マンガのコマ割りの個人的な研究メモ

マンガのコマ割りの個人的な研究メモ

1.前書

 実作にかかろうとしたが,その前に研究の必要を感じた.つまり,現実逃避だが,現実逃避にしてもまだ生産的なほうだろう.

 なぜ研究の必要があるのか.
 ただ映像作品の絵コンテを画面に割当てればいいなら,問題はない.
 長期連載の青年マンガは一般にそうだ.
 この方法論でとくに優れているのは弘兼憲史で,機知に富んだ人物描写,洒落の利いた台詞回し,含意に満ちた物語,という良質な作品を量産した.(どのような作品か? 都会派,大人の読みもの,新聞に連載されているような,etc…)
 だが、それでは足りないのだ

 絵コンテとマンガの差異は,マンガは1つの画面にコマを割当てなければならないことだ.
 つまり,画面の資源配分の財政学が必要になる.

 端末機器で縦スクロールによる表示が可能になった.技術革新のためだ.
 が,一定の規模の画面ごとにコマを割当てるという方法論は,いまだ合理的だ.読者の認知能力に過剰の負荷をかけずに済む.

 しかし,その場合,映像作品の制作における(1) 脚本 (2) ネームという工程は非効率的なものとなる.(1) 脚本 (2) ネームという工程は(2)が強い制約下にあるため,たびたび(1)に戻って修正しなければならない.
 そのため,この工程に新たな手続きを導入しなければならない.

2.コマ内

2.1.基本の構図

2.1.1.構図

・三分割法
・ポイント(対角線に頂点から垂線を下ろすことで,4つのポイントを作る)

2.1.2.消失点

・消失点 視線が収束する.(1) 構図に組合わせることで,奥行を出す.このとき,余白を大きくすれば寂寞感を演出できる.(2) 画面外におくことで,立体的な画像になり,離人感を演出できる.

2.1.3.コンポジション(配置)

コンポジション 構図に組合わせる.左右のもの,上のものほど大きく見えるため,中央,下には大きいものを配置する.
ムーブマン 右上から左下への視線の動きに逆行するものを配置し,画面内に動きを演出する.
・フレーム 画面内にフレームを配置し,閉塞感を演出する.(cf.『台北ストーリー』のオープニング・シークエンス)

2.2.映画撮影

 選択できることは(1) アスペクト比 (2) 画面構成について (a) 距離 (b) 高さ (c) アングル (3) 動き (4) 長さ (5) 露光 だ.

2.2.1.アスペクト比

 スタンダード,ヴィスタヴィジョン,シネマスコープ

2.2.2.画面構成

(1) 距離

 クローズアップ,アップ,バストアップ(ミドル),フル,ロング.

(2) 高さ

 ハイ・ポジション,アイ・レベル,ロー・ポジション.

(3) アングル

 ロー・アングル(仰瞰),水平アングル,ハイ・アングル(俯瞰).

2.2.3.動き

 ズーム,フォーカス,パン,ティルト,ドリー,クレーン.

2.2.4.長さ

 ロング・カット(長回し).

2.2.5.露光

 ハイ・キー,ロー・キー,ハイ・コントラスト(硬調),ロー・コントラスト(軟調),非脱銀処理.

3.マンガ固有の制約

 2.1.2.(1) の奥行は,画面が小さく,描画の抽象化されたマンガでは大ゴマでしか使えない.(『ジョジョの奇妙な冒険』は描画を抽象化したまま小コマでも奥行のある構図にしている.これは教科書的なホラー映画の構図(cf.『吸血鬼ノストラフェトゥ』)と組合わせてのことだ)
 同様に,フル・ショット以上の距離は大ゴマでしか効果的ではない.このため,コマ数とフル・ショット以上のコマがトレードオフになる.(とくに会話場面は? 悪夢だ)(マンガでアンリ・アルカンクリストファー・ドイルのような撮影監督になることはできない)このため,資源配分の財政学が必要になる.(写実的な画風のマンガのほうが見開き,単ページを多用する理由だ.我々も財務管理を行うと同時に,時宜に応じ,果敢に見開き,単ページを使用すべきだ

4.コマ割り

 映像作品の制作における編集に当たる.
 前述のとおり,新しい方法論を見つけなければならない.

 本題の前に,ロング・カット(長回しについて.同形のコマを連ねればロング・カットと同様の効果を演出できる。横長のコマでは『ななめの音楽』,縦長のコマでは『デスノート』最終巻の夜神月の回想場面だ.しかし,マンガの場合,この演出は奇抜な印象を与える.

 映画の編集では,とくに理由のないかぎり (1) 登場人物の視点に移行する(アイラインに沿う) (2) 同じアクションをまたぐ (3) 運動の方向を同一にする の方法でカット間のつなぎを分かりやすくする.
 だが,これはあくまで便法だ.
 ドゥルーズの『シネマ』曰く"全体は映画の本質的な極としての「偽なるつなぎ」(フォ・ラコール)の中に現れる."
 つまり,映画はイマジナリーラインを破ったときにはじまる
 マンガのコマ割りを論じるときに映画を引合に出し,イマジナリーラインを云々するものは,細かいスリットの入った円筒を回し,馬の走る様子を見て「映画って絵が動くんだべな.オラさ生まれてはじめてこんなもの見ただ」と独言している田舎者に過ぎない

 つまり,それらは最下層の手続きであり,上層の手続きにはモンタージュ理論を用いる.
 マンガで映画の編集をほぼそのまま用いているのはチェンソーマン』だ.
 モンタージュ理論のもっとも明示的な使用は"「馬鹿みたいな理由じゃな……」"のところだ.

 映画でモンタージュ理論をもっとも明示的に使用しているのは小津安二郎だ.
 『シネマ』曰く,"映画は最も写真に近づくとき,最も写真と区別される.".
 小津安二郎モンタージュの恒常性をもって静物を表現した.

 静物の表現にはブレッソンのシネマトグラフの方法もあるが,これは1つのカットにおける時間を使用したものだ.
 マンガではコマ内に時間はないため,複数のコマで時間を表現しなければならない.よって,この方法はほぼ使えない.(同一のコマを並列する方法はあるが,奇抜な印象を与える)ただし,大ゴマ,単ページ,見開きで同様の効果を出すことはできる.

 『チェンソーマン』では姫野先輩の回想場面でのアキ君との会話,朝の時間のデンジとの会話でモンタージュの恒常性を用い,静寂感を表現している.
 これはいわゆる視線誘導の悪例だ.これが悪例なら,視線誘導の理論が誤っている.
 マンガのコマ割りに関し,視線誘導を議論の中心におくものは,どのような現象にも「神の御業がお宿りになっている」と感嘆の声をあげる無知な農民に過ぎない

 だが,モンタージュ理論だけでは足りないのだ

 教条主義的な視線誘導の理論ではない,新しい方法を考えなければならない

・『青い花』1巻,p.128,pp.136-40.

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『青い花』の表現技法とその意味 - 星のお姫さまの日記

・『淡島百景』1巻,pp.97-102.

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『淡島百景』 - どこにも繋がらない人びとの肖像 - - 星のお姫さまの日記


・『まんがの作り方』1巻,pp.150-4.

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『まんがの作り方』は孤独に耐えること - ルカーチ『小説の理論』から - - 星のお姫さまの日記


 志村貴子のマンガは継起的な因果関係による時間の連続性を否定し,時間を固体として扱っている.いわば汎神論的で,唯物論的だ.我々は篤信家の無知な農民ではなく,唯物論者だ志村貴子のコマ割りを採用しよう.(志村貴子は『ユリイカ』のインタビューで"コマの間に真実がある."と語っている.上掲の『シネマ』の公準だ)(スコット・マクラウドの『マンガ学』もコマ割りにつき、間白を重視し、とくに日本のマンガは日常的に使用しているとしている.マクラウドはこれを「東洋的精神」に帰している.これは蓮實重彦が『監督 小津安二郎』で指摘したものとまったく同じ誤りだ.小津安二郎アメリカ映画に方法論の多くを拠っている.手塚治虫アメリカ映画からマンガの方法論を確立したことは周知のとおりだ)

 徹底した視線誘導はマンガを読みとばさせるためのものだ.我々はマンガを読みとばさせたいのではなく,立ちどまらせたいのだ.
 徹底した視線誘導とは読者の不意をつき,足払いをかけるものだ.それが相応しいのはギャグ,アクションだ.(この両者は同一のものだ)(深刻な問題に関し,読者の不意をつき,足払いをかけてから,その鼻先に突きつける方法は卑劣だ.少なくとも,私はその喧嘩殺法は好まない)

 しかし,志村貴子の共起的な因果関係,部分的,独立的な時間のコマ割りでも,画面における視線の推移を利用しているところはある.
 新しい画面への移動だ.新しい画面に移動したとき,最初に目にする部分に印象的なコマを配置している.一方で,その画面の最後に目にする部分は,そこに至るまでの物語の流れについて自然か,肯定的な内容のコマを配置している.
 これに対し,コマ間の関係はモンタージュ理論だけで,画面上の視線誘導はクソ喰らえだ.
 機能から見れば,重要なコマを決まった部分に集中し,そこで処理させることで,読者の認知能力の許容量を増やしている.そのため,その他のコマで読者の認知能力に負荷をかけても耐えられる.

 結論が出たようだ

(1) 視線誘導は深く考えなくていい.右から左,その次に上から下,の順番に従うだけでいい.
(2) ただし,重要なコマは新しい画面の最初の部分に配置する.画面の最後の部分で新しい論点は出さない.

 この2つの手続きを使用すれば、効率的にネームを作成することができる
 つまり,脚本を部分独立的,ネームと同時並行的に作成,修正できる.
 同時に,効果的に感情(アフェクト)を処理できる.

 同様のコマ割りの規則は,同じく唯物論的な作風の平尾アウリも使用している.ただし,平尾アウリ志村貴子よりはるかに感情(アフェクト)を排除しており,上掲の作例は珍しいものだ.

5.マンガ固有の表現(補論)

5.1.斜めのコマ割り

 処理が煩雑になることに対し,資源が増えることによる効果はほぼない.非効率的な資源配分だ.原則として使用すべきではない.
 特別な効果はコマ間の関係を緊密にすることで,用法は2つだ.

(1) 画面の全部で斜めのコマ割りを用い,画面全体を一体化する.
(2) 複数の出来事が同時的に起きたことを示す.

 (1)は作品の構造そのものを変え,方法とはならない.
 方法として使用するのは(2)だ.とくに1つのコマを斜めの線で分割し、2つの出来事が同時的に起きたことを示す方法は,例外的な処理としてしばしば使われる.

5.2.ぶち抜き

 あるキャラクターを強調するときに使用する.奇抜な表現で,新出のキャラクターの登場場面くらいでなければ釣合がとれない.「There be …」構文のようなものだ.

5.3.吹出し・効果音

 吹出しはマンガの表現に制約を与えているだけで,表現の自由を増やしてはいない.技術革新でデジタル作画が可能になった現在,白の縁取りを行うか,せいぜい白抜きの代わりに半透明のレイヤーを用いれば,吹出しは自由に配置することができる.

 手描きの効果音も問題の多い表現だ.作者と読者の間で認識の齟齬がしばしば発生している.極論として,言語が変わると手描きの効果音は障害にしかならない.谷口ジローの方法で,効果音も吹出しで表現するべきだ.

5.4.流線・集中線

 静止画であるマンガで,カメラ・被写体の動きを表現することができる.積極的に使用すべきだ.

(2月27日追記)

 上記の理論に基づき,16ページのマンガを実作した.失敗した.理論は正しかったが,基本的な戦略に留まった.1ページ3-4時間の時間投資で,犠牲は大きかったが,得るものも大きかった.
 以下,発見と,より具体的な手続きを示す.

・ジャンプカット

 一般に,映画ではエスタブリッシュ・ショットは少ないとがより批評的,多いとより興行的と見なされる.ダルデンヌ兄弟は,エスタブリッシュ・ショットのないカッティングが緊張感のある作風を特徴付けている.
 が,抽象的な絵のマンガでは,エスタブリッシュ・ショットがないと場面転換を認識できない.小さいコマのエスタブリッシュ・ショットは野暮ったく見えるが,どうしても必要だ.ただし,大ゴマの風景画なら,その野暮ったさは解消できる.『ゴールデンカムイ』はとくにこの方法を多用している.『ゴールデンカムイ』とタランティーノの監督作品を比較するなら,大量の流血,予測不能の脚本,ポストモダニズムの引用ゲームだけでなく,『ヘイトフル・エイト』のオープニングの雪原の風景写真との類似を考えるべきだ.

・資源配分の財政学

 上記の資源配分の財政学の戦略は,文章に関するものが欠けていた.
 『嘘喰い』,『喧嘩稼業』.私たちは美麗な描画で文章の多いマンガが好きだ.『ハンターハンター』もその分類に含めていいかもしれない.そのため,『マンガ学』の「絵と文章は巧緻になるほどたがいに敵対的になる」という指摘を無視した.結果,私は実作で失敗した.
 文章に関し,資源配分の財政学の方法論を確立しなければならない.

 『嘘喰い』を参考に,写実調の絵柄では,10字*8行*6コマの480字が絵と文章の調和する上限だと判断した.これ以上の場合は,テキストボックスをページ上に配置しなければならない.

 小説の場合,400字詰め原稿用紙100枚,2万字を短編の目安と仮定する.会話文,描写文,説明文を等分としても,台詞をそのままマンガに翻案すると14ページになる.長編小説の場合,10万字,マンガで70ページだ.

 映画の場合,200字詰め原稿用紙1枚が30秒,400字詰め原稿用紙1枚が1分と仮定される.短編映画,15分,3000字を目安と仮定する.台詞をそのままマンガに翻案すると7ページになる.長編映画の場合,90分,1万8000字,マンガで38ページだ.

 ただし,これは文章の上限だ.
 マンガの最高峰『WATCHMEN』は日本語ではそれほどでもないが,原著の英語ではかなり文字が詰まって見える.しかも,ワイド版だからできる文章の配分だ.おそらく,本作が絵と文章を同時に巧緻にした限界だ.

 文章の資源配分の割当てを増やす第1の方法は,絵柄を抽象的,記号的なものにすることだ.『ハンターハンター』はこの好例だ.とくに,ヨークシン編のクラピカとセンリツの会話シーンが参考になる.コマ毎に高度にデザイン化し,台詞を挿入している.

 上記のページ数と文字数が,文章に最大の資源配分の割当てを行った場合として,ネームを制作するといいだろう.