『"文学少女"』シリーズの卓越した構成

 

 野村美月の『"文学少女"』シリーズは全7作(全8巻)、本編完結後に出版された外伝が8作(巻数同じ)の構成だ。
 第1巻および第8巻の後書きによると、本作は野村の持込み企画だったらしい。そして、第7巻の後書きによると、全7作の構成は企画の通りだったらしい。
 実際、本作の全7作はシリーズとしてプロットの結構性がきわめて高いものになっている。また、そのための伏線が比類なく機能している。
 『出版指標年報』2018年版、『出版月報』2019年3月号によると、現下のライトノベルは売上の中心を長期シリーズの続刊に依存しているらしい。しかし、そうして所定の結末を持たないことは、シリーズの全体の品質を低下させるのではないだろうか。
 気まぐれで『"文学少女"』シリーズを再読したところ、その構成と伏線の効果というものをあらためて認識した。
 以下、『"文学少女"』シリーズの卓越したプロットを確認することで、その効果をみたい。当然だが、全面的にネタバレしている。

・第1作『“文学少女”と死にたがりの道化

 初巻。じつは単巻としては、書簡の記述者が竹田千愛であるという、作品の中心であるどんでん返しが見透いていること、作中で大きな比重を占める井上心葉の過去の問題が解決せずに終わるという2点の弱点があり、やや訴求力は弱い。
 心葉の過去は、美少女覆面小説家としてデビューし、ベストセラー作家になったものの、それを契機として恋人である朝倉美羽が飛降り自殺をしたというものだ。ただし、自殺はミスディレクションだったことが第3作でわかる。
 ショックにより心葉は断筆し、呆然自失のうちに歳月を過ごしていた。だが、校庭の木の下で本を食べる上級生、天野遠子を目撃したことにより、彼女の後輩として日々、三題噺を書かされることになった。
 千愛の自殺をとめる、遠子の数頁におよぶ演説が本巻の白眉だ。この長台詞は本当に素晴らしい。高校生の当時から太宰治の作品を実際に読んだためか、再読して感動がより強まった気がした。
 イラストレーターは、ライトノベルでは異例の少女漫画の画調かつ透明水彩の塗りの竹岡美穂によるもので、作品との最高の相乗効果を発揮している。『涼宮ハルヒ』シリーズにおけるいとうのいぢ伏見つかさ作品におけるかんざきひろを上回り、作品に対するイラストレーターの選出としては、ライトノベルで最高のものだ。ライトノベルを「イラストの付いた小説」と定義するなら、この担当編集者はライトノベルの制作に当たり、もっともいい仕事をしたと言える。

 書出しはきわめて秀逸だ。天野遠子がバリバリと本を食べながら蘊蓄を垂れている場面で、抜群の訴求力をもち、さらには遠子のキャラクターと作品の雰囲気が伝わる。さらに、すぐに遠子の心葉に対する「君は薄幸の美少年みたいな外見なのに、どうしてそんなに意地悪なの」という主旨の台詞が続く。この冒頭の数頁で簡単的確な人物描写をおこなう手際は見事と言う他ない。

 天野遠子、井上心葉、竹田千愛、姫倉麻貴、脇役として琴吹ななせ、芥川一詩、回想のみにおいて朝倉美羽が登場。
 遠子は新宿の母に「恋愛大殺界中で、7年後の夏に鮭をくわえた熊の前で白いマフラーを巻いた男性と運命の恋に落ちるまで恋愛できない」と占われたため、恋愛には無縁だと宣言する。これで遠子はいわゆるライトノベルのヒロインながら、恋愛要素からはオミットすると、読者にメタ的にわからせる。が、これが伏線。ライトノベルでもっとも優れた伏線だ。
 登場からななせがツンデレしているが、つまり、第1作の時点ですでに当馬でしかなく、その後も当馬としての役割を果たしつづけたことになる。そう考えると同情する。

・第2作『“文学少女”と飢え渇く幽霊

 本シリーズが単巻完結の作品集の外観をとっていた最後の巻だ。その意味で2巻は最短の長さであり、本シリーズの結構性の高さをしめす。
 後書きによると、執筆に苦労したらしいが、そのためか物語の迫力は第1作に勝る。

 櫻井流人、櫻井叶子が登場。この時点で、最終巻の構図が完全に提示されている。この周到なプロットは見事と言う他ない。
 遠子が彼氏がいるとななせに吹聴し、「恋愛大殺界」の伏線を念押しする。

・第3作『“文学少女”と繋がれた愚者

 一詩が本格的に登場する。
 巻末で一詩の書簡の相手が、本巻の登場人物ではなく美羽だったとわかるどんでん返しがおこる。
 そのため、本巻の物語の訴求力は弱化するが、総合的な効果はそれをはるかに上回る。
 このシリーズ全体において、主人公を好きな少女が黒幕として陰謀を巡らせているという構図は、河野裕の『サクラダリセット』シリーズに直接的な影響を与えた。『サクラダリセット』では第2巻において、その巻の物語がサブヒロインの存在と、シリーズ全体に繋がる。
 「恋愛大殺界」の伏線を念押ししている。

・第4作『“文学少女”と穢名の天使

 一応、ななせが主役だ。
 作者が後書きで美羽の登場を引延ばして申訳ないと一言している。
 しかも、末尾に登場してクリスマスプレゼントの栞を食べてしまう遠子に、ななせの存在感が喰われている。
 伏線として、本巻でさりげなく白いマフラーが登場する。

・第5作『“文学少女”と慟哭の巡礼者

 ついに美羽と最終決着をつける。そして、番外編である次巻を挟み、続巻が最終巻となる。冗長のない見事な構成だ。
 屋上での美羽の慟哭と心葉との対峙の場面は素晴らしい。
 巻末で「天野遠子は存在しない」と述べられ、最終巻への期待と緊張が否応なく高まる。

・第6作『“文学少女”と月花を孕く水妖

 心葉の過去の決着がつく第5作と、最終巻であり遠子の物語が明らかになる第7作とのあいだの緩徐楽章。
 前巻で心葉とななせが完全に恋人として成立したため、遠子との関係をふたたび強調する役割もある。
 一応、麻貴が主役と言える。

 巻末に謎の女性が心葉にレモンパイをつくっている未来が描かれる。この女性が遠子かななせか、初読の当時はやきもきした。本巻で遠子の魅力を強調しつつ、料理をつくっているとなるとななせの蓋然性が高い。読者の多くがやきもきしたのではないだろうか。正体はただの妹だ。

・第7作『“文学少女”と神に臨む作家

 最終巻だ。
 本巻の物語である天野家-櫻井家の謎と真実も完成度が高い。また、この物語を通じて作家としての孤独な道か、ささやかな日常の幸福かという二択が示される。
 余談だが、第5作と本作とも、千愛がここまでトリックスターとして活躍していることを再読するまで忘れていた。自由すぎる。

 シリーズ全体の構成として、心葉が作家として再起するかどうか、遠子とななせのどちらを選ぶのかという選択肢が提示される。つまり、ななせは心葉が作家にならない未来の体現者だ。
 また、本巻まで遠子が探偵役を務めてきたが、本巻では心葉が探偵役を務め、遠子を救う。
 心葉は遠子への愛情を自覚し、その思いが小説の執筆へと駆りたてる。完成した、心葉の2番目の小説の題名は『文学少女』だった。
 原稿を書きあげ、遠子のもとに向かう心葉にななせは「その小説、破って」と言う。ななせがシリーズ全体でもっともカッコいい場面だろう。とはいえ、ななせは選ばれないことは第1作から決まっている。
 このあと、心葉はななせの友人の「森ちゃん」に「ななせをバカにするな」と殴られる。再読して「ホントだよ」と思った。初読のときもまったく同じ感想を抱いた。それはともかく、ななせは脇役(ライトノベルにおけるサブヒロイン)のなかで最高のものだろう。

 原稿を一読した遠子は、「この原稿は食べるわけにはいかない」と宣言する。そして、心葉に別れを告げる。遠子の真意を汲んだ心葉は涙ながらに別れを受けいれ、強引にキスをする。この場面はすばらしくロマンチックだ。
 姉であり、母であり、庇護の対象であり、友人であった遠子が恋人になる。
 本シリーズにおいて各巻で書簡体が使われるが、最後の書簡の記述者は遠子だ。この演出はすばらしく感動的だ。
 そこで、心葉との出会いは偶然ではなく、心葉に第2作を書かせるために、あえて本を食べるところをみせて偶然の出会いを装ったこと、そもそも心葉のデビュー作は遠子が落選原稿のなかから見つけだしたもので、その意味で心葉をデビューさせたのは遠子だったことが語られる。
 これほど結構性の高いプロットは、あらゆる小説においてほとんど類をみない。あえて言うなら、ギャビン・ライアルの『深夜プラス1』だけだろう。このプロットは、小島秀夫の『メタルギアソリッド』のシナリオに直接的な影響を及ぼしている。これらのプロットは、ゴダールが『ゴダール全評論・全発言』第1巻のヒッチコックの評論で、ヒッチコックのプロットは虚構が現実になるものだと述べた評言が当てはまる。
 書簡で遠子は心葉を作家として再起させるため、自身の恋情を殺したことを告白する。また、ここで数巻を跨いだ「恋愛大殺界」の伏線を読者に思いださせる。

 本巻で白いマフラーは遠子-心葉-ななせのあいだを何度も往復するが(デスノートの所有権並みだ)、最終的に心葉の手元にゆく。
 6年後、つまり「恋愛大殺界」の占いから7年後、心葉は作家としての地位を確立していた。真夏に、鮭をくわえた熊のタペストリーの前で、白いマフラーを巻き、新しい担当編集者を迎える。これほど見事な伏線回収は、他に何作もない。

 ライトノベルがあるヒロインを描く小説であると定義するなら、本作はその最高のものだろう。他に比肩しうるのは全4巻の秋山瑞人の『イリヤの空、UFOの夏』だけだ。本作で主人公はヒロインの伊里野と逃避行をおこなうが、その苛酷さに伊里野の記憶は徐々に退行する。そして、逃避行が終着点に達したとき、伊里野の記憶は主人公との出会いのときに遡り、奇しくもそのときの言葉が愛の告白になる。青春の哀歓をノスタルジーのもとに描いた名作だ。が、そのあとに伊里野の記憶が戻って戦闘機で決戦する余計な1章があり、その蛇足が作品の完成度を損ねている。

 本作は驚くべきことに、本編と同量の番外編がある。ライトノベルでは人気のあるシリーズは長期化する。だが、前述のとおり、そのことはシリーズ全体の品質を下げる。そのジレンマを、本作は本編の完結後に番外編を発表するという形式で解決した。
 野村は最終巻の後書きで、番外編では気の向くままに書くことができると心情を吐露している。最終巻で遠子は自身の恋情を殺したと語るが、それは作者の執筆の姿勢とも一致するだろう。もし、全8巻の区切りで緊張感をもって天野遠子という人物が描かれることがなかったら、彼女はこれほど魅力的なヒロインにはならなかった。
 まさに、本作はライトノベルで最高のものである。