこなすことはできる。だが、今回オレがそうしたように自らテーマを生み出すことはできない。前回のようなラーメンしか作れない……」「どうしてだと思う?」「要するに、オマエには本当に作りたいラーメンがないんだよ!」。
 佐倉さんとの場面も凄い。「…会社勤めしていて自分の人生に心から満足してる人ってあまりいないと思うんです。アタシもそうだけど… たいていの人は、誰にも命令されず、誰にも頼らず、自分一人の力で生きていく人生に憧れてる…」「藤本サンは、会社を飛び出して、まさにそういう人生を歩もうとしているワケでしょ? 藤本サンはあたしのヒーローだし、目標なんですよ!」。
 傑作。
 余談ですが、藤本と佐倉さんは山岡士郎と栗田さんを意識しているように思いますが、その2人の関係性と違って藤本と佐倉さんは割とよく同じ顔をしているのがかわいいですね。
・第89杯「原点」
 響子ちゃん元カレシリーズ第1弾

○第11巻「銚子港フェア」

 大長編の後だけあって短編の内容が充実しています。『地獄先生ぬーべー』の後期も大長編の後の短編がすごく面白かったりしましたよね。

・第90-91杯「チェーン店の仕組み」
 佳作回。個人経営店のように100点のラーメンを出すことはできないが、80点のラーメンを数万人/日の客に出すことができるというフランチャイズ・チェーンの一長一短の話。オペレーションとセントラル・キッチン方式による効率化。その2つの制約をクリアした新メニューを開発。あくまで80点のラーメンは結果であり、数万人/日の客に100点のラーメンを出すことができれば、それに如くはないという結論もクレバー。
・第92-93杯「好きな味、好きだった味」
 最悪の第一印象からの人物描写。やっぱりこれは『鬼滅の刃』ですよ。
・第94杯「歌舞伎町ラーメン店の謎!?」
 佳作回。繁華街ではなく歌舞伎町クラスのマンモス繁華街だと時間当たり通行量がまた変わってくるという話。
・第95-96杯「銚子港フェア」
 芹沢さん回。「自分のラーメン」の後で初となる芹沢さんとのラーメン勝負。「だが、我々ラーメン職人がそうしたスープの進化にばかり熱中していたために… タレの進化は、この10年ほどまったく停滞してしまっていたのではないかと思うのです。」というタレの問題提起。藤本が芹沢のヒントなしで、自力でタレという構造的問題を発見し、ようやく同等の地平に立つ。
・第97杯「シメの一杯」
 佳作回。飲酒後など体調によって味覚は変わるという話。飲酒後は炭水化物と塩分が欲しくなるらしい。
・第98杯「オカルト・ラーメン」
 片山さん暴走シリーズ。
・第99杯「スープと水の間柄」
 響子ちゃん元カレシリーズ。水の硬度の話。

○第12巻「奇跡のさぬきうどん」

 この巻から大長編が増えてくる。しかし、ラーメンがテーマの本作で、さぬきうどんがテーマの大長編がはじまるのはどうかしているとしか言いようがない。『将太の寿司 全国大会編』でも、寿司がテーマなのに登場人物たちが一斉に駅弁を作りはじめる迷走がありましたね。
 この巻から六麺帝との勝負がはじまる以前の第20巻までを第2部としていいだろう。

・第100-101杯「激突! 千葉vs.藤本」
 千葉さんの再登場。ラーメン・スープの五大定番食材を使わないというラーメン勝負。千葉さんが「既成のラーメンの改良」という負けパターンにハマって負ける。
・第102杯「子連れマニア」
 原作者の両先生が子供嫌いなことが伝わってくる。
・第103杯「コスト・ダウン」
 傑作回。ラーメン1杯500円の昔ながらのラーメン屋が、近所に1杯380円の激安ラーメン・チェーン店ができたことで経営危機に陥る。第11巻の「楽麺亭」チェーンの社長が再登場してアドバイス。藤本らはコストダウンのために試行錯誤するが、その結果は「安くてうまいラーメンを作るのは不可能」というものだった…
 なぜなら、現代において「うまいラーメン」というのは1杯700円ほどの新店のラーメン。一方、「安いラーメン」というのは他のファストフードと同様の値段のチェーン店のラーメン。「安くてうまいラーメン」は両立しないのだ。当然、価格競争で個人経営店は大資本には勝てない。そこで、藤本は「高くてうまいラーメン」に経営方針を転換するように勧めるが…
 「いい潮時かもしれないなぁ…」「アンタらみたいな若い人達と違ってさ… オレぐらいのトシになると、もう、今さら「安くてうまいラーメン屋の親父」以外になれって言われても無理なんだよ…」。テーマとキャラクターの合った名言。大号泣。
 単体で読んでもいい傑作。
・第104-108杯「さぬきうどん編」(編者による仮称)
 響子ちゃん元カレシリーズ。
 ラーメンがテーマなのにさぬきうどん編なのはどうかしている

○第13巻「ラーメン・テーマパーク始動」

 辻井係長の代わりに葉月主任が登場。藤本の上司役となる。

・第109杯「アクション湯切り」
 片山さん暴走シリーズ。
・第110杯「リニューアル対決!!」
 前巻103話の「めんめん食堂」を芹沢さんがテコ入れ。外観をリニューアルしただけで500円のラーメンが850円で売れてしまう。ブティックで5000円のセーターが売れ残ると、2万円に値上げして売り切ってしまう。「桃太郎、消費者心理を熟知してる」(©山本アットホーム)。
・第111杯「女性客に優しい店」
・第112杯「ラーメン・テーマパーク始動」
 葉月主任初登場。ここから話の主な舞台は自然食レストラン「だいゆう」からラーメン・テーマパークに移る。
・第113杯「デパート売り上げ勝負!!」
 藤本と葉月主任の売上勝負。催事場への仮設店舗では作業効率の対策をしなければならない上、需要予測の不透明さに対応し、さらにはコンセプトをはっきりさせるために品数を絞らなければならない。というわけで藤本は完敗だったが、アンケート調査の結果… ひいては予想されるリピータ率では圧勝だったため、拮抗する結果となる。
・第114杯「古き良き時代の味」
 懐古心に耽る、数十年ぶりに帰郷した建築家に「昔ながらの中華そば」を食べさせて叱咤激励する。「これぞまさしく「昔ながらの中華そば」だよ。だが、しかしながら…」「今 食うと… 恐ろしくマズい。」。今時の「昔ながらの中華そば」はあくまで「レトロ・コンセプト」だが、それには理由があったのだ。
 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』ですね。俺も劇場で見て泣いて、テレビで再放送を見てまた泣いた。
・第115杯「テキサスラーメン」
・第116-117杯「ネクスト・ブランド」
 千葉さん回。本店と支店の距離が近く、他の店舗と集居するラーメン・テーマパークで千葉の「神麺亭」が経営危機を迎える。池袋は埼玉県の一部。支店をネクスト・ブランドにすることで解決。「オレは、経営者である前にラーメン職人だ!!」/「なにがラーメン職人よっ!! いい年したオヤジが青くさいこと言って、バカじゃないの!?」。千葉と葉月が和解しないまま終わるのがよい。やはり『鬼滅の刃』では。

○第14巻「幻の博多屋台ラーメン」

・第118杯「スープの温度」
 佳作回。ラーメン店のスープの温度は75-80度ほどだが、一般にスープの温度は60度ほど。それ以上の温度では風味も何もあったものではないという問題提起。だからスープを味わうために60度のスープでラーメンを出すという変人店主に遭遇。「ラーメンという料理がクラシックやフレンチに近いものなのか、ロックに近いものなのかというと、これは言うまでもないと思うんです。」という藤本の回答もクレバー。
・第119杯「夢のビジネス」
 響子ちゃん元カレシリーズ。いわゆる「クリエイティブ」批判だが、「それにしても………家も財産もあるのにあんなつまんない仕事に人生捧げるなんて、日本人は人生楽しむのが下手っていうか、なんていうか…」「でも、ああいう裸一貫から成り上がった人って、あるクラスの人達が憧れるのが分かりますよ。ボクなんかは違いますけど…」の台詞にも力が入っている気がしてならない。芹沢さんがチョイ役で登場。
・第120-121杯「冷やしラーメン勝負」
 芹沢さんとの冷やしラーメン勝負。藤本がかき氷を作っているときの芹沢さんの「こいつヤベーな」という顔が笑える。
・第122-125杯「幻の博多屋台ラーメン」
 根津常務が第一印象が最悪だからいい感じの人情オチがつくのだろうと思わせておいて、人情オチはつくが別に人格までは肯定されない。やっぱり『鬼滅の刃』じゃないですか。
・第126-127杯「FC店の不正を暴け」
 ゴミから割箸を集めて売上を調べる辛気臭い話。

○第15巻「恭麺亭VS.真恭麺亭」

・第128杯「父のラーメン娘のラーメン」
 どんぶりで味の印象が変わるという話。「器が小さい」という理想的な駄洒落オチ。
・第129-130杯「激辛ラーメン対決」
 芹沢さんと激辛ラーメン勝負。既存の激辛ラーメンはラーメンにラー油を浮かせたものでしかないという激辛ラーメン批判。
・第131杯「ラーメン本詐欺事件発生!?」
 15巻目にしてようやくふたたび有栖さんの「大魔神」顔が出る。
・第132杯「若き実力派店主の悩み」
 佳作回。響子ちゃん元カレシリーズ。5回目にして今カレという捻りを加えてくる。それがオチになるのだが。スープはラーメンの中で最大の時間と費用がかけられている部分だが、奇妙にも、スープは残すのが習慣になっているという問題提起。この回を読むと、もう「完飲。ごっそさん!」を馬鹿にはできない。かけソバ・かけウドンなど、日本における麺料理の習慣に加え、それらより味の濃い400-500ccのスープは完飲することはできない。半ライスを足し、しかも、雑炊の手順を示して客の参加を促すという解決もクレバー。
・第133-134杯「危うし!!ラーメン・テーマパーク」
 初めての四谷課長の怖い顔。
・第135-137杯「恭麺亭VS.真恭麺亭」
 フード・コンサルタントをはじめた天宮とラーメン勝負。芹沢さんが審査員。芹沢さんの天宮評がキレてる。「不安なんだろ? キミ、東大中退なんだってな。東大時代は、黙ってても周りが「凄いね」「頭いいね」って持ち上げてくれただろうが、今は、わりと稼ぎのあるフリーターってぐらいのもんだ… 自分から「ボクって凄いでしょ」「有能でしょ」って周りにアピールして承認してもらわないと、落ち着かないんじゃないのか? 優等生にはよくあるパターンだよ。」。天宮が供給の問題という負けパターンにハマって負ける。

○第16巻「火の国・熊本ラーメン!!」

・第138杯「麗しの女性アルバイト!!」
・第139-142杯「熊本編」
・第143杯「屋台ラーメン勝負!!」
 篠崎さん初登場。藤本の恋敵になる。
・第144杯「佐倉の想い」
・第145杯「芸能生活40周年記念ラーメン」
・第146-147杯「ラーメンで女心を掴め!!」
 佳作回。藤本と篠崎が女性向けラーメン勝負。いわゆる女性のアッサリ好み・少食は実態ではなく、若い人間は男女とも油分・塩分・ボリュームを求めている。必要なのはその外面だけ。「藤本クンのラーメンは確かに美味しい。相当なレベルだ。しかし、アッサリ好きでヘルシー指向という、どこにも存在しない幻想の女性に向けて作ったものでしかないんだよ。」。

○第17巻「完成!! 沖縄ラーメン!!」

・第148-149杯「老舗ラーメン店の謎」
 傑作回。ネットによく画像が貼られているので、内容は皆さんご存知でしょう。芹沢さんのシビアさが光る傑作回。ちなみに、芹沢さんはここで垣間見える経営哲学を続編の『ラーメン才遊記』で実践している。芹沢さんほどの能力で、従業員数5人(芹沢を除く)の会社ならワンマン経営の方が効率がいいだろうが、社員にかなりの裁量を与えている。
・第150杯「ラーメン・マニア大暴走!!」
・第151杯「昼ラーメン・夜ラーメン」
 昼間営業と夜間営業で店のコンセプトを変える「昼夜二毛作系」の話。
・第152杯「想い出の東京ラーメン」
 佳作回。響子ちゃんのおばあちゃんのため、戦後復興期の東京のおじいちゃんとの思い出のラーメンを再現する。おばあちゃんが美味という謎の調味料は砂糖だった。砂糖が貴重品だった当時、砂糖の単純な甘味は多くの人の喜びだったのだ。歴史による味覚の変遷に、ホロリとする人情オチに加え、二段オチも利いている。
・第153-156杯「沖縄編」
 篠崎とラーメン勝負。

○第18巻「芹沢VS.篠崎&藤本!!」

・第157杯「味オンチはどっち!?」
・第158-160杯「「中華18番」編」(編者による仮称)
・第161杯「オープン初日の大騒動!!」
・第162-165杯「芹沢対篠崎・藤本:Wテイスト・ラーメン勝負」(編者による仮称)
 芹沢さんと篠崎・藤本のラーメン勝負。番組のディレクターに八百長の負けを頼まれた芹沢は、あっさりと承諾する。普段は客には出さない少数派向けのハイブロウなラーメンを作り、最高のラーメンを出しながらもあえて勝負に負け、篠崎・藤本に敗北感を味あわせるのだった。

○第19巻「新・津軽ラーメン決定戦!!」

・第166杯「ラーメン店 店主の心得」
 卸業者からの食材のチェックの話。
・第167杯「店員採用の条件は何!?」
 客にオススメを教えるのも店員の裁量と責任という話。
・第168杯「藤本推薦のお店!?」
・第169-172杯「青森編」
 辻井係長が転任。葉月さんが係長に昇任。田中邦衛みたいな顔のオッサンとの兄弟間の因縁の話が渋い。
・第173杯「自家製麺という名の魔法」
 片山さん暴走シリーズ… というほど暴走はしていない。業界ゴロの神代の初登場。自家製麺を謳って業務用スープを使い、利益率を上げるイメージ戦略。
・第174杯「店舗拡張に潜む罠」
 席数が増えて行列がなくなると、かえって客数が減るという逆説。そのために席数を減らすことを提案する藤本が矛盾を指摘される。

○第20巻「和歌山ラーメン対決!!」

 この巻あたりから勧善懲悪の話が多くなってネタ切れ・マンネリ化が目立つ。

・第175杯「神代の悪事を阻止せよ」
・第176-177杯「小菅一族の顛末」
・第178-182杯「和歌山編」
 進藤の初登場。佐倉さんの恋敵になる。「フフ… 女の子二人と出張なんてオイシイ思いしてるんですから、少しは苦労してもらわないと…」。こういうメタ的な作劇はいいですね。
・第183杯「取材拒否の店

○第21巻「新品川ラーメンウォーズ!!」

 駅ナカのラーメン・テーマパーク「六麺帝」ができて藤本らダイユウ商事のラーメン・テーマパークは経営危機に直面する。藤本と芹沢との直接対決が掉尾を飾る、国内最高と称される「六麺帝」の6店とラーメン勝負6戦を行うことになる。ここからを第3部としていいだろう。

・第184-185杯「六麺帝編プロローグ」(編者による仮称)
・第186-189杯「六麺帝編第1戦:スープOFF対決」(編者による仮称)
・第190-191杯「「花輪つけめん亭」騒動」
 片山さん暴走シリーズ最終回。
・第192杯「つけ麺の功罪」
 大野さんがダークサイドに堕ちる。「スープ切れ」と称してラーメンを出さず、客の回転率の高いつけ麺だけを出品する。こんな大野さんは見たくなかった。

○第22巻「知性VS.野性」

・第193-197杯「六麺帝編第2戦:札幌・醤油ラーメン対決」(編者による仮称)
 「中華すいれん」の三原が芹沢に「ハゲ」の暴言。ハゲ呼ばわりされると動揺するという芹沢さんの弱点が発覚。「なにスカした理屈こねてんだ、このハゲ!」。別にハゲではなく髪の毛がラーメンに落ちないように剃っているらしい。
 芹沢さんが後攻の有利を活かして、先攻を上回るインパクトを持つ味付けに変えるという盤外戦術を使う。「そんなことは、」「ま」「っ」「た」「く」「あ」「り」「ま」「せ」「ん。」(ムカつく顔)。
・第198-201杯「六麺帝編第3戦:ニンニク対決」(編者による仮称)
 武田さんが出場。「ウチのラーメンに載ってるのが、ただの刻みニンニクだと思ってんのかってことよ。」(ニヤリ)「こりゃ楽勝だ。安心したぜ。」。からの芹沢の「ただのハッタリだよ。」「あれがただの刻みニンニクじゃないというなら、オレはラーメン屋を辞めてもいい。」の流れが爆笑。
 武田さんが味の強いスッポン・ニンニク・トウガラシの強烈なラーメンを先攻にして、後攻の中嶋のラーメンの味が分からなくする盤外戦術を使う。ちなみに、まともに勝負していても武田の勝ちだったため、ただ自分たちの評判を落としただけというオチがつく。『鉄鍋のジャン』じゃなくてよかった。「だからオレは先に出したんだ おまえの料理を台無しにするためにな!」「甘いスープは 飲めばあとはなにも食いたくなくなっちまう幸せな満足感が腹を満たす値千金の「糖水」だ おまえの料理なんか誰も食わねーよザマーミロ ハハハハハハ」(これ、主人公はこのあとどうやって逆転するの?)。

○第23巻「長野の神髄」

・第202杯「清潔戦争」
 片山さん暴走シリーズ最終回。行くところまで行った。トンデモ回。髪の長短は衛生面には関係なく、むしろ長い方が料理に落ちても気づくことができるだけマシという話。
・第203-207杯「長野編」
 神代と決着。客を軽視した神代が勝手にコケただけ。顔の作画も微妙に変わってるし。
・第208杯「名前の落とし穴」
 佳作回。クソ真面目な和食職人が「半熟煮玉子」の製法が分からずに思いつめて廃人寸前までいく。「コロンブスの煮玉子」の駄洒落オチもこれしかないという感じ。
・第209-210杯「激辛シスターズ」
 葉月さんの双子の妹が登場。オチがアブノーマル。

○第24巻「博多っ子戦争」

・第211-216杯「六麺帝編第4戦:早茹で対決」(編者による仮称)
・第217-219杯「ニューウェイブ蕎麦編」(編者による仮称)
 ラーメンがテーマの作品にも関わらずソバの話なのだが、「ラーメンって何?」という重要な疑問が呈される。

○第25巻「鬼のメン」

・第220-225杯「六麺帝編第5戦:コピー対決」(編者による仮称)
 天宮との最終決着。「こういう奴なんだよ。ラーメンを、ただのモノとしか見ていない…」「だって実際、ただのモノじゃないですか。」。
・第216杯「快勝のあと…」
 天宮が六麺帝の穴に出店、つまりとうとう開業することになる。藤本は1人残される。
・第217杯「ピンチヒッター?」
・第218杯「アンタが大将!」
 藤本が六麺帝との勝負、芹沢と争う最終戦を引受ける。同時に、会社に正体を明かす。そして、退職して開業することを決意する。

○第26巻(最終巻)「ラーメンふじもと」

・第229-234杯「六麺帝編最終戦:ラーメン百周年対決」
 藤本と芹沢の最終決着。「ここらで、オレとオマエの最終決着もつけることにするか。」。
 究極と思われた芹沢の「淡口らあめん 極」はただ1つの雑味があった。
 「『らあめん清流房』の成功は、オレが客を信じることをやめたところからはじまったわけだ。」「だが、それからラーメン界も変わった。今の客なら、オレの理想の味を理解してくれるかもしれない。そう考え、今回、「淡口らあめん 極」を編み出したわけだが… 確かに、どうしてオレは鶏油なんか入れてしまったんだろうな?」「有栖クンらに指摘されて、気づきかけてはいたんだが… この藤本クンのラーメンを口にして、オレが余計な鶏油を入れた理由がハッキリ分かった…」「藤本クンのラーメンには、一点の迷いも感じられない。自分がうまいものは、客だって、うまいはずだという信頼感に溢れている…」「しかし、いや、やはり、オレは…」「客を信じ切れなかった…」
 号泣。
・第235杯「万福寺公園の夜」
・第236杯「ラーメンふじもと」
・第237杯(最終回)「ありがとうございましたあっ!!」
 芹沢から藤本への餞別。「店をやるということは、常に時代の嗜好の半歩先を行く姿勢が必要だ。」「それがもう、今から立ち止まっているとは… 大丈夫なのかね、藤本クン!」。

 第1話の伏線回収。四谷課長が藤本(と佐倉さん)にラーメン関係の仕事ばかり割当てていたのは、前任の課長からの申送りだった。そして、その通りにしたら、実際に成功した。こういうメタ的な作劇は大好きです。
 前巻からの引きで天宮と新藤がくっついている。余りもの同士がくっつく高橋留美子メソッドですね。小学館だし。
 第1巻の芹沢さんの初登場にはじまり、藤本との最終決着で終わる客への信頼と不信の話はあらゆる創作物に通じる。理想と現実、才能と努力、などと言換えれば分かるだろう。芹沢が藤本に親心をみせて、そうと気づかれないように教導していたのは、そうした自分が捨てた理想を藤本に見たからだった。

 以上、『ラーメン発見伝』全26巻は傑作と言っていいだろう。
 続編に、本作における芹沢さん回傑作選のような『ラーメン才遊記』がある。より経営面に焦点を当てるとともに、「ラーメンとは何か」の形而上学的問いを探究している。新聞の経済面の外食産業の記事に目を輝かせるような人にオススメ。