『いでおろーぐ!』全7巻感想

 椎名十三著『いでおろーぐ!』全7巻が思いがけない佳作だったため、感想をしるす。
 第1巻のおおまかな内容は2つある。第1に、いわゆる「非モテ」による共産主義と、かつての学生運動、現代の共産主義の学生団体のパロディだ。第2に、アンチラブコメのラブコメだ。第1は、ヒロインの領家薫の演説が堂に入っている。毎巻、数ページにおよぶ演説が2箇所はあり、そのいずれも読ませるものだ。かつての学生運動を主題にした文学のパロディも巧妙で、かなり笑わせる。なお、後者についてはほぼ第1巻のみだ。第2は、主人公とヒロインは、恋愛により人間が没個性化し、思考力と行動力を失うことを恐れている。作中の言葉でいえば「生産性を回収される」ことを恐れている。その上で、どう恋愛するかが眼目だ。
 これは各巻およびシリーズ全体を通して一貫している。以下、各巻について記述するが、物語の核心まで触れる。ここまでで気になった読者がいれば、実際に購読することを勧める。全7巻の分量を負担に感じるなら、第1、3、5、7巻の奇数の巻だけでいい。第2、4巻は物語が動かず、しかも、あまり面白くない。第6巻は短編集だ。ただし、第6巻は面白い。

・第1巻

 第21回電撃大賞銀賞受賞作。
 12月24日、クリスマス・イヴ。高校1年生の高砂は、渋谷駅前で学生運動スタイルをして「反恋愛主義」の演説をしている自校の女生徒を見つける。彼女は高所である緑の電車に登って演説していたため、高砂はスカートの中が見えるのではないかという下心で近づく。そうはならなかったものの、高砂は反恋愛主義思想に強い興味を抱くことになる。
 高砂は校内の反恋愛主義団体を探す。しかし、非公然団体であるその団体を見つけることはできなかった。その折、屋上からイチャつくカップルを見つけた高砂は、教化された反恋愛主義精神に則り、「リア充爆発しろ!」と叫ぶ。その声に惹かれ、1人の少女が現れる。彼女こそ件の運動家であり、同級生の領家薫なのだった。
 屋上まで高砂の反恋愛主義運動を糾弾しにきたプチブルリア充たちに、領家は高砂と情事に及ぼうとしているかのように見せかけることで追及をかわす。ただ、領家もそういった行為には照れがあるようだった。
 領家は自身を「反恋愛主義青年同盟部」と名乗り、地上の公然アジトと地下の非公然アジトを案内する。じつのところ、「反恋愛主義青年同盟部」は領家だけの団体だった。その帰り、高砂は1人の幼女、「女児」に呼びとめられる。領家の反恋愛主義思想は、理論が人間の生物学的本能に及ぶと、宇宙人による陰謀論へと捻転する奇妙なものだった。しかし、それは事実だった。「神」を自称する女児により、高砂は領家と恋人になり、彼女を反恋愛主義から転向させることを命令される。
 ここまでがおよそ全体の30%だ。作者の自称するとおり、展開は予想がつかず面白い。ただ、このあと急激に失速する。部員集めに奔走し、レズビアンの西堀、ロリコンの瀬ヶ崎、巨乳で性嫌悪の強い神明という3人の部員を獲得するのだが、これが面白くない。キャラクターの配置と、物語の展開ともに『涼宮ハルヒの憂鬱』に類似していることが、退屈さを増す。
 ただ、この冗筆を除けば面白い。女児は自称するとおり物語の「神」で、作者のような存在だ。女児の後押しもあり、高砂と領家は「リア充の威力偵察」と称し、初詣や休日デートをおこなう。そして、反恋愛主義青年同盟部は「2・14バレンタイン粉砕闘争」に向けて邁進する。しかし、女児の手先である大性欲賛会=生徒会によって、バリケードは突破され、反恋愛主義青年同盟部は敗走する。そして、生徒会に追いつめられ、公然アジトに籠城するなか、領家は高砂にバレンタインチョコを渡し、告白する。
 が、高砂はチョコを窓から捨て、領家を総括する。ここが本巻のクライマックスだ。高砂と領家は、すべての恋人を亡きものとしたあと、最後にたがいの体に刃を突きたてることを誓い、ふたたび反恋愛主義運動に身を投じるのだった。
 最後に、女児が高砂の妹として居候し、領家との関係を後押ししつづけることを宣言する。
 受賞の選評によれば、初稿ではかなりキツい下ネタが多々あったらしく、好奇心をそそられる。

・第2巻

 面白くない。
 公然アジトを失った反恋愛主義青年同盟部は風紀委員会を支配、偽装団体とする。領家は風紀委員長に就任する。奇しくもこのことで、領家は大性欲賛会=生徒会の走狗であり、校内の恋愛至上主義の指導者である生徒会長・宮前に気にいられる(本当に本文中の表記が「生徒会長・宮前」なのだ)。
 風紀委員会として校内の恋愛相談に介入する反恋愛主義青年同盟部だったが… これが面白くない。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のような設定だが、まったく面白くない。にもかかわらず、第4巻までこの設定が使われる。この恋愛相談と、『涼宮ハルヒの憂鬱』か『僕は友達が少ない』のような、リア充への威力偵察と称した種々の活動が、今後の物語の主軸となる。
 物語としては、映研からの恋愛相談に便乗して映画を制作する。また、スキー合宿に参加する。
 一応、領家と高砂が、互い以外の恋人はつくらないことを誓い、否定弁証法的に関係が進展する。
 神明さんに鉄オタという属性がつき、脇役として活躍しはじめる。

・第3巻

 面白い。
 冒頭で領家と宮前が交戦するのだが、ゲバ棒で戦う領家に対し、宮前が自撮り棒を警棒として使っていて笑える。ただし、宮前が自撮り棒を武器にするのはこの場面だけだ。
 新年度になり、新入生のオルグをおこなう。結果、極右の新入生の天沼が入部する。極左と極右で真逆のはずだが、結果として主張は同様のものになってしまうのだ。現代の極左と極右を知るものにとっては笑えるギャグだ。この極右のパロディもなかなかの力作だ。
 反恋愛主義青年同盟部の面々は天沼を歓迎し、非公然アジトまで教えてしまう。ただ1人だけ警戒心を保っていた高砂は、天沼が女児の派遣した大性欲賛会のスパイであることを知る。女児の企みを阻止しようと、高砂は自分も大性欲賛会のスパイだと名乗り、秘密裏に天沼を排除しようとする。が、これは大きな失敗だった。
 素の天沼はいわゆる生意気な後輩系キャラだった。ちなみに、なかなかかわいい。高砂と天沼が2人で行動することに対し、領家は不信感を強める。ついに高砂と天沼がホテルから出てくるところを目撃するにおよび、領家は高砂と絶縁する。なお、生徒会からの三角関係の恋愛相談がサブストーリーになっているが、前述のとおり、これは面白くない。
 反恋愛主義青年同盟部は解散の危機に瀕する。また、高砂は天沼から領家の扱いについて、ただ、いわゆるキープをしておいただけだと批判される。
 しかし、高砂が天沼にいかに自分が領家を愛しているかを熱弁し、それを領家が聞いていたことで、2人の関係はより強固なものとなるのだった。
 じつは女児の計画は、反恋愛主義青年同盟部を解散させることではなく、高砂と領家の仲を進展させることだった。予想はついたとはいえ、こうした筆運びはやはり面白い。なお、高砂の熱烈な告白を聞いて、天沼が絆されるが、最終巻まで出番はほぼない。高砂は天沼を二重スパイに転向させる。

・第4巻

 海水浴と怪談および夏祭りの2本立て。あまり面白くない。
 海水浴では旅館の跡取り娘の縁談を妨害する。前述のとおり、面白くない。反恋愛主義青年同盟部の面々が、スイカ割りに対し、いかに知的に劣後したプチブルリア充といえど、ただ棒でスイカを割るだけのことに遊戯性を感じるはずがないとして、科学的反恋愛主義の精神に則り、スイカ割りのルールを研究するのが笑える。
 怪談はホラーオチ。夏祭りでは高砂と領家が例によって威力偵察と称して花火大会にゆく。

・第5巻

 傑作
 文化祭で反恋愛主義青年同盟部が総決起をおこなう。物語、文章ともに充実していて、前巻までとは質的にも異なる。
 本巻の最終章の題名が『恋愛論とイデオローグ』で、シリーズの総決算とも言える。
 『やはり俺の…』でも文化祭を主題にした第6巻がシリーズ全体で最高傑作と言われることに因縁を感じる。
 反恋愛主義青年同盟部は文化祭を総決起のときと位置づけ、準備をおこなう。しかし、文化祭を目前に生徒会は活動を強化し、ついに地下アジトが摘発されてしまう。
 領家は意気消沈し、また、文化祭によりクラスに溶けこみつつあったことで、議長の辞職を宣言する。そして、後任に高砂を推薦する。それに対し、高砂は議長に就任したらまず領家を除名し、自身も脱会、領家に告白すると宣言する。この率直な言葉に、領家は自己批判し、反恋愛主義の闘士として再生するのだった。
 文化祭で反恋愛主義青年同盟部は活発な活動をおこなう。そして後夜祭、領家は後夜祭企画長という表向きの立場を利用し、狂言誘拐をおこなう。そして、学園を封鎖する。文化祭において鬱屈の溜まっていた非リア充たちが次々に籠城に参加する。バレンタインのときには失敗した学園の封鎖をついに実現したのだ。
 しかし、領家にはただ1つの誤算があった。宮前が立場をこえて領家に友情を感じていたのだ。狂言誘拐を信じる宮前は単身、校舎に突入する。
 キャンプファイヤーの火が赫々と燃えるなか、学生運動スタイルの領家と宮前は屋上で対峙する。領家は戦いを制する。しかし、激闘の末に宮前に正体を知られてしまう。
 もはや領家に希望はない。高砂が首謀者を名乗り、領家を庇おうとするが、逆に領家に庇われてしまう。際限なくたがいを庇う2人を見て、宮前は屋上から絶叫する。「リア充爆発しろ!」。
 宮前は反恋愛主義に転向、その場で高砂と領家に自己批判を要求する。そして領家に反恋愛主義青年同盟部議長の辞任を求める。結果、宮前が議長、領家が書記長の新体制になり、高砂と領家はリア充の偽装という反恋愛主義活動を続けるのだった。

・第6巻

 正規のナンバリングがされているが、短編集だ。ここまで本シリーズの部活動モノの要素を腐してきたが、この巻はけっこう笑える。
・遊園地に威力偵察にゆく。この遊園地が明らかにディズニーランドのことで、ディズニーランドをここまで腐したライトノベルも他にないのではないか。
・女児の観察日記をつける。瀬ヶ崎のヤバさが光る。
・女児が高砂に反恋愛主義を放棄した場合、保持した場合の10年後をみせる。放棄した場合は大学では高砂と領家は甘々な半同棲生活を送り、最終的に結婚する。保持した場合は、高砂は領家と大学進学で別れ、大学では反社会的な学生団体に加盟し、鬱屈した生活を送り、就職にも失敗し日雇いに身をやつす。そして1人で反恋愛主義の街頭演説をおこなう。そこで領家と再会するが、彼女はすでに結婚している。怖すぎる。読んでいて泣きそうになってしまった。高砂も転向しかかる。しかし、領家が大学が別れても離れないし、そもそも同じ大学に進学すると言い、高砂は一瞬で不安をなくす。その様子を見て女児も洗脳を諦めるのだった。
・反恋愛主義青年同盟部で異世界転生モノのリレー小説を書く。ギャグがキレていて、不覚にも爆笑してしまった。

・第7巻

 最終巻。
 宮前の転向により、領家は次期生徒会長に立候補、公的な権力も奪取しようとする。しかし、生徒会長選挙で領家はあっさりと敗北する。そして、新任の生徒会長である佐知川は人権侵害となる非リア充弾圧を開始する。
 そうしたなか、女児が姿を消す。高砂は清々するとともに、一抹の寂しさを感じ、また危機感をおぼえるのだった。
 12月24日、クリスマス・イヴが近づき、新しい生徒会の非リア充弾圧が強まるのに対し、反恋愛主義青年同盟部は為すすべもなかった。
 高砂は大性欲賛会に拉致され、洗脳施設に送られる。そこは、ギャルゲーの世界を再現したような疑似的な町だった。そこで高砂は幼なじみ、同級生、先輩の3人の少女から迫られる。これがムダに長く、320ページほどの本文に対し、60ページもある。読んでいるあいだ、さすがに辟易した。
 だが、クリスマス・イヴに、天沼によって高砂は救出される。天沼は3人が他の男とセックスしていることを暴露する。しかし、高砂は覚醒するどころか無気力になり、反恋愛主義運動を脱退すると言う。だが、クリスマス・イヴに渋谷駅前で演説する領家の姿をふたたび見たとき、一瞬で高砂は復活するのだった。
 ここのところの筆致が見事だ。文中では明記されていないが、洗脳施設の下りはまさにメタ的なラブコメのアンチテーゼだ。主人公に好意を寄せる都合のいい美少女キャラクターという作劇の人工性が浮きぼりにされる。また、それは恋愛そのものの虚構性をも剔抉する。だが、高砂が領家の姿を見たとき、そういったことはすべて問題ではなくなる。そうした外在的なことには関係なく、高砂が領家を愛していることは確かだからだ。
 高砂は反恋愛主義青年同盟部とふたたび合流する。が、学園に向かうと校内は完全に荒廃し、反恋愛主義青年同盟部の支配下にあった。高砂を失った領家が武力闘争路線に転換したらしい。ちなみに、ここのギリギリのギャグはかなり笑える。
 ともあれ、新しい生徒会を弱体化させた反恋愛主義青年同盟部は、終業式に最後の闘争を仕掛ける。高砂と領家は第1巻以来、ふたたび屋上に追いつめられる。また情事に及ぶふりをするが、ここで高砂は領家に告白する。「それに……俺には領家ひとりいればいい。それが分かったんだ」。
 領家は佐知川に正体を明かし、ついに正攻法で生徒会を敗北させる。それは反恋愛主義革命の大きな一歩のはずだった。
 高砂の家に女児が戻る。高砂を失った領家が弱化するどころか、武力闘争路線に転換し、何倍も強靭になることを知った女児は、ふたたび高砂と領家の仲を後押しすることにしたのだった。
 新年を前にして、領家から高砂に初詣の威力偵察の誘いがある。高砂はその問いにどう答えるかじっくり考えるのだった。完。
 最終章の題名は『自己矛盾するイデオローグ』だ。大団円ではないが、アンチラブコメとしては最上の終わりだろう。これはアドルノの否定弁証法だ。マルクス主義の観点からすれば、アルチュセールの重層的決定だし、ドゥルーズの力能だ。椎名十三は時折、文章の端々にインテリらしいところが滲む。物語としては『いでおろーぐ!』は第5巻で決着がついているが、アンチラブコメという主題としては、この巻の解答が理想のものだろう。