『放浪息子』と『家の馬鹿息子』 - 志村貴子論 -

f:id:snowwhitelilies:20180206090813j:plain

(戦争体験者のサルトルの村焼き。本論とは関係ない)

 『放浪息子』は名実ともに志村貴子の代表作だろう。『放浪息子』は〈放蕩息子〉の言葉遊びだが、文学史上、もっとも名高い〈放蕩息子〉はサルトルの『家の馬鹿息子――1821年から1857年にかけてのギュスターヴ・フローベール』だろう(志村貴子の文学趣味は『青い花』に顕著だ。この場合は、タイトルはそのままノヴァーリスからの借用だ)。
 題名にまで冠されているものを、いまさら口幅ったくもあるが、志村貴子の作歴における『放浪息子』の重要性を鑑み、覚書き程度に『家の馬鹿息子』の『放浪息子』への影響をみておきたい。
 フローベールの没年は1880年で、1857年とは『ボヴァリー夫人』発刊の年だ。つまり、『家の馬鹿息子』とは家の馬鹿息子… 白痴だったフローベールが『ボヴァリー夫人』の作者となるまでの年代記だ。ご承知のとおり、『放浪息子』もまた、二鳥修一が自身の物語を著わす(「これは僕の記録なのだ」)ところで終わる(「これは僕の記録なのだ」… 無論、その小説は創作だ。現実との正否はそもそも問題ではないのだが、作中では虚構であることが明確にされている。フローベールは「ボヴァリー夫人はわたしだ」と言った。サルトルが注意しているように、「わたしはボヴァリー夫人だ」と言ったのではない)。なお、『ユリイカ《総特集=志村貴子》』のインタビューで、氏は『放浪息子』がはじめは10巻ほどの予定だったと語っている。よって、大きな構成はあらかじめ決められており、この終結部の展開も、予定されていたと考える。
 では、サルトルは『家の馬鹿息子』で、フローベールはいかにして『ボヴァリー夫人』の作者となったと述べているのか。その根本は、フローベールが長兄に劣る次男であり、受動的な人格に形成されたということにある。『ボヴァリー夫人』の作者になることは、その投企だったのだ。その投企とは、受動的な人格であるフローベールが言葉を用い、芸術家になることで、自己を実現すること〈ではない〉。フローベールにとって言葉とは、話すために語を利用するのではなく、孤独のうちに、その暗示の力のために語を利用するものなのだ(1巻、p.40)。
 ここで、前提として言語は物質的なものだ。志村貴子の柔弱な輪郭線は、フローベールの言語に通じるだろう。フローベールの言語は明証性によってではなく、密度によって、堅牢さをもつ。超越性である意味作用は、記号の物質的重さと相補する。
 無論、『放浪息子』を語るうえでは、異性装の問題を欠かすことはできない。しかし、『家の馬鹿息子』ではフローベールの女性性や同性愛的なところに言及しているものの、あくまで傍論なので、それはさておきたい。それより、『放浪息子』のクィア理論は、バトラーの『ジェンダー・トラブル』やセジウィックの『ジェンダー・トラブル』に顕著な、異性装を楽しむように同性装を楽しんでもよいし、そもそも両者の区別は歴史的なものでしかないという、マルクス主義フェミニズムのものだ(『放浪息子』ではユキさんや千鶴が例外的に説明的なセリフを言っているが、まさにそういうことを言っている)。フローベールは常套句や、他人の愚鈍さ、つまり紋切型の観念をそれと意識する能力をもっていた。それはやがて『紋切型辞典』に結実するだろう。紋切型の観念とは、ブルジョワ社会特有の物化だ(1巻、p.660)。サルトルフローベール第二帝政期というブルジョワの誕生した時代の生児として、歴史に綜合する。
 余談だが、サルトルは2巻でフローベールの〈笑い〉に筆を割いている。笑いは情け容赦がなく、連帯を廃棄する(だから反動保守や右翼は笑いに親しむ)。そして、笑うものと対象を脱現実化する。なぜ、平尾アウリがギャグを基調とするのか、木多泰昭が『喧嘩商売(稼業)』でもギャグを挟みつづけるのか、わかろうというものだ(紋切型の観念… 「『よく頑張った』『勇気を貰いました』『私たちのためにありがとう』――と頭のおかしいヤツらに言わせてあげられるような」)。
 また2巻では、フローベールがもともと役者志望で、家族の前で小劇団を演じていたことを分析している。それもまた、フローベールの受動性によるものだ。『青い花』と『放浪息子』で、しばしばナラティヴに演劇を使うのも、基底は同じだ。そして、志村貴子の群像劇の手法が確立されていくと、歌劇学校を舞台にした『淡島百景』では、ナラティヴとしての演劇は後景に退く。
 『敷居の住人』の千暁、『どうにかなる日々』のすべての人々、『青い花』のふみ… 志村貴子の初期作品の人々はみな受動性をかこつ。『放浪息子』で修一が女装を思いたってから登校するまで、いかに過程を踏んでいるかみよ。そして、そこでは(修一の内心においては)土井に責任転嫁することが許されている。対して、失敗はごく一瞬だ。また、『青い花』でふみとあきらの付合うはじまりが、どれほどあっさりしていることか。はじまりが簡単だったからといって、実際に付合うと困難に直面するという作劇の手法でもない。
 これが近作になると、『淡島百景』や『娘の家出』のように、主体的で能動的な人物が前景化する(『起きて最初にすることは』の公崇も高校は中退するけど、寝ている弟に顔射するし… 寝ている弟に顔射しないで)。しかし、それは根本が変わったわけではない。志村貴子の非人称の話法が徹底し、群像劇の手法が確立したのだ。
 フローベールにおいて《きみ(tu)》は不可能だ。そのうえ、《彼(Il)》が《われ(Moi)》に絶対的に優位する。即自が対自を吸収すれば、主観と客観の一致が生じるだろうが、その〈他者〉は他人にも自分にも三人称単数形でしか存在しないのだ(2巻、p.134)。
 ここで、フローベールは無(ネアン)を信奉することになる。『聖アントワーヌの誘惑』は幕=すべての仮象が燃えつきる物語だ。そこでは芸術も無意味だ。そこで、芸術的創意は勤労としてのエクリチュールになる。〈芸術家は労働者〉なのだ(3巻、p.548)。サルトルはこれを《詩人から芸術家へ》と題している。『放浪息子』の最終巻で修一が小説を書くとき、それは無思慮な私小説ではなく芸術的創意だ(「よし ウケた」)。
 こうして、フローベールの投企とは、世界を否定的に全体化することとなる。物質は無名だ。作品は読者と脱人間化された《視線の関係》を結ぶ。メルロ=ポンティが『シーニュ』で言うように、芸術は《未来の回路を開く》。制度を立て、世界を空無化する(3巻、p.409)。それは社会の総体を復元し、虚構の真実性を問おうとする自然主義者でも、非-世界(ノン・モンド)を作り、構造を形成しようとする象徴主義者でもない。文学は、読んでも抽象的な意味作用には還元されないのだ(これと対照的なのが教科書である)。
 文学がはじまるのは、直接的な意味作用は放棄しないまま、言語を分節化できないものを現前化する手段にするときだ。つまり、読者には物語を読ませつつ、意味を意味しないもの(アンシニフィアンス)に保つときだ。非本質的で直接的な意味作用(シニフィカシオン)の総合が進むと同時に、本質的な内在的言語の意義(サンス)が現実化する。言語は物質だ。そして、世界と自己は言説の沈黙の意義なのだ。
 フローベールはより個人主義的だったボードレールを双子として、文学を画する。後にはマラルメが続くだろう(4巻、p.252)。それが作者の追放だ。そのため、フローベールの文体は、一見して古典的客観主義になるだろう。サルトルはこれを、マラルメの造語を借りて《エルベノンまたは最後の螺旋》と題している。リシャールによれば、エルベノンとは《El be none》、非人称性だ。ゆえに、志村貴子の筆致が完成されると、群像劇の手法が確立することとなる。だから安那は泣く。「シュウがもうすぐ死んじゃうみたいな気がするの」。この説話論的に不可思議な下りは何か。無論、修一が説話論的に死ぬことはない。(関係ないが、安那は本当にいい子だと思う)
 『放浪息子』最終巻の、誰もが落着くべきところに落着いているにも関わらず、あの凄絶さは何か。《「ひとりは男の子になるのをやめた ただそれだけの話」》。《ただ》それだけの話なのだ。志村貴子もまた、世界の否定的全体化を果たした。これは、『淡島百景』の岡部絵美の無を眼差す視線にも現れる。
 もうお分かりだろう。『放浪息子』=『家の馬鹿息子』とは修一=フローベールのことであり、志村貴子のことなのだ。