アプリゲーム『ALTER EGO』をクリアした。
ノンプロモーションでありながら約1週間で10万インストールという異例のヒット作だ。私自身、名作だと感じた。
ゲームシステムは単純で、1.『クッキークリッカー』 2.性格診断 3.恋愛シミュレーション の3つを合わせたに過ぎない。ボリュームもない。
では、なぜ本作が異例のヒットを遂げたのか。ひと言で表わせば企画の成功だ。以下、記述する。
0.企画の成功
(大野真樹)
コンセプトの徹底だ。コンセプトは主題だ。本作においては実存主義と青年心理学だ。
この主題が1.デザイン 2.イラスト 3.劇伴 4.シナリオ 5.ゲームシステム の5つに徹底している。重要性は挙げた順番のままだ。
実存主義は自己と世界の関係への問いだ。青年期はその問いに葛藤する。
1.デザイン
(大野真樹)
色彩設計だ。モノトーンで蝶の青色だけを着色している。
ロー・キーかつ部分的なハイ・コントラスト。レオス・カラックスが『ボーイ・ミーツ・ガール』と『汚れた血』で採用した色彩設計だ(『ボーイ・ミーツ・ガール』はモノトーン)。これにより、レオス・カラックスは張りつめた空気感を演出し、若者の孤独感と絶望感を表現することができた。
壁男や背景美術など、美術はよくない。
2.イラスト
(いとう階)
線の細い絵柄だ。かつ抽象化の程度が大きい。
エスは10代後半から20代前半。痩せ気味。神経質な性格を端的に表現している。
3.劇伴
(あみこ)
エスとその他の場面の2種類。ピアノソロだ。後者はソプラノが加わる。
前者は旋律的、かつ16分音符の流麗な主題だ。それを反復する。名曲だ。
後者は16分音符の流麗な主題ながら、狭い音域に留めている。アンビエント音楽に近い。
どちらもミニマリスト的だ。内省的だ。
4.シナリオ
(大野真樹)
①ストーリー
第1にエスはカウンセラーだ。カウンセラーは現代の告解師だ。はじめにプレイヤーはエスに依存する。『意識という幻想』で自由連想法のため、膝枕された上にリラックスするように命じられるところが端的だ。かつ、巧妙なことにエスは適切な距離を保つ。ゆえにカウンセラーたりうる。『全滅領域』の《心理学者》というキャラクターを知っているだろうか。『グッド・ウィル・ハンティング』のショーンでもいい。
第2にエスは患者だ。実存に悩み、こちらの問いに敏感に反応する。すでにプレイヤーはエスに依存している。自己投影の結果、依存か支配かの両極にいく。前者がエスに親としての役割を求めるエゴエンドで、後者がエスの親の役割を担うイドエンドだ。
イドエンドでエスが自由にふるまうのは、親であるプレイヤーが自由にしていいと許可したからに過ぎない。トゥルーエンドであるエスエンドにゆくには、プレイヤーがカウンセラーになり、エスと適切な距離をとり、本人にひたすら考えさせなければならない。自制心がいる。
②主題
精神分析だ。エスの名前はフロイトの精神分析による。フロイトの精神分析は無意識を発見した。これは画期だった。無意識とは自己の快・不快の原因だ。これを言語化することが精神分析だ。よく知られる性器のメタファーはその1つに過ぎない。『精神分析学入門』で有名になったのだろう。これは一般向けの講演録だ。専門向けではない。フロイトは『性欲論三編』で自身の学説のリビドーはセックスとは無関係だと言明している。ただ私もはじめに『精神分析学入門』を読み、フロイトは時代遅れのただの異常者だと思った。『フロイト全集』の付録を読むと、フロイトの神経質さがわかり、共感がもてた。
当然、無意識の言語化は終わりがない。苦行だ。だが有用だ。私はこの知識があったため、どの選択肢をえらべばトゥルーエンドに到達するかわかった。エスに終わりのない言語化をさせ、またそのことを承知させる。
サルトルはフロイトの精神分析を実存的精神分析として完成させた。文学の方法だ。『聖ジュネ』、『家の馬鹿息子』で実践している。
③文学
(1)『人間失格』
《自分探し》の有名作。『Collectors』という蔵書家のマンガに「ビブリオバトルをみにいったら『人間失格』で参加したイケメンが優勝した」というネタがあった。
(2)『デミアン』
ドイツ教養小説。ビルドゥングス・ロマン。『少女革命ウテナ』が引用した。
(3)『山月記』
とくに言うことなし。
(4)『変身』
カフカの小説は自己疎外が主題だ。サルトルは『家の馬鹿息子』でたびたびカフカに言及した。『城』は実存主義文学だ。
現実的に読めば『変身』はサラリーマンが鬱病にかかり出社できなくなる話だという精神医学による読解がある。
(5)『狭き門』
ライトノベルの『"文学少女"と神に臨む作家』の種本だったため、高校生のときに読んだ。『"文学少女"と神に臨む作家』はおぼえているが(傑作だった)、こちらは忘れた。
(6)『はつ恋』
ドストエフスキーはツルゲーネフを『悪霊』で時代遅れの理想主義の作家として描写。絶縁された。
(7)『草木塔』
未読。
(8)『坑夫』
『海辺のカフカ』にカフカの諸作品に並ぶ実存主義文学として登場する。夏目漱石の作品では凡作ということで世評が一致している。よってこれが元ネタだろう。
(9)『地下室の手記』
実存主義文学。現代の国内文芸にも影響する。
(10)『シシューポスの神話』
カミュは実存主義文学の大家だ。
『シシューポスの神話』の次の評論『反抗的人間』でサルトルと論争になる。サルトルとカミュの論争は根本的なものではない。世界と自己の対立について、サルトルは後者を、カミュは前者を優先した。サルトルは倫理観を欠き、アジテーションが巧みだった。そのため共産主義で世界のほうを変えようとした。
(11)『フランケンシュタイン』
本作を読む現代人は、フランケンシュタインの怪物が外見に傷痕があるだけの正常な人間であることに驚く。フランケンシュタインの怪物は、人造人間である自分の実存に悩む。
創作されたキャラクターであるエスの比喩ととることもできる。
(12)『不思議の国のアリス』
とくに言うことなし。
(13)『星の王子さま』
とくに言うことなし。
(14)『ポー詩集』
とくに言うことなし。
(15)『ドグラ・マグラ』
いわゆる三大奇書。循環構造のメタ=フィクション。他の2作もメタ=フィクションだ。
大野真樹氏のツイッターによると精神医学に関する小説として選出したらしい。
5.ゲームシステム
クッキークリッカーを読書と見なす。ハイ・コンセプトだ。
6.なぜ本作がヒットしたのか
企画の成功だ。押井守によると、現在の映像業界は企画に関する制度が機能不全をおこしている(《押井守監督の“企画”論 縦割り構造が崩れた映像業界で、日本の映画はどう勝負すべきか》)。
映像業界に限らず、コンテンツ産業全般がそうだろう。具体的にはプロデューサーの逆作用とコンサルタント会社の有害無用さだ。ここでデヴィッド・グレーバーの諸作から統計を引用し、関連する職業に就いている私大文系卒を発奮させるつもりはない。話題は本作だ。
偏見だが、そうした職業に就いている方たちは無教養で(本を読まない。すくなくとも新書とビジネス書しか読まない)、飲み会が好きで(外向的だ)、下品で態度が大きく(内省しない)、バカだ(バカだ)。本作のコンセプトと真逆だ。プロデューサーかコンサルタント会社が介入していれば、本作は失敗していた。
低予算のノンプロモーションにも関わらず、ではなく低予算のノンプロモーションだから本作は成功した。