劇場版『名探偵コナン』全21作レビュー

 いまさら劇場版『名探偵コナン』をみようと思う人間に、どの作品が好適か教えることなどできないし、そもそも自分は他人に合わせるのが苦手だ。だから、このブログ記事では未視聴者に配慮して物語の核心を伏せることなどはしないが、要約したプロットを併記したりもしない。劇場版『名探偵コナン』全21作をみている人間のための暇潰しだ。
 ちなみに、気紛れか話題合わせか、いまさら劇場版『名探偵コナン』をみようなどと思う人間にあえて数本を薦めるとしたら、「第1作から第7作まで」と言うだろう。いまさら『007』シリーズをみようとする人間のために数本を選ぶとしたら、あれこれ抜粋するより、ショーン・コネリーの初代ジェームズ・ボンドのシリーズを丸ごとみせるようなものだ。人気のシリーズというものは、オリジナルが完成した時点で、もうだいたい要素が出尽くしている。あとは細部での差異化と、無限の自己言及があるだけだ。そういう差異化と自己言及を喜ぶ集団をファンダムと言う。わたしにとっては退屈だ。なぜ第7作までなのかは、後述を参考されたい。

 

・第1作『時計じかけの摩天楼』

 初代にして傑作。このことも後述するが、今作がこれほど成功しなければ、劇場版のこれほどのシリーズ化も、おそらくは原作の長期化もなかっただろうと思うと罪深い。
 白眉は犯人の異常な動機。「森谷帝二」という名前が「モリアーティー」とかけつつ伏線になっているのがうまい。しかも、爆破で死者がでていると仮定すると、黒の組織の構成員をふくめても単独犯としては『名探偵コナン』史上、最大の殺人犯ではないだろうか。
 『スピード』… というより、その原典の『新幹線大爆発』をオマージュした山手線(東都環状線)のシークエンスが迫力あっていい。しかし、一本あたり数百人の乗客の命がかかっている推理が、「××の×」が「線路の間」だというのは不確かすぎる。
 今作から劇場版『名探偵コナン』では爆発シーンが恒例化して、爆発したあとはとくに説明もなく遣りすごされるが、今作はきちんとあらかじめプラスチック爆薬200kgが盗まれたという説明がされている。犯人は建築士だし。
 今作から第7作までこだま兼嗣が監督を務めるが、きっちり演出されたライティングなど、いい意味でフィルム時代の映画らしくてよい。

・「俺は高校生探偵、工藤新一」
・連続殺人犯(今作では連続爆破犯)との対決
・クライマックスの爆破シーン
・「新一ィー!」「らァーん!」
・異常な動機
・犯人を追いつめたあとの「うつむーくー そのせーなーかに」
・実写ED

 というテンプレート(第1作である今作においてはテンプレートではないのだが)ができる。

 

・第2作『14番目の標的

 あまり面白くない… コナンの関係者が名前にはいっている数字の順番どおりに次々と狙われ、最後の標的が「工藤新一」だというのがコンセプトだが、英理、阿笠博士、目暮警部と次々に襲撃されているわりに緊迫感がない。このサスペンス性の問題は『瞳の中の暗殺者』で解決されている。脚本の都合で目暮警部の名前が「十三」になった。阿笠博士の「士」を分解すれば「十一」になるというのも強引だが。海中施設崩壊まで、面白い場面がヘリコプター墜落くらいしかない。
 しかし、海中施設崩壊からは海洋アドベンチャーの性格を帯びてそれなりにみれる。上述のとおり、第2作でいきなりただのソムリエが何の説明もなく海中施設を崩壊させるだけの爆弾を設置したことになっている。小学生のときみていて、面倒で不確実な連続殺人への偽装より、直接、目的の人物を爆殺した方がはやくないかと思った。
 第1作に輪をかけて異常な動機で、もはや伝説。
 しかし、今作の最大の見場はクライマックスの360度連続ショットで、セル画時代にこの映像をつくっただけで素晴らしい。シナリオとの一体性としても、なぜ小五郎が刑事を辞職したのか、なぜ英理と離婚したのかという本編未出の謎に、刑事時代、小五郎が英理を誤射したからという事実を与え、その理由を解明するというもので申分ない。
 第1作の「赤い糸」といい、今作の「A(キス)」といい、古内一成が劇場版にあたって映画らしくトレンディドラマのクリシェを使っていることが面白い。

・「俺は高校生探偵、工藤新一」
・博士の新発明(伏線)
・博士のクイズ
・連続殺人犯との対決
・クライマックスの爆破シーン
・「しん… いち…?」(「新一ィー!」「らァーん!」)
・「ハワイで親父に習ったんだ」
・異常な動機
・犯人を追いつめたあとの「うつむーくー そのせーなーかに」
・実写ED

 のテンプレートが完成。

 

・第3作『世紀末の魔術師』

 面白い。劇場版第3作にして、初の怪盗キッド編で、劇場版スタッフがマンネリズム防止に気を遣っていたことがわかる。怪盗キッドとの対決、ロマノフ王朝の謎、連続殺人のコンセプトがあり、後半が冒険アドベンチャーのジャンル性をもつことで構成も十分。ヒロイン役の香坂夏美がなかなかかわいい。後の『戦慄の楽譜』ではボンドガールめいたわかりやすいヒロイン役がいたが、それよりはるかに成功している。
 犯人が国際手配中のロマノフ王朝の財宝を狙う暗殺者、スコーピオンということで、異常な動機の要素は一時休止したかにみえるが、未遂に終わったとはいえ「ラスプーチンの悪口を言ったから」というしょうもない理由で小五郎を殺そうとしている。というか、それが動機だとわかったコナンもすごい。
 「犯人がかならず右目を撃つ暗殺者だからメガネのレンズを防弾ガラスに換えておいた」というのは、劇場版『名探偵コナン』の阿笠博士の発明でも傑出している。そこに至るあらかじめ装填しておけば弾倉に加えてもう1発、装弾できるという流れも素晴らしい。まあ、仮に防弾だったとして入射角45度でもベクトル分解で力は1/2、弾が当たらなくても無事ではすまないだろうが… しかも弾を正面から受けてたし。

 ラストの新一に変装したキッドが現れるシークエンスが素晴らしい。

 

・第4作『瞳の中の暗殺者』

 面白い。警視庁の刑事が次々に殺されて、全員が実は過去の捜査チームの構成員だった、そしてその1人である佐藤刑事もまた凶弾に倒れ… という物語。レギュラーメンバーである警視庁の刑事たちが口々に「Need not to know」と言い、部内での解決を目論み、犯人を目撃したはずの蘭は佐藤刑事が撃たれる原因をつくってしまったことから記憶喪失に陥る、という劇場版『名探偵コナン』随一の重い雰囲気。
 犯人も意外性がありいいのだが、「犯人は左利き」という話が出たあとで左手で電話をかけはじめるものだから、小学生の時分、みていて呆然とした。
 秀作だが構成に難があり、このようなコンセプトでアクションを入れようとしたために、後半でコナンと蘭が犯人と遊園地で逃走劇をするという、やや無理のあるものになっている。このため、この後半に「ジェットコースターをスケボーで滑るコナン」や、「モーターボートで逃げるとモーターボートで追ってくる犯人」「その犯人から逃れるため、決死で滝を飛びおりるとまた滝を飛びおりる犯人」などの無茶な場面が多々ある。犯人もハワイにいっていたのだろうか。
 しかし、噴水で記憶を取りもどさせるコンセプトはいい。

 

・第5作『天国へのカウントダウン

 傑作です。傑作。劇場版『名探偵コナン』の最高傑作。
 封切のときはついに黒の組織の謎が明らかになるという宣伝文句だった。予想されていたとおり、たいして明らかにはならなかったのだが。
 今作が傑出しているのは「高層ビル火災」というジャンル映画と推理映画が見事な形で合体したこと。いわば劇場版『名探偵コナン』の理想だ。ジャンル映画と推理映画という劇場版『名探偵コナン』の両面が、これほど高い結構性をもったのは今作だけだ。
 例によってというか、5作連続で異常な動機なのだが、今作ではワイダニットとして高い完成度をもつ。そして、それが高層ビル火災というジャンル性に合体している。ついでにいえば、爆発シーンも、黒の組織が爆弾をしかけたということになっているので、さほど無理はない。
 メインテーマの編曲も、金管の吹鳴するシンフォニックなもので、今作が一番かっこいいと思う。鐘が鳴ってタイトルの現れる3Dのオープニングも素晴らしい。
 爆風で飛距離を伸ばすというハイ・コンセプトは出来がよすぎてさまざまなエピゴーネンを生んだ。そこを中心とした、正確なカウントダウンが必要で、灰原が自己犠牲しようとするという一連の流れも見事。
 ただ難をいえば、蘭との脱出に加えて、少年探偵団との脱出をするために、一度降りたビルをふたたび昇るというやや無駄のある構成になっている。この昇るときのエレベーターの階数表示が「天国へのカウントダウン」になっているのだが、それでもだ。

 

・第6作『ベイカー街の亡霊』

 面白い。脚本が野沢尚。親子の呪縛と日本論および体制批判という、野沢尚好きなら明らかな本人の常例なのだが、完璧に劇場版『名探偵コナン』になっている。ホームズとワトソンがロンドンに不在なのも『バスカヴィル家の犬』事件の最中だからだったり、モリアーティー教授がカメオ出演したり、シャーロキアン要素も十分。ホームズ・パスティーシュとしての切り裂きジャック事件と、現実の切り裂きジャック事件の調査が平行する構成もしっかりしている。
 「切り裂きジャックに血まみれに……」という伏線も見事。

 

・第7作『迷宮の十字路』

 京都編。爆発しない義経記の登場人物の名前を暗号名にする古美術窃盗団の構成員が次々と殺されているという筋書き。そこに平次と和葉のラブコメも絡んでくる。今作以後、劇場版の準レギュラーメンバーとなる綾小路警部が登場。
 メインテーマの編曲も和風で、オープニングでは小鼓が鳴る。
 地味だが、全体的に風雅でよい。恒例の異常な動機は「おれは義経になりたかったんや!」というもので、(複雑な心理をそう端的に表現したのだろうが)「おっちゃん、小学生じゃないんだから」と言いたくなる。しかし、それを受けての平次のセリフはまさに名ゼリフだ。
 和葉が小石を入れた靴下をブラックジャックにしていたが、映画史をとおしてそんな野蛮なことをしているのは他に『HANA-BI』の北野武くらいだ。
 ラストの綾小路警部に対する歩美の発言が爆笑もの。

 

・第8作『銀翼の奇術師』

 つまらない。劇場版『名探偵コナン』で初の凡作だが、シリーズ全体を通してもつまらない方。

 第1作が原点、第2作がコナンの関係者が被害者の事件、第3作が怪盗キッド編、第4作が警視庁編、第5作が黒の組織(灰原)編、第6作がホームズ・パスティーシュ、第7作が平次(京都)編と、マンネリズム防止につねに新規のコンセプトを使用してきた劇場版『名探偵コナン』だが、ここにきて2度目の怪盗キッド編だ。つまり、オリジナルが完成した。以降は新規性もなく、オリジナルの細部の変化に留まるだろう。もっとも、差異化と自己言及でいえば、わたしはアメコミ映画の自己言及を下らないと思っているので、限界を自覚しつつ、その中で最大のエンターテイメントを目指す差異化の方が好きだ。だって、アメコミ映画とは何なのか? と問われたって、「もろもろの会社の営業」以上に正確な答えはない。

 

・第9作『水平線上の陰謀』

 ご存じのとおり、映像作品ならではのどんでん返しがあるのだが、封切のときに宣伝でミステリー要素を過剰に強調しすぎていたため、引っかからなかったひとが多いのではないか。
 それよりも、小五郎の活躍という特徴が魅力。

 

・第10作『探偵たちの鎮魂歌』

 つまらない。劇場版10周年記念作品ということで視聴者サービスが多いが、劇場版というより雑誌の読者応募全員サービスのOVAのような作品。ただ、本当は探偵なんて必要なかったというメタミステリーっぽいオチは好きだ。

 

・第11作『紺碧の棺』

 つまらない。ファンダムでも『戦慄の楽譜』と今作のどちらかが劇場版『名探偵コナン』史上最低という定評がある。わたしは今作だと思う。

 

・第12作『戦慄の楽譜

 つまらない。上述したとおりボンドガール的なヒロイン役がいるが、べつに成功していない。

 

・第13作『漆黒の追跡者』

 黒の組織編。公開時、第11、12作と凡作が続いたので、黒の組織が出てくるのはテコ入れだろうという観測があった。そこそこ面白い。例によってとくに黒の組織の真相が明らかになるということはない。
 今作で特筆すべきなのは、ついに蘭が銃弾を避けるようになったこと。字義どおりの意味である。
 全国都道府県警察の幹部の中に黒の組織の構成員がいるという脚本上の都合で、山村刑事が警部に昇進している。黒の組織より、よほど日本の危機だと思う。作中においていえば、コナンがたびたび山村刑事を探偵役に仕立てたためだろう。おそらくはコナンの推理がもたらした唯一の弊害だ。

 

・第14作『天空の難破船

 面白い。上述したように、第8作以降はマンネリズムとの戦いを放棄しているのだが、今作は怪盗キッド編と平次編を足すことで、量によって質を補っている。スタッフにも自覚があるらしく、作中にそのまま「そりゃ豪勢やのう。豚イカタコそばのミックスモダン焼きみたいなもんやな」というセリフがある。『銀翼の奇術師』と同じ上空の密室だが、次々に乗員乗客が犯行グループの一員だとわかっていく構成で、サスペンス性も保たれている。
 コナンがスケボー1つで完全に武装した特殊部隊1個小隊を全滅させている。劇場版『名探偵コナン』のオープニングの「頼れるボディガードだ」のところで「おまえにボディガードはいらないだろ」と言いたくなる。

 

・第15作『沈黙の15分

 つまらない。冒頭に数少ない見場で地下鉄の爆破があるが、シナリオ全体には関わらない。あとはどうでもいい田舎の若者たちの内輪揉めが続くだけ。彼らの悩みは東京に出れば半年でなくなると思う。

 

・第16作『11人目のストライカー

 つまらない。現役サッカー選手がアフレコしていて、その棒読みが意図しない面白さを出している。

 

・第17作『絶海の探偵』

 つまらなくはない。ただ大半の観客は、序盤で電波時計が出てきて、それが終盤で活躍したときやはり脱力したのではないかと思う。
 脚本が櫻井武晴らしく社会性がある… というより時事ネタを使っている。
 防衛省全面協力だからか護衛艦が爆発しなかったのは、劇場版『名探偵コナン』ファンとして涙をのんだ。
 蘭が北朝鮮工作員を格闘戦で倒している。

 

・第18作『異次元の狙撃手』

 そこそこ面白い。しかし、推理映画の要素が五芒星の暗号だけなのは物足りない。
 FBI編で、赤井・世良編。

 

・第19作『業火の向日葵』

 つまらない。原作同様、劇場版『名探偵コナン』の怪盗キッド編は外れと言われても仕方ないのではないか。

 

・第20作『純黒の悪夢

 そこそこ面白い。キュラソーというキャラクターの物語の映画としてそこそこ面白いが、推理映画の要素を完全に排除したのは物足りなくもある。
 『漆黒の追跡者』で東京タワーに武装ヘリからガトリング砲を乱射するジンさんも相当バカっぽかったが、今作の、オスプレイでスイッチを連打(カチッ、カチカチカチ)させて爆弾が解体されたことに気づいた挙句、何事もなかったかのようにキメ顔で「浴びせてやれ、弾丸の雨を!」とポエムで指示を出すジンさんは完全にアホだ。武装ヘリに続いてオスプレイも撃墜されてるし… たぶんジンさんはコナンと灰原の手がかりを掴んだメンバーばかり殺すので、業を煮やした「あの人」に「骨格・筋肉・内臓・体毛を除く神経組織の細胞が幼児期のころまで後退する神秘的な毒薬」でも飲まされたのだろう。

 

・第21作『から紅の恋歌

 そこそこ面白い。今作では爆発に裏社会の人間が関わっていたということで、一応の説明がされている。連続殺人とカルタ大会と平次および和葉のラブコメが関係していて、プロットは十分。ワイダニットもそこそこ工夫されている。

 

・第22作 -

 安室編らしい。最近の正義とか真実とかいう言葉の出てくるフィクションは、何となく早慶MARCHっぽいチャラい感じがして好きではないのだが、脚本が櫻井武晴だから大丈夫だろう。

 

 東宝は年間目標として興行収入500億円を掲げており、2016年の854億円は史上初、700億円超は史上6回目となる。その主因は「君の名は。」243億円(当時)と「シン・ゴジラ」82億円で、この2作を除外すれば529億円となる。
 「純黒の悪夢」は63億円で、本作を除けばもちろん年間目標は達成できない(466億円)。
 「君の名は。」「シン・ゴジラ」に続く年間邦画興行収入第3位で、当然、これはそのまま東宝興行収入の順位でもある。
 そもそも、"アニメーション映画が大きな柱である東宝の16年は、「君の名は。」以外にも、「名探偵コナン 純黒の悪夢」(シリーズ新記録)、「映画妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン!」、「映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生」、「ポケモン・ザ・ムービーXY&Z ボルケニオンと機巧のマギアナ」、「映画 クレヨンしんちゃん 爆睡! ユメミーワールド大突撃」、「ルドルフとイッパイアッテナ」などが成果を上げている。"(『キネマ旬報』2016年3月下旬号)で、「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」「名探偵コナン」「ポケモン」「妖怪ウォッチ」の5シリーズは欠くわけにはいかない。
 ステークホルダーが増えすぎ、もはや作者はおろか、作者と出版社の合意が取れてさえ完結させることはできまい。「あの人」の正体が明らかになって長期休載に入ったのは、そういう事情もあってのことではないかと思う。