『裏バイト』怪異の影響力・危険性ランキング(完全版)

『裏バイト』怪異の影響力(X軸)・危険性(Y軸)

snowwhitelilies.hatenablog.com

 

・総殺害人数(第247話および作者より)

・*終末の日は人類の総人口の残数約56億人。

・【呼称なし】:約20.2億人

・【ビッグガール】:約8.1億人

・【ピンバッジ】:約6.9億人

・【戦争(ヌグベチ)】:約4.8億人

・【おおいなるもの】:約3.2億人(絶対数では約13.3億人)

・【鞄】:約2.7億人

・【イム】:約9000万人

・【真黒石の釣り神】:約500万人

・【マダライツヅ】:約500万人(*ポテンシャルではより多い)

・【出水翠】:約300万人(*ポテンシャルではより多い)

・*人間に準じる怪異は総計4.2億人。

・【益荒鬼】:約200万人

・*【呪物(表記不能)】が異次元で約80億人を殺害していたのは事実らしい。

 

・【雪の神】:4桁(通史的な総数)

・【しらかみ様】、【福ノ神】:3-4桁

・【エイリアン】:3-4桁

・【マーマン】:約1000人

・【アンドロイド・ルーシー】:3桁


 グラフは2次元平面だが、ここに機会(頻度×期間)を乗じれば、危険度×影響範囲×機会で総殺害人数になる。人数は対数化すべきだろう。
 福ノ神、天使などは、人間が関与しないときの危険度であることに注意。でなければ、炁神の殺害人数が出水翠を上回ることになる。

・凡例

・"話数"『"話名"』

【"怪異名"】:"怪異の概要"

「危険度:"0-9"」(0=中立 9=関わった人間は確実に死ぬ)

「影響範囲:"1-5"」(1=個体、2=建物、3=土地単位、4=行政単位、5=無制限)

 

【"裏バイト報酬"】

「裏バイト生還率:"n%"」(ルール解明後)

 

・第8巻

・第90-91話『雪まつりスタッフ』

【雪の神(名称不明)】:雪像「仮忌体(けいむてい)」を作ると、雪像を作った人間の命を代償に、雪像が模った人間を呪殺「忌成成(いみなりなり)」する。

「危険度:2」

「影響範囲:3」

 

【日給500,000円*出勤日数1.0日=500,000円】

「裏バイト生還率:50%」

 

・備考:雪像を作ると幻覚を見て凍死するため、2人以上で参加しなければ確実に死ぬ。一方、雪の神には火という明確な弱点があるため、脱出は容易。

 後白村の村民が入村するときに火器を没収するため、隠匿して持ちこまなければならない。

 『工場作業員』のヤムちゃん(大家睦実)が再登場。主役2人はヤムちゃんがヤニカスだったおかげで助かった。

 

 後白村は呪殺を請負う、いわゆる因習村… と見せかけて、最後に村民がすべて自覚のない雪の精だったことが明らかになる。いわゆるヒトコワの逆。

 岸田元総理(御岸田総理)も雪の精。冒頭の国会議員の暗殺を依頼したらしい。

 

・第92-94話『特殊清掃員』

【なかたりさん】:死の化身。遭遇すると希死念慮に襲われる。

「危険度:8」

「影響範囲:2」

 

【1件800,000円*24件/2人=9,600,000円】

「裏バイト生還率:50%」

 

・備考:映画『回路』と同じ、死そのものの怪異。そのとき、その場でもっとも早い方法で自殺する。作者によれば映画『死の王』のイメージがあるらしい。

 具体的には「幸福が死を上回ることはない」という想念が生じるらしい。

 『宗教法人スタッフ』の「無に勝るものはない」と並ぶ、作品全体に現れるテーマ。

 デイヴィッド・ベネターの反出生主義の前提となる誕生害悪論。誕生害悪論によれば、出生だけでなく生存も害悪になり、死が早いほどより良いことになる。ただし、ベネターはこれをエピクロス主義と称して、自殺に消極的だ。

 

 黒岩案件その1。

 『裏バイト』で最高の報酬。出来高払いで死者が蓄積していたため。映画『CURE』よろしく、臨場した地域警察官も自殺していたらしい。

 

・第9巻

・第96-98話『探偵助手3』

【木谷脳研】:「精神成功体」(無害)「肉体成功体」(「バックルームズ」のモンスターのようなもの)「超常成功体」(五感は退化しているが超能力を使い、知覚した生物を破壊する)「完全成功体」(無害)「元研究員たち」

「危険度:8」

「影響範囲:2」

 

【日給550,000円:総計】

「裏バイト生還率:25%」

 

・備考:研究所の見取図が必要なうえ、元研究員たちとの遭遇も避けなければならない。

 完全成功体はまったく行動しない。脳科学によれば、理性を向上させるべく情動を絶つと、かえって行動が不合理になったり、行動しなくなったりする(ダマシオ『デカルトの誤り』)。"「うちゅう、せかい、かみ、こうぞう。」"。

 

・第99-101話『軍手落とし』

【手】:仕事、というより儀式の「軍手落とし」に失敗したり、目的を探ったものを圧潰する。

「危険度:3」

「影響範囲:4」

 

【1件1,000,000円:総計】

「裏バイト生還率:75%」

 

・備考:黒岩案件その2。『裏バイト』全体でも唯一の例外の架空の仕事。

 仕事そのものの寓喩。仕事を真面目にこなせば生還できる、が、主役2人を残し、20人ほどが全滅。

 「どんな仕事にも意味があり、ひとりひとりが自分の仕事をこなさなければ社会が崩壊する」という信仰そのものが具現化した怪異。つまり、いわゆる神の見えざる手。

 だが、じつはアダム・スミスは『国富論』で「神の見えざる手」という表現を1回しか使っておらず、むしろ市場原理の説明としては誤っている。同様の誤解として、ダーウィンが『種の起源』で「進化」という表現を1回しか使っておらず、進化論の説明としてはむしろ誤っていることがある。「神の見えざる手」という表現は、生物の複雑さに対する創造説のようなものだ。

 「どんな仕事にも意味がある」という民間信仰は、「都会の学者が村の因習を迷信だと言って破壊するが、じつは意味があった」という民俗ホラーの現代版だ。

 

 世論調査会社YouGovによれば、イギリス国民の37%が「自分の仕事には意味がない」と回答。また、同じくスコーテン・アンド・ネリセンによれば、オランダ国民の40%が同回答。

 人類学者のデヴィッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ』で「ブルシット・ジョブ(意味のない仕事)」を5種類に分類。1. お飾り:秘書や受付など。2. 利権屋:ロビイストや企業弁護士など。価値創造ではなく、その分配に関わる。3. 苦情対応 4. 書類作成 5. 事務屋 。

 だが、このすべてに共通することがあり、それはその仕事に意味があると思わせることだ。すなわち、その仕事に意味があるか考えてはならないとする。

 そのため、軍手落としの怪異はその仕事の理由を探る、あるいは考えるものを圧殺する。

 

・第102-104話『コンビニ店員』

【とことこちゃん】:コンビニの常連客だった幼女の霊。

「危険度:0」

「影響範囲:2」

 

【時給69,990円*出勤時間8時間*出勤日数31.0日=17,357,520円】

「裏バイト生還率:100%」

 

・備考:いわゆる泣けるホラーの回。『裏バイト』でほぼ例外のほぼ無害の怪異。逆に、全話通して泣けるホラーの回が今回だけなのか…

 

・第105-107話『図書館スタッフ』

【ムダイ】:裏世界の図書館にある、あらゆる情報の記載された本。帯出を阻む。

「危険度:1」

「影響範囲:2」

 

【時給9,000円*出勤時間8時間*出勤日数13.0日=936,000円】

「裏バイト生還率:90%」

 

・備考:積極的に人間に危害を加える怪異ではない。

 帯出を阻む方法は、大量の情報を流しこんで廃人にするというもの。

 ボルヘスの『バベルの図書館』(所収『伝奇集』)と『砂の本』のようなもの。あまりに多くのことを知ると廃人になるということも、同じく『記憶の人、フネス』(所収『伝奇集』)に書かれている。

 図書館司書の花巻は、表世界でムダイを読むことに成功するが、自分の未来を知って自殺… しようとするも、そのたびに未遂に終わる。

 裏バイトを発注していたのも花巻らしい。地方公務員の給料でよくやる。

 

・第10巻

・第108-110話『美術館スタッフ』

【たつ子】:上坂象太郎の美術品群。目を離すと襲いかかってくる。また、見たものの視界に複写される。

「危険度:5」

「影響範囲:2」

【たつ子(伝染について)】

「危険度:1」

「影響範囲:5」

 

【日給99,000円*出勤日数10.0日=990,000円】

「裏バイト生還率:75%」

 

・備考:ヤムちゃんが準レギュラー化。

 目を離しているあいだに少しずつ動き、ついに襲いかかってくるシンプルな怪異。そのため、ヤムちゃんの視点で原点回帰。

 恐怖心によってショック死させるため、目を離しても、翌日の日中まで寝落ちしていれば逆に無事らしい。

 しかも、そのまま図像は美術品から脱走する。また、関心をもって見たものの視界に複写される。美術館に来館したホラーマニアたちは全滅。

 美術品のモデルはおそらく岸田劉生の『麗子像』。視界の汚染の元ネタはショートフィルムの『消えない』か。

 

・第111-113話『墓参り代行サービス』

【高井津村村民】:無人村・藤吉村の「高井津」の墓石に墓参したものを消す。

「危険度:4」

「影響範囲:3」

 

【日給100,000円*出勤日数2.0日=200,000円】

「裏バイト生還率:50%」

 

・備考:黒岩案件その3。

 『裏バイト』で唯一の例外で、直接的な民俗ホラーの回。被差別部落の高井津村の祟り… と見せかけて、被差別部落は藤吉村のほう。恥と罪悪感は人心を操る典型的な方法だ。

 差別心が霊威になっているため、藤吉村の子孫だと「誤解」されなければ危険ではない。

 

・第114話『動画配信ゲスト』

【しーマン】:裏バイトを人口に膾炙しようとしたものを消す。名称は作者より。

「危険度:-(1)」

「影響範囲:-(5)」

【視聴者たち】:野次馬の怪異。

「危険度:-(4)」

「影響範囲:-(1)」

 

【-】

「裏バイト生還率:-」

 

・備考:1話完結の良回。定点観測の特別演出の回。

 裏バイト… ではなく、裏バイトに関連した普通のバイト。反故になったが、もしあっても報酬は些少な謝礼だけだっただろう。

 "人生乙"。

 

・第115-116『研究助手』

【荒木源一郎】:人格を転写して1000年以上延命してきた科学者。

「危険度:7」

「影響範囲:2」

 

【研究協力費3,000,000円】

「裏バイト生還率:25%」

 

・備考:過去の犠牲者の研究助手が、脱出ゲームよろしく手がかりを残している。だが、荒木がさすがに天才科学者だけあり、裏をかこうとしても裏の裏をかかれて終わったと思われる。その意味で橙だけしか脱出できないだろう。サトリの怪物を倒す方法みたいなもの。

 

・第117-119『スーパーマーケット店員』

【スーパーマーケットの怪人】:日常に終わりがないということを理解したものを仲間にする。

「危険度:3」

「影響範囲:2」

【スーパーマーケット(怪異ではない)】

「危険度:3」

「影響範囲:5」

 

【時給10,000円*出勤時間4.0時間*出勤日数31.0日=1,240,000円】

「裏バイト生還率:50%」

 

・備考:『裏バイト 逃亡禁止』のタイトルに反して、主役2人が自主退職した唯一の回。

 ゲストキャラクターも唯一の例外で名前に色が入っている。

 ただし、逃亡したのは怪異であるスーパーマーケットの怪人からでなく、スーパーマーケットから。

 じつはスーパーマーケットの怪人に害意はない。終わらない日常から人々を解放しようとして、猟奇殺人などの怪事件を起こす。だが猟奇殺人ですら、警察が日常業務として処理してしまう。日常に終わりがないということを理解したものは、スーパーマーケットの怪人に惨殺されるか、自身もスーパーマーケットの怪人になる。

 スーパーマーケットはスーパーマーケット。裏バイトをしているあいだは自身が非日常にいると思えるだろうが、逆に、裏バイトをするようなひとほど日常に絶望しやすいだろう。白浜のほうは何の危険も感じなかったらしい。その意味で『治験』と対になっている。

 "「白田君ダメエエェェェ!!」「どうしてええぇ!? 白田君」「日常は檻なんかじゃないでしょ。檻なんかじゃない。」"。"「日常を檻と感じるのは、あれのせいだわ。抽象的な話じゃない。」「確かに存在してる。たった今、目にしたあれは。」「そう、「あれ」…」「「あれ」に皆、」「スーパーマーケットに、支配されている。」"。

 

 哲学の思弁的実在論の論者が言うところの唯物論的ホラー。ホラー作家、SF作家であるチャイナ・ミエヴィルによると、ラヴクラフトが転機だったらしい。ラヴクラフト以降、怪奇小説は怪奇幻想から、現実が怪奇だということを主題にするようになった(小論「M. R. James and the Quantum Vampire」(所収『Collapse』第4号))。とくに現代の作家ではトマス・リゴッティ(『悪夢工場』)がいる。

 

・第11巻

・第120-22話『公園管理員』

【南光公園】:公園の狭間の空間。

「危険度:3」

「影響範囲:3」

 

【時給6,000円*出勤時間8.0時間*出勤日数3.0日=144,000円】

「裏バイト生還率:70%」

 

・備考:夕暮れの光景で、ノスタルジーによって人々を誘う。ゲーム『トワイライトシンドローム』の「裏側の街」のようなもの。だが、その正体は巨大な蚊の怪異の巣。ノスタルジーも怪異の出すフェロモンによるもの。そもそも、ノスタルジーの対象は実在しない。

 

・第123-125話『仲買人』

【マーマン】:半魚人。同類の臭跡で人間を襲う。名称は作者より。

「危険度:2」

「影響範囲:4」

 

【日給100,000円*出勤日数2.0日+落札ボーナス60,000円=260,000円】

「裏バイト生還率:80%」

 

・備考:いわゆる半魚人。人間が食用に漁獲するため復讐している。知能は低く、臭いを消せば、他の人間と識別できなくなる。だが、いずれ上陸して人間という種族そのものに復讐する。

 "「なんで、」「ここにいる人達と、私達、何が違うの。」「落とせるだけ、落とすわ。お金を手に入れるの。」"。

 インバウンド需要で築地市場が観光資源化を進めているが、魚と獣の違いがあるだけで、屠畜場を開放していることと変わらない。市場化するにも限度があるはずだ。

 

・第126-128話『テーラー(販売スタッフ)』

【-】:-

「危険度:-」

「影響範囲:-」

 

【時給10,000円*出勤時間6.0時間*出勤日数4.0日=240,000円+スーツ一式(現物支給)】

「裏バイト生還率:100%」

 

・備考:今回、裏バイトはあくまで傍観者。ただ、下手すれば警備の金銀兄弟に半殺しにされていた。人皮を消費する社交界の麗賓倶楽部を舞台にした惨劇。一応、肉皮剥離薬という超常的なものが登場する。平山夢明のドキュメンタリーの『異常快楽殺人』によると、顔は鼻翼など屈曲があり、瞼が薄いため、破かずに皮を剥がすことは難しいらしい。

 

・第129-131話「ホテル従業員」

【オサダ】:ホテルの309号室。入室したものを自殺させる。

「危険度:8」

「影響範囲:2」

 

【時給8,000円*出勤時間6.0時間*出勤日数3.0日=144,000円】

「裏バイト生還率:25%」

 

・備考:ホテルものだけあり致死率が高い。309号室に泊まると死ぬどころか、3階に立ちいったものを催眠で入室させる。そのため、3階そのものが封鎖されている。スティーヴン・キングの『1408号室』をより凶悪にしたもの。

 『裏バイト』で唯一の例外である、雇用主が人命優先で自主廃業した例。霊はカス。

 

・第12巻

・第132-134話『引っ越しスタッフ』

【手長足長様】:呪ったものに永久にとり憑く。名称は作者より。

「危険度:6」

「影響範囲:1」

 

【日給100,000円*出勤日数1.0日=100,000円(白浜は2万円減給)】

「裏バイト生還率:70%」

 

・備考:追ってくる怪異。自動車では追いつかれる。顔を見ると死ぬまで呪われる。ただし、顔を見せるときに首を回転させる間があり、また、目を瞑るだけでいい。

 

・第135話『カフェ店員』

【-】

「危険度:-」

「影響範囲:-」

 

【時給9,800円*出勤時間6.0時間*出勤日数1.0日=58,800円】

「裏バイト生還率:100%」

 

・備考:コラボ回でギャグ回。

 時給は桁の発注ミス。流れで悪魔召喚されているが、普通に警察に連行されている。

 

・第136-139話『花火大会準備スタッフ』

【益荒鬼】:空中に浮遊する巨大な頭部。見たものの頭部を破裂させる。

「危険度:9」

「影響範囲:3→4」

 

【日給100,000円*出勤日数2.0日=200,000円】

「裏バイト生還率:70%」

 

・備考:花火大会の観客が全滅する大災害に。作中でもしらかみ様(『自然保護監視員』)に言及しているが、伝承で疫病と伝えられているだけあり、移動性なのがより悪質。伊藤潤二の『首吊り気球』に「見るなの禁忌」が合体したようなもの。

 人身御供の霊が怨霊と化すという定番の裏をかいて、本当に守護霊になっている。

 "「でもねハマちゃん、私 今、思った。これからも私 きっと大勢の人を助けられないけど、」「ハマちゃんの事は、絶対死なせないから。」"

 

・第139-140話『百葉箱記録員』

【百葉箱】:付近の時空間が乱れる。

「危険度:0」

「影響範囲:3」

 

【日給200,000円*出勤日数1.0日=200,000円+交通費20,000円(別途支給)(各々、北海道と佐賀県から復路のみ)】

「裏バイト生還率:100%」

 

・備考:3つの百葉箱。異なる時間と空間を観測するためのもの。藍川の予想によれば、元々は異時間の観測用と、異空間の観測用の横並びの2つだけだった。この2つは出力器。そこに異空間への入力器となる、手前の1つを新設した。

 つまり、異空間に逃亡するような未来を百葉箱で見た。が、その百葉箱の中は暗黒。黒嶺はその中の自分に「許さない」と言われる。

 入力器は失敗作。百葉箱の中にあった集合写真と思われたものは、転送に失敗した空間そのものだった。

 百葉箱の影響で付近の時空間も乱れている。が、危険はない。

 

・第141-143話『樹海捜索員』

【樹海生命】:遭難者を捜索するものを首吊り自殺させる。また、遭難者に擬態して、人間社会に播種する。

「危険度:9」

「影響範囲:3→5」

 

【日当800,000円(全額)】

「裏バイト生還率:10%」

 

・備考:黒岩案件その4。

 主役2人が逃れられなかった怪異の1つ。白浜と黒嶺は首吊り心中しかけるも、互いの死を拒絶して、数瞬の差で助かる。

 熟練の裏バイター2人も死亡。

 結末は映画『エイリアン』。怪異の造形もフェイスハガーとチェストバスターを想起させる。

 首吊り死体の縄や、大樹の蔓に見えるものは怪異の臍帯。首吊り自殺したものは養分になるらしい。

 樹海の中心には民家の幻影があり、遭難者はその中にいる。遭難者は怪異を懐胎する。半透明の皮膜で内部の胎児が見える。

 だが、誕生する嬰児は遭難者自身。その個人になり代わり、人間社会に浸透する。胎児の造形は映画『 ボディ・スナッチャー』。結末も、将来的には『 ボディ・スナッチャー』のそれになることを示唆している。

 胎児の誕生後には、首吊り自殺させられたものは、蓑虫のような怪異に変態する。

 じつは樹海全体が羊膜で覆われている。また、捜索隊の派遣そのものが怪異の催眠だったと思しい。

 黒嶺の嗅覚が働かなかったのは、エヴァルス(『農業手伝い』)と同じく、生態系そのものだったからだろう。

 

・第13巻

・第144-146話『おもちゃ屋スタッフ』

【スマイリー・ガウチョくん】:着ぐるみ大の人形。笑顔以外の表情を見せると、食べられてぬいぐるみに変えられる。(*社会現象になった同名のおもちゃ。持つものを強制的に笑顔にする)

「危険度:5(*1)」

「影響範囲:2(*5)」

 

【時給10,000円*出勤時間6.0時間*出勤日数22.0日=1,320,000円(数日間の夜間警備は給料不払い)】

「裏バイト生還率:90%」

 

・備考:ゲーム『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ』や、そのパロディの映画『ウィリーズ・ワンダーランド』のような、着ぐるみ恐怖症を思わせる怪異。笑顔でいるものには危害を加えられないらしい。

・「おもちゃの長嶋屋」の亡霊…スマイリー・ガウチョくんを使役しているつもりの傀儡。低級霊。

・というわけで、スマイリー・ガウチョくんの正体は人を強制的に笑顔にする怪異。撃退しても、また別のマスコットに変異する。ニコラス・ケイジに倒されたりはしない。

 笑顔の強制という恐怖には映画『スマイル』がある。

 

・第147-149話『天体観測』

【スター・マン】:宇宙の外側を知ろうとするものに知識を授ける。知識を得たものはアセンションする。また、深く関わると発狂する。

「危険度:2」

「影響範囲:5」

 

【日給210,000円*出勤日数5.0日=1,050,000円】

「裏バイト生還率:100%」

 

・備考:

・宇宙ジャンボ餃子論…光速度不変と対称性の2つの前提から、特殊相対性理論が導かれる。極限を定め、可微分多様体を仮定すれば、さらに一般相対性理論が導かれる。一般相対性理論からブラックホールの存在が導かれ、ここから宇宙の創成についてのインフレーション理論や無境界仮説が導かれる。つまり、科学を観測と数学による定式化の営みとするなら、人間の知識は光速の範囲を超えない。しかも、そうして得られた宇宙の描像は、つねに決定論的だ。だが、そうした科学の営みこそが人間の自由と尊厳なのだ。

 宇宙ジャンボ餃子論は、おおむね『ホーキング、宇宙を語る』やワインバーグの『宇宙創成はじめの3分間』などの宇宙論の一般書の内容そのもの。

 逆に、科学で得られる以上の知識を得れば、人間以上の存在にアセンションすることになる。換言すれば、人間でなくなる。

 スター・マンが接触してくるときに、副次的に、人間でも理解可能な知識を受信する。宇宙ジャンボ餃子論もその一端らしい。

 外宇宙の概念と、人間が最後まで科学的な態度を取りつづけることはラヴクラフト的。

 

 レッシングの言葉を引用すれば「あらゆる真理の知識か、生涯の真理の探求なら、後者を選ぶ」(本当はコメディドラマの『ヤング・シェルドン』からの孫引き)。

 

・第150話『売り子』

【即売会】:異形たちの即売会。

「危険度:5」

「影響範囲:2」

 

【日給350,000円(全額)】

「裏バイト生還率:80%」

 

・備考:人間だと気づかれないため、覆面を外してはいけない。橙は覆面を外すが、はじめて柱の男と対峙したときのジョセフ・ジョースターのような姿勢だったため無事生還。ジョースター家のような黄金の精神を持っていなくても、覆面を外さなければいい。

 

・第151-152話『薬局スタッフ』

【大縄薬局の幽霊】:幽霊。ただ居ることしかできない。ただし、意識のない人間に憑依できる。

「危険度:1」

「影響範囲:1」

 

【時給8,000円*出勤時間6.0時間*出勤日数27.0日=1,296,000円】

「裏バイト生還率:30%」

 

・備考:珍しく自主退職している。しかも無断。給与も当月払いでなければ取り損ねるところだった。ただし、逃げたのは人間から。幽霊は何もできない。

 

・第153-155話『警備保障会社スタッフ』

【大倉さん】:人間の恐怖に反応し、その人間を自殺させる。

「危険度:6」

「影響範囲:2→5」

 

【時給7,000円*出勤時間12.0時間*出勤日数30.0日=2,520,000円】

「裏バイト生還率:10%」

 

・備考:ついにきた事故物件もので、2度のツイストがある。主役2人が逃れられなかった怪異の1つ。

 アパートの住人を自殺に追いこむ。しかも、周期的に暴走する。

 じつはアパートは盗撮カメラが仕込まれ、会員制のリアリティショーにされていた。作中で1ヶ月が経過していることと、3交代制勤務で出勤日数が30日であること、入居者の募集の期間を考えると、暴走の周期は3ヶ月ほどか。

 大倉さんから逃れる方法はないが、恐怖心を持たないものには反応しない。

 暴力で対抗できるように見えるが、実際には「暴力で対抗できる」と思っていることで、恐怖心が弱まり対抗できている。意識的に恐怖心を弱めることはできないため、本質的には対抗できない。

 

・第14巻

・第156-158話『探偵助手4』

【地獄の入口】:廃ビルに開いたまま放置されている。幻覚で人々を誘いこむ。

「危険度:3」

「影響範囲:2」

 

【日給550,000円*出勤日数1.0日=550,000円】

「裏バイト生還率:75%」

 

・備考:今回は『ヘルレイザー』シリーズなどの、シュルレアリスム絵画風の地獄。

・「探偵助手」の勤務内容はほぼ便利屋のこともあるが、今回は浮気調査。

 

・第159-160話『遺品整理』

【呪具】:リスのマスコット。近づくと死ぬ。しかも追いかけてくる。

「危険度:8」

「影響範囲:1」

 

【日給300,000円*出勤日数1.0日=300,000円】

「裏バイト生還率:50%」

 

・備考:呪具コレクターである赤川・八木姉弟の父親が所持していたもの。父親は畜牛の体内から発見される。走って追いかけてきて、そのまま逃げたと思われる。そのため詳細不明。

・八木探偵の来歴…有栖川有栖の『月光ゲーム』から引用すれば「ミステリの本質は幻想小説。その源は謎への郷愁だよ、アリス君」。八木探偵は在学中に競馬に溺れ、闇金に手を出したことも同じ理由で説明しているが。

 

・第161-163話『花屋スタッフ』

【ドリーミン・フラワー】:願いをもつものを取りこみ、夢を見せる。

「危険度:4」

「影響範囲:1」

 

【日給300,000円*出勤日数2.0日=600,000円】*

「裏バイト生還率:100%」

(*勤務地が「○○県 フラワーガーデンSAGA近辺」となっているため、おそらく勤務内容は探偵助手)

 

・備考:集合恐怖症と昆虫恐怖症の表現があるが、すべて花屋店主の佐賀の夢。

 本人の命を代償に夢を見せるが、第三者に影響はない。

 物語は古典の映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の裏読みになっている。

 

・第164-167話『探偵助手5』

【気体】:治安の悪さで有名な東弥地区に充満する気体。

「危険度:3」

「影響範囲:4」

 

【成功報酬5,000,000円(全額)】

「裏バイト生還率:10%」

 

・備考:主役2人が逃れられなかった怪異の1つ。殺されることはないが、永遠に東弥地区で路上生活を強いられていた。金銀兄弟の協力により脱出。といっても、脅威は怪異というより人間。『裏バイト』で唯一、平山夢明や福澤徹三の実話怪談風の話。

 貧困地域が形成されるもっとも一般的な理由は自己成就的予言。19世紀ロンドンで疫病が流行した理由は公衆衛生の問題だったが、瘴気説が唱えられていた。そして、瘴気説が通説であるあいだは公衆衛生の問題は解決しなかった。東弥地区の気体はその瘴気が現実になったようなもの。つまり、犯罪と貧困に対する「あそこは○○地区だから」という同語反復的な言説が気体の正体。正体を探ろうとすると、最後には見返してくるのはそのため。

・「探偵助手」の勤務内容はほぼ便利屋のこともあるが、今回はペット探し(という名目の人探し)。

 

・第15巻

・第169-171話『コンサートスタッフ』

【希美】:バンド「The KINGDOM」にとり憑いたグルーピーの女性の怨霊。

「危険度:4」

「影響範囲:1」

 

【日給350,000円*出勤日数1.0日=350,000円】

「裏バイト生還率:90%」

 

・備考:「The KINGDOM」は解呪の儀式としてライブを決行。見ると累が及ぶため、規制線を張るコンサートスタッフは背後をふり返ることができない。

 

・第172-174話『船舶乗務員』

【神の子】:到達不能極のような地点に建つ十字架。目にしたものは罪の意識に目覚める。

「危険度:0」

「影響範囲:5」

 

【-】*

「裏バイト生還率:100%」

(*黒嶺不参加のため収支不明。勤務期間は14日間前後)

 

・備考:黒岩案件その5。

 哲学者のミシェル・フーコーは『知への意志』で、キリスト教の告解は罪を宥恕するのではなく、ありもしない罪を捏造するものだと喝破。船長の胸糞を見れば、そのことはよく分かるだろう。

 戦争、環境破壊、その他の悪徳は人間が自身の責任で行っていることで、罪や善悪のような宗教的な観念を持ちだすことは思考停止だ。

 黒嶺が登場しない番外編。

 メタ読みすれば、黒嶺が登場しないのは危険な怪異ではないから。

 

・第175-177話『昆虫研究助手』

【ヌグベチ】:超知性をもつ昆虫。

「危険度:7」

「影響範囲:5」

 

【日給100,000円*出勤日数11.0日=1,100,000円】

「裏バイト生還率:50%」

 

・備考:ついにきたナチュラルホラーの昆虫もの… で、脅威が知性だというツイストがされている。昆虫も襲ってくるが、ヌグベチが凶暴化させたもの。

 外見は第247話で初登場。

 

・第178-180話『新公団住宅管理員』

【団地の幽霊】:公団の住人と入れ替わる。

「危険度:8」

「影響範囲:3」

 

【日給100,000円*出勤日数7.0日=700,000円】

「裏バイト生還率:100%」

 

・備考:神回。

 映画監督の黒沢清は『岸辺の旅』で「本物の幽霊は幽霊だと識別することができない」という哲学を表した。

 集合住宅と替え玉というテーマは宮部みゆきの『理由』以来のもの。

 というわけで、公的に賃貸・分譲契約を締結した入居者だけに関わるため、部外者には関係しない。

 

・第16巻

・第181-183話『カラオケ店員』

【だんご】:カラオケ店の17-20時に出没し、客や店員をとり込む。とり込まれたものは存在自体が消失する。

「危険度:5」

「影響範囲:2」

 

【時給30,000円*出勤時間3.0時間*出勤日数1.0日=90,000円】

「裏バイト生還率:50%」

 

・備考:籠城して魔の時間が過ぎるのを待てば、凌ぐことができる。なお、とり込まれたものは歴史と記憶から消失するため、怪異そのものは別として、怪異の被害は記憶されない。

・忘れること…石岡学の『みんなの〈青春〉』によれば、いわゆるキラキラ青春映画は「青春は忘れられる」ということまで含めて定型らしい。

 

・第184-186話『参拝案内』

【太空神社の祭神】:あらゆる呪詛を御祓いできる。

「危険度:0」

「影響範囲:2」

【池内康太の幽霊】

「危険度:2」

「影響範囲:1」

 

【日給1,000,000円(全額)】

「裏バイト生還率:100%」

 

・備考:モデルは東峰神社。参拝すればあらゆる呪詛を御祓いできる。だが、救済に値しない参拝者は参拝を始めたときに戻される。しかも、そのたびに参道の距離が伸びる。

 黒嶺の反応からして、太空神社の祭神、炁神、おおいなるものの3柱の神格は作中でも最上位の存在らしい。

 参道を来る神子らしい存在や、祭神そのものを見ると神罰を下すが、善神。

 御祓いの依頼者は犯罪者であることが多いため、神社が警察と情報共有しているという設定が面白い。

 

 児童誘拐殺人犯の保科周一は、被害者の池内康太に呪われる… が、とことこちゃん(『コンビニ店員』)などの例を見るに、御祓いしなければ、霊障は常識の範疇だったと思われる。

 呪詛や怨恨を消すと、かえって状況が悪化するということは、のちのセレモニースタッフの話でも。

 

・第187-189話『家庭教師』

【母慈臓】:地蔵。子を蘇生させる。母の命を代償にする。母慈臓の下でひと晩を過ごした女性は母代わりになる。

「危険度:2」

「影響範囲:1」

【塙家父】:小人のオッサン。

「危険度:2」

「影響範囲:1」

【塙家母】:巨人のオバサン。

「危険度:7」

「影響範囲:1」

 

【日給150,000円(全額)】

「裏バイト生還率:30%」

 

・備考:ギャグ回。

 母慈臓は母代わりを交代していくことができ、危険は小さい。

 塙家父はホラーの子供ものの定番。ただの小人のオッサンだから、正体が分かれば脅威ではない。

 塙家母が現れた家はバーバヤーガの小屋さながら。そんなものが日本の住宅地にあるなよ。

 

・第190-192話『宅配サービス』*

【家】:家。人間に住もうとする。

「危険度:7」

「影響範囲:2」

【家守台】:時空間の混乱した住宅地。

「危険度:7」

「影響範囲:3」

(第198-199話『宅配サービス2』に後日談)

 

【日給120,000円*出勤日数7.0日=840,000円】*

「裏バイト生還率:10%」

(第202話より。『宅配サービス』は恒例の(裏)帳簿はなし)

 

・備考:ついに訪れたバッドエンドの回。

 より危険なのは家守台のほう。空間の迷宮化、時間のループ、幻覚と、異界のハイエンドになっている。異界化は家が動くことで物理的な矛盾が生じているため。最深部は家すら近づかない。帰る場所をもたないものは脱出不能。そのため、白浜は行方不明に。

 家に住まれたものは亡霊のような存在になる。そうでなくとも、家が動きまわるだけで危険。

 矢玉四郎の黒い児童文学の『ねこの手もかりんとひとつ』の「家が家出する」を思いだす。

 

・第17巻

・第193-197, 200-202話『宗教法人スタッフ』

【炁神】:万能の神。

「危険度:0」

「影響範囲:5」

【出水翠】:炁神が降りた人間。

「危険度:8」

「影響範囲:4」

 

【日給200,000円*出勤日数4.0日=800,000円】

「裏バイト生還率:10%」

 

・備考:最終章を除けば『裏バイト』で最大の長編。

 黒嶺も白浜父の協力と偶然がなければ脱出できなかった。

 

 カルトについて明確にしておこう。

 リフトンの『思想改造の心理』がカルトを定義している。1. 指導者の神格化 2. 洗脳 3. 上位からの操作と搾取を伴う自発的な階層構造 の3条件だ。

 洗脳は8基準で定義している。1. 環境コントロール:情報の遮断。 2. 神秘的な人間操作:神秘的な理想主義。 3. 純粋性の要求:罪悪感と羞恥心による純潔主義。 4. 自白の信仰:4-1. 浄化・内面を空にする 4-2. 自己放棄・環境との同化 4-3. 罪悪感と羞恥心による全面的暴露の欲求(カミュの『転落』が描くとおり、自白者は本当は自白せず、罪、恥、その他、貴重なものである秘密を抱える) 5. 神聖な科学:科学の代替物。 6. 特殊用語の言語:自己完結的なクリシェ。複雑な諸問題をきわめて短い言葉に還元する。 7. 教義の優先:生活より優先。 8. 存在の権利の分配:存在の可否を決定。

 注意すべきは3番目の条件だ。つまり、ただの宗教団体や霊感商法の集会はカルトではない。白明炁神論はしっかりカルト。

 規模の大きいカルトは設立当初からビジネスマンが関わっているということも、実例のとおり。

 

 白明光子が戯れに神の権能を見せたおかげで、白浜は帰還。

 だが、最終的に出水翠が依代に選ばれる。炁神は依代を選ぶだけで、直接的に干渉することはない。

 かくして白明炁神論教は無を信仰する本物の宗教団体になる。

 つねに無は有に勝るということは、分析哲学が証明した真理(デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった:存在してしまうことの害悪(Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence)』)。なぜ、つねに恐怖と不安が存在する世界で生きるのかということは、『裏バイト』全体のテーマ。

 

・第18巻

・第204-206話『オークション会場スタッフ』

【呪物の群れ】:呪具、に見えてじつは自らが意思をもつ。

「危険度:8」

「影響範囲:2」

 

【日給500,000円(全額)】

「裏バイト生還率:100%」

 

・備考:平山夢明の『メルキオールの惨劇』の事故物品を思わせる呪物の群れ。

 オークションそのものが、出品物が入札参加者を落札する怪異と化している。

 明らかにカタログに掲載されていない、先史文明の人類約80億人を絶滅させた呪物「(表記不能)」まで出現する。

 入札参加者は呪物コレクターではなく、呪具として使用するためオークションに来場している。

 呪物に落札されなかった入札参加者は全員死ぬ。黒嶺は危険を察知するも、洗脳される。競売人はオークションのために生かされる。

 

・第207-209話『アドマン』

【黒陽様】:東京の土地神。生贄を代償に東京を繁栄させる。

「危険度:7」

「影響範囲:4」

 

【日給750,000円(全額)】

「裏バイト生還率:75%」

 

・備考:山手線沿線で「捧」の字をかたどり、その付近の人間を供犠に捧げる儀式。供犠は黒陽様の図像を見たものから選ばれる。

 Qが広告という手法を案出。不特定多数から無作為抽出した個人に影響を与えるという、広告そのものを具現したような儀式になる。

 黒東京会という秘密結社が主宰。東京を目的にしているあたり、土地開発の関係らしい。

 儀式の実行者も供犠になりうるが、黒陽様は天から地上を見ているらしく、地下にいれば無事。

 

・第210-212話『テスター』

【うらうらちゃん】:裏バイト用アプリのβ版。

「危険度:3」

「影響範囲:1」

 

【日給250,000円(全額)】

「裏バイト生還率:80%」

 

・備考:怪異を「封印(フリージング)」するという仕様で開発されたが、バグで使用者をデータ化する。

 『ラーメン赤猫』と一方的にコラボ。

 

・第213-215話『コンパニオン』

【天使】:葡萄踏みをした若い女とその果汁を供物に、文字どおり死ぬほどの快楽を与える。

「危険度:2」

「影響範囲:1」

 

【日給900,000円(全額)】

「裏バイト生還率:50%」

 

・備考:ルネサンス絵画の美神のような怪異。1. 生贄となる若い女を告げる 2. その女が葡萄踏みをする 3. 1の女と面会し、捕食する 3'. ただし、2の前に1の女と面会した場合、その女は溶解する という複雑なプロトコルがあり、ほぼ人間とは中立。

 1の女の人数に相当する参加者の人数に快楽を与える。が、3で人数に不足があった場合、参加者全員に死ぬ以上の苦痛を与える。というか死ぬ。

 いかにもな秘密クラブが主宰。快楽を得るための猟奇的なことはやり尽くしたらしい。

・マッズ!…『寿エンパイア』の寿司職人、児島渡の啖呵。なお、啖呵として言うだけで、見るからに不味いものは黙々と食べる。児島の活躍をまとめた番外編『寿司職人『児島渡』』は好評発売中。この単行本、塩が効きすぎだ!

 

・第19巻

・第216-218話『新聞配達』

【座敷童】:禍福を司る。

「危険度:2」

「影響範囲:3」

 

【日給100,000円*2.0日=200,000円】

「裏バイト生還率:80%」

 

・備考:最後の橙回。崎村、ヤムちゃんも登場。

 禍福を司る地蔵の福の部分だけを封印すれば、禍福は均衡を保つため、地蔵がもたらした禍の分の福を横奪できるという設定が面白い。

 

・第219-221話『解体作業員』

【墳墓】:「黒岩」を安置した建物。順路を誤ると死ぬ。

「危険度:8」

「影響範囲:2」

 

【日給1,000,000円(全額)】

「裏バイト生還率:10%」

 

・備考:最後の黒岩案件。

 「バックルームズ」のような内壁で区画化された建物。じつは迷路で、順路を誤ったものを箱にする。

 映画『CUBE』の「終わりのない忘れられた公共事業だ("This is an accident, a forgotten, perpetual public works project.")」というセリフそのもの。

 現場にいる建設作業員たちは、公共事業を受注しただけの、普通のゼネコンや下請けの社員らしい。普通の建設作業員たちだけに、白浜と黒嶺を拍手で迎える場面が不気味なのだが。

 ただ、『CUBE』と異なり、盗掘を防止する迷宮という意味がある。

・黒岩…日本を鎮護する人柱の家系。死体が箱になって厄災を封じこめる。それが黒岩。

・黒岩さん…ただの良い人。

 

・第222-225話『デパートスタッフ』

【エイリアン】:人間を食品にしている。

「危険度:8」

「影響範囲:2」

 

【日給50,000円*出勤日数13.0日=650,000円】

「裏バイト生還率:10%」

 

・備考:最後の裏バイト。それだけにかなり怖い。生還率はすでに何度も下限に達しているが、最後にしてコストパフォーマンスで下限を更新してきた。

 買い物客をダンボール箱の中で縮小して閉じこめ、そのまま運びださせる。しかも、最終日には店員も全員捕らえる。白浜と黒嶺が助かったのも幸運による。

 「消費せよ」の元ネタは映画『ゼイリブ』。だが、宣伝するのが人間でなくエイリアンのほうだというツイストがある。

 最終日にデパートの入口から逃げると、70年代のSF映画・ドラマ風の視覚効果のもと、エイリアンの世界である異次元に転送される。エイリアンも70年代の特殊メイク風。

 映画監督の白石晃士曰く、本物の地獄はチープなCGのようなもののはず。

 

・第228-230話『フィクサー』*

【さる】:猿人。山に棲息。

「危険度:7」

「影響範囲:3」

 

*「メッセンジャー」

・備考:山中に写真を貼ると、その人物を供物だと思って攫う。

 

・第234-236話『フィクサー2』*

【蜘蛛】:巨大蜘蛛。奇病を流行させる。

「危険度:8」

「影響範囲:4」

 

*「下水道調査員」

・備考:孵化すれば覚醒黒嶺でも手に負えないが、孵卵中は無防備ということで倒される。

 

・第240-243話『フィクサー3』*

【記乃霊園】:死者と会うことができる。または、死者を殺すことが。

「危険度:1」

「影響範囲:2」

 

*「墓地管理」

・備考:白の扉から入る霊園では死者と会うことができる。赤の扉から入る霊園では死者を殺すことができる。殺された死者は歴史と記憶から消滅する。だが、弔問客だけのこと。

 セレモニースタッフの仕事は錯乱した弔問客を制止すること。

 じつのところ、死者は生者と一体化していて、その存在を消すと欠損が生じる。

 

・第237-239話『私的用件2』*

【呪いのビデオ】:呪いのビデオ。

「危険度:5」

「影響範囲:1」

 

*「ダビング」

【1件20,000円*10件=200,000円】

 

・備考:高校時代の赤川と藍川がした裏バイト。呪いのビデオを見ながらダビングする。依頼は10本だったにもかかわらず、赤川が売却目的で11本目をダビング、今まで蔵匿してきたことで黒嶺弥生を倒す最終兵器になる。

 最初におぼえた呪文でラスボスを倒す展開みたいでアツい。

 映画『リング』に対する、最後の1人が呪いのビデオを見たらどうなるのか、という疑問への答えでもある(原作では呪いのビデオの正体はウイルスのため、疑問はない)。

 映画『リング』の呪いのビデオは、いわば民法における到達主義だが、『裏バイト』の呪いのビデオは発信主義のため、効力が保留になる。

・裏バイト…高校時代を通じて赤川と藍川は裏バイトに励む。だが、呪いのビデオのダビング以外は超常現象が関係しない、実話怪談系の裏バイトだったらしい。藍川曰く、脳が腐る。

 じつは白浜と黒嶺が超常現象が関係する裏バイトばかり斡旋されていたのは、黒嶺弥生の陰謀だった。

 本来、超常現象の発生率が現実とそれほど変わらないことは、呪具コレクターである赤川・八木姉弟の父親が最近まで無事だったことで示されている。

 

・第247話『決算報告』

 

【出水翠】…空間の一部を消滅させる。「四国九・九事件」というものを起こしたらしい(第242話)。

【マダライツヅ】…人間を壁の黒い染みにする。「東北事変」というものを起こしたらしい(同上)。

 

【イム】:歩く巨大な仏像。人間から命だけを奪うらしい。

「危険度:6」

「影響範囲:5」

・備考:黒嶺は弟妹と待ちかまえていた節がある。イムは御仏ではないが、終末の日に死は救済。

 

【ピンバッジ】:時空間を混乱させる(最終話)。

「危険度:5」

「影響範囲:8」

・備考:登場場面は映画『サイン』のニュース映像を思わせる。最終話で再登場。

 

【ビッグガール】:巨大怪獣。

「危険度:9」

「影響範囲:5」

・備考:映画『シンクロナイズドモンスター』を思いだす。映画も数百人を圧殺してハッピーエンドらしく終わっているから、たいがいホラー。

 

【呼称なし】:人間を変異させるが、認識不能なため詳細不明。

「危険度:9」

「影響範囲:5」

 

・【Q】

…研究機関、ではなく、学会のような研究機関と研究者の定期的な集会。『多重人格探偵サイコ』のガクソみたいなもの。"「ガクソは統一した意志を持たないリゾームですからね つまり階層化されたツリー状の組織が頂点に立つ者の意志で動くのに対して ガクソは個々が自立した組織体ということです」「何をエラソ〜に難しく説明しやがって よーはみんな自分勝手に行動してるってだけじゃねーか!!」"(『多重人格探偵サイコ』第9巻)。

 

・【黒嶺弥生】

…100万年前に生まれた最初の幽霊。

 人間が死を否定したことで誕生した。

 その現実との亀裂が100万年かけて広がり、人類は破局を迎えることになる。

 

 死の否定とはいわゆるビッグ・ヒストリーの用語で言うところの認知革命。死を認識したことで、人類は遺伝子(ジーン)だけでなく知伝子(ミーム)を伝えるようになった。言語はおよそ200万年から、考古学的な証拠のある7万年前のあいだに誕生した。

 だが、認知革命は現実と虚構、表と裏が分離することでもあった。動物なら、外敵に表と裏の区別はない。また、人類は本能的な闘争・逃走反応だけでない、恐怖と不安の感情ももつようになった。

 そうして高度に精神的な存在になってなお、人類は肉体労働、底辺の仕事を行わなければ生きることはできない。

 だから、黒嶺弥生がマージナルで、精神と肉体の違いのない裏バイトの従事者に倒されることは平仄が合っている。

 

 黒嶺弥生自身はただの他人に憑依する幽霊で、とくに強くはない。

 だが、一度流出したウイルスを完全に駆除することはできないように、根絶することは難しかったらしい。



若島正による『アクロイド殺人事件』の擁護とピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』への勝利

※『アクロイド殺人事件』のネタバレ注意

 

 若島正の『明るい館の秘密』(所収『乱視読者の帰還』)は、クリスティの『そして誰もいなくなった』の評論として名高い。
 『明るい館の秘密』は『そして誰もいなくなった』の叙述を分析するものだ。対して、まさに叙述そのものが問題の『アクロイド殺人事件』の評論である、『クリスティと麻雀の夕べ』(所収『乱視読者の新冒険』、初出『ミステリマガジン』1990年7月号)は引用されることが少ない。
 『クリスティと麻雀の夕べ』は『アクロイド殺人事件』の第16章「麻雀の夕べ」で、シェパード医師が天和を和了したことが、作品そのものの象徴になっていることを指摘するものだ。つまり、「天和(原文で"Perfect Winning")」と同様に、開始時点で勝者が決まっている「完全犯罪(Perfect Crime)」だということだ。
 詰め将棋の名手、暗号解読の達人である若島にしては、この指摘は平凡だ。しかも、議論が百家争鳴である『アクロイド殺人事件』の評論だから、なおさら鈍く感じる。
 だが、そう思うのは早計だ。

 

"
 ちょっとのあいだ私は答えなかった。私は圧倒され興奮しきっていたのだ。こういう満貫があるということは、本で読んで知っていた――配牌のままで上がっていたのだ。しかし、自分にこんな手がつくなんて夢にも思っていなかった。
 私は勝ち誇る気持ちをおさえて、自分の牌をテーブルにひろげた。
「シャンハイ・クラブでいう天和の満貫というやつですよ」
 大佐の目が、いまにも飛び出しそうになった。
「これは珍しい。こんな手にお目にかかったのは、はじめてですよ」"(『アクロイド殺害事件』大久保康雄訳、pp.236-7)

 

 天和の確率は日本式麻雀で約10万分の1だ。『アクロイド殺人事件』における麻雀のルールがいかなるものであれ、きわめて稀であることは確かだ。
 『アクロイド殺人事件』の叙述のルールは虚偽は述べないというものだ。なら、叙述者(ナレーター)であるシェパード医師にとって、自身が犯人であることを暗示する奇跡が起きたことになる。
 無論、そのような稀な出来事をただの偶然として認めることはできない。偶然を認めるなら、あらゆる推理が意味をなさず、推理小説は成立しないからだ。
 だから、天和の奇跡はキリスト教的な奇蹟であり、『アクロイド殺人事件』には作者、すなわち創造主である神が存在するというクリスティの宣言だ。『クリスティと麻雀の夕べ』が指摘するのはそのことに他ならない。

 

※『カーテン』『終わりなき夜に生れつく』のネタバレ注意

 

 ピエール・バイヤールは『アクロイドを殺したのはだれか』で間テクスト理論に基づき、『アクロイド殺人事件』の別解を提示する。そもそもポワロのシリーズは解決について、解を提示するが、その一意性は証明しない。
 だが、『クリスティと麻雀の夕べ』によれば、ポワロは神の恩寵を受けている。つまり、麻耶雄嵩の言葉を借りれば、ポワロは無謬なのだ。
 クリスティはのちに『終わりなき夜に生れつく』を発表する。これは『アクロイド殺人事件』における叙述者犯人というトリックの 1. 記述者の性格が犯人らしくない 2. 作品を記述する動機がない という問題を解消したものだ。
 だが、バイヤールが指摘するとおり、記述者が精神異常者なら、そもそもその記述は信じられない。つまり、『終わりなき夜に生れつく』は神が不在の世界の物語だ。
 おそらく、転機は『カーテン』の執筆年だ。『カーテン』は探偵犯人のトリックだが、預言者である探偵が真実を偽るのなら、もはや作中に真理は存在しない。
 シリーズの後期作で、ときどきポワロはカトリック教徒であることを主張する。それは神の恩寵を失ったためだ。なぜなら、回心するのは、奇蹟の力をもたないものだけだからだ。
 バイヤールの『アクロイド殺人事件』の別解は、作品が 1. ポワロ対マープル 2. 探偵犯人 だったということの迫力による。
 だが、ポワロが『カーテン』で神の恩寵を失ったなら、逆に、それより以前の作品では無謬のはずだ。よって、ポワロがマープルに敗北し、誤って無実のものを自殺に追いこんだという解釈は成立しない。
 若島は『クリスティと麻雀の夕べ』というささやかな小論で、すでにバイヤールを論破していたのだ。

 

真門浩平著『ぼくらは回収しない』書評 - フーダニットがホワイダニットになるとき -

※有栖川有栖『双頭の悪魔』、『月光ゲーム Yの悲劇'88』と、エラリー・クイーンの国名シリーズおよび『Yの悲劇』のネタバレ注意

 

 真門浩平『ぼくらは回収しない』は素晴らしい短編集だ。

 とくに『速水士郎を追いかけて』は2025年度の『本格王』にも採録されている。2026年度の『本格王』は本格王の推協賞化、本格ミステリ作家クラブの推理作家協会化ともいうべき、国内文芸市場の衰退を反映しているが、2025年度はまだ孤塁を守っている。

 『ぼくらは回収しない』は本格の美風をもつ。同時に、心理描写に重きを置いている。

 しばしば本格と心理主義は相容れないと言われる。その正否を確認しよう。

 

 『ぼくらは回収しない』が採題するのは民間心理学だ。『カエル殺し』の「蛙化現象」と、『速水士郎を追いかけて』の「HSP」だ。民間心理学がそう呼ばれるのは、科学的に反証されるからだ。とくに「HSP」は熊本大学の菊池哲平教授などに公式に反証されている。

 だが、仮説の真否は仮説そのものの論理的な成否とは異なる。逆に、局所性の条件のもとで、仮説の真否と仮説そのものの論理的な成否は一致する。言うまでもなく、小説の範疇は大域的でなく、局所的だ。

 例えば、蛙化現象は同時代的な俗語だが、すでにシルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』に書かれている。

 

"

 もし、そうだったとしても私のことを好きになったとたんに、彼も普通の人になってしまうのだろうか? 私のことを愛していると言ったとたんに、私は次から次へと彼の欠点を見てしまうのだろうか? ちょうど、彼の前に出会ったバディやほかの男の子たちがそうだったように。

 同じようなことが何度も何度も起こった。

 遠くのほうで完璧な男の人を見つけたとしても、その人が近づいてくるなり、全然だめだと思ってしまう。"(青柳祐美子訳、p.114)

 

 真理が不可知であるということは推理小説そのものの問題だ。

 とくにアンチ・ミステリーとして有名なのは、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』だ。『薔薇の名前』の名探偵であるバスカヴィルのウィリアムは、「オッカムの剃刀」のウィリアムから命名されている。

 エリオット・ソーバーの『オッカムのかみそり 再節約性と統計学の哲学』から認識論を確認しよう。

 統計学で真理の確証は尤度による。だが、それは仮説間の尤度の関係により、尤度の値そのものに意味はない。そもそも、仮説そのものの確証も、仮説とその否定との比較でしかない。そのことがとくに顕明なのは、最尤法では偽陽性が高くありうることだ。

 だから、ベイズ推定のほうがより真理に近い。だが、ベイズ推定は正しい確率の知識を前提とするため、ベイズ推定が真理を表すということは循環論法だ。とくに未知の仮説を反映することができない。

 これがミステリーにおける「フーダニットはつねにハウダニットで反証される」ことの問題だ。とくにフーダニットがアリバイによるとき、このことは顕名だ。

 哲学でこの問題はヒュームの「斉一性の仮定」に遡る。帰納法はつねに斉一性の仮定を要求する。帰納法は結論先取にならざるを得ない。そのため懐疑主義を免れることはできない。また、経験主義もその問題を遷延させるだけだ。これに対し、パースは発見法(アブダクション)が単純性を前提とするだけだとした。

 

 エラリー・クイーンの国名シリーズで、フーダニットはアリバイによらない。最高傑作として名高い『オランダ靴の謎』はとくにそうだ。

 だが、これはハウダニットで反証されないとして、「フーダニットはつねにホワイダニットで反証される」ということだ。

 推理小説において、フーダニットはハウダニットやホワイダニットに対し、より純粋で美しいとされる。だが、それは逆で、ホワイダニットとハウダニットによる条件の残差がフーダニットなのだ。

 フーダニットやハウダニットがホワイダニットより優先されるのは、時間次元と空間次元の4次元空間が、心理の高次元空間より推定しやすいからにすぎない。

 このことが顕明なのが、新本格の金字塔である有栖川有栖『双頭の悪魔』だ。"「論理的です。……悪魔的(ディモーニアック)なまでに」"(『スイス時計の謎』)の賛辞がふさわしい『双頭の悪魔』のフーダニットはホワイダニットによる。

 

 だが、かならずしも真である確率が高くないのなら、なぜその推論は正当化できるのか。とくに、ベイズ推定に対する最尤法だ。

 それは知識ではなく意図のためのものだからだ。線形重回帰モデルはテイラー展開で高次であるほど尤度が高まる。だが、予測力はしばしば劣る。単純なモデルのほうが頑健(ロバスト)なのだ。無論、これは過去の推定についても同様だ。より高次のモデルを含意するもののほうが論理的に強い。

 

 また、これで「論理が情理で否定される」という米澤穂信の模作がなぜすべて失敗作なのかが分かる。それらの作品で犯人の動機は、論理的により弱いからだ。

 そうした作品はしばしば推理すること自体への反省も伴う。推理はすべて蓋然的なものだ。にもかかわらず、それらの作品は推理を決定的で、強い影響力を持つものだと見なす。

 それらの失敗作が主にライトノベルなのも、そのようにジャンルの形式性に依存するためだ。つまり、剣と魔法のファンタジー、光線銃と宇宙船のSFのような、高度にジャンル的なものが米澤穂信風の青春ミステリーだ。

 ただ、アンチ・ミステリーであるために、高度にジャンル的であるにもかかわらず、逆に純文学的であるという錯覚がもたらされたことが、それらの失敗作をより空疎なものにした。そもそも、米澤穂信の「古典部」シリーズでも、そうした範例は綾辻行人『どんどん橋、落ちた』の盗用で悪名高い第2作だけで、出版はライトノベルのシリーズ化のためだ。

 

 モデルについて、剰余項の加わったより高次のものであることは示せても、そうでないことは示せない。だから、モデルがより単純なものであるという最節約法を取らなければならない。標語的に言えば、最小性の仮定を置くのではなく、仮定を最小化する(エリオット・ソーバー『過去を復元する 最節約原理、進化論、推論』p.168)。

 単純性はこのために正当化される。これがパースの発見法(アブダクション)だ。

 だから、米澤穂信風の「じつは悪意があった」という動機はそれ自体で悪い。そうした動機は剰余項のようなものだ。動機でも、そうしたものなら無いほうがいい。

 

 これが真門浩平『バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵』の最終編『ダイイングメッセージ』の失敗の理由だ。

 ただ、『バイバイ、サンタクロース』は連作としてのまとまりに欠けるという欠点はあるが、各編はいずれも優れている。本格の『最後の数千葉』と『消えたペガサスの謎』、『誰が金魚を殺したのか』の作中作、麻耶雄嵩風の異形の論理の『サンタクロースのいる世界』と『黒い密室』のいずれも秀逸だ。『誰が金魚を殺したのか』の語りは、麻耶雄嵩『メルカトルと美袋のための殺人』の『ノスタルジア』へのオマージュだろう。管見では、『黒い密室』のロジックはボルヘスとビオイ=カサーレスの『ドン・イシドロ・パロディ』の『世界を支える十二宮』に着想を得たのだろう。

 剣と魔法のファンタジーや光線銃と宇宙船のSFと同様に、ジャンル的に高度に形式化されたミステリーは、その内容が伴わなければ空疎だ。これが麻耶雄嵩の模作がほとんど失敗作であることの理由だ。本作所収の短編はその例外だ。

 

 さて、上述のフーダニットに関する考察で、「偽の手がかり」問題への深い理解を得ることができる。「偽の手がかり」問題はただの形而上学的な不可知論でも、確率の低い出来事も生じうるという、偶然の問題でもない。犯人が名探偵の知識と信念を知っていた場合、その意図は質的に変化するという、構造的な問題だ。

 「偽の手がかり」問題の金字塔である『ギリシャ棺の謎』があまりに複雑なものになったのもそのためだ。つまり、再帰的、自己反射的にならざるを得ない。

 一方で、推理が知識でなく意図のためのものだということは、法月綸太郎『一九三二年の傑作群をめぐって』(所収『複雑な殺人芸術』)が提起する、原義の後期クイーン問題に当たる。これは『Yの悲劇』が代表する。言うまでもないが、いわゆる「後期クイーン問題」は『初期クイーン論』が提起するものだ。

 

 推理はあくまで蓋然的なものであるという不可知論が、『速水士郎を追いかけて』を素晴らしいものにしている。

 「偽の手がかり」問題をよく知る作者は、同時に、「HSP」が民間心理学でしかないことも知っているはずだ。

 推理が知識ではなく意図のためのものなら、それは未来と他人のためのものだということだ。そして、その推理が一致することは論理の普遍性を表す。それは真実を悟り、他人の心を知ることができるということの証明だ。それが双条件の下だけだとしても。
 有栖川有栖『月光ゲーム Yの悲劇'88』のホワイダニットは「狂人の論理」だが、犯人は狂気と呼ばないように哀願する。これは推理小説の存在理由でもある。

 ここまでモデルは線形回帰を前提としてきた。これはモデルが完全系列を成すということだ。虚無への供物は、また、虚無から来て、虚無へと帰る私たちへの賜物でもある。

 

 ホワイダニットについてはこの分類整理が優れている。

「論理・世界・逆説:あるいは狂人の論理について、幾つかのこと」

washibane.hatenablog.com

 

 付言すれば、フーダニットはホワイダニットとハウダニットによる条件の残差だが、最節約法の議論から、ホワイダニットからフーダニットを導く演繹法より、フーダニットからホワイダニットを導く発見法のほうが優れている。つまり、最節約法のため、論理的であるにもかかわらず「狂人の論理」は容れることができず、平俗、卑近な動機しか受容できなくなる。上述のとおり、仮説の確率が低いほど尤度は高くなるが、ベイズ推定で否定される。むしろ、フーダニットからホワイダニットを導くことが「狂人の論理」を正当化する。だから、上掲の記事の分類で4、5の作例は駄作になる。4、5はジャンルにおける平凡陳腐な動機だ。

 そうでないというなら、それは渡辺淳一の『容疑者Xの献身』否定論のような俗論になるだろう。

 

令和の新教養主義としての江頭ミカ

 高松美咲作『スキップとローファー』第6巻第30-31話「バクバクのバレンタイン(1)-(2)」までの江頭ミカの人物描写を読解する。また、江頭ミカの作品における位置付けから、『スキップとローファー』の同時代的な構図を確認する。

 まず、『スキップとローファー』は群像劇ではあるものの、ヒロインとその相手方は岩倉美津未と志摩聡介として定まっている。この両者は不器用だが情熱的と、器用だが冷めているという対の関係にある。

 そこで、ミカは直情的、素直なみつみに対し、打算的、捻くれものという対比的な関係にある。

 その対比が美しいのが、名作と名高い第2巻第8話「チクチクの個人練習」だ。この話については後述する。

 さて、群像劇でミカが主役になるのが第30-31話だ。

 

"ときどきは私のことを女の子として「アリ」なんだなって人もいる うれしい ありがたい/でも見る目ないなって心のどっかで思う"(第30話)

 

 この警抜な独白が、第6巻までのミカの人物描写の主題だ。

 これについて、サルトルの『存在と無』*を参照する。(*『ハンチョウ』の第174話「積読」で宮本が読まないのに本棚に並べてたやつ)

 サルトルはドイツ観念論により、自己認識について即自と対自を区別する。自己認識するとき、ひとはその主体と客体に分裂している。前者が即自、後者が対自だ。前者は超越論的、後者は超越的だといえる(『存在と無』第1巻、p.489、ちくま学芸文庫)。

 分かりやすいのは自己欺瞞だ。自己欺瞞は、対自を即自だと偽ることによる(同、p.216)。

 超越は対自において即自が実現することだ。他者も同様に超越の契機だ。

 サルトルは他者による認識、対他が対自となるときに感情が生じるという。恐怖、羞恥、自負などだ(『存在と無』第2巻、p.179)。第8話のミカの煩悶もこれによる。

 さて、超越論的とはおおむね言語的という意味だ。第30-31話はミカの独白で警句に満ちている。対して、第3巻第14話など、みつみと志摩の恋愛模様は言葉でなく、絵になる光景による。

 第31話では、そうして権謀術数的なミカが、あえて無策で他者に自己を晒す。だから、敗北したあと、ミカは純粋に泣くことができる。しかも、"「捨ててくれていいからね あは」"などと、最後の最後で保身に転じ、そのことを暴かれている。

 

 第31話でミカが号泣する場面はロングショットだ。だが、ミカの心情描写ならバストショットのはずだ。第30-31話のその他の重要な場面、そして、同じ全ページでも、前述の第14話におけるみつみと志摩の場面はバストショットだ。

 これは『スキップとローファー』の全体ではミカは脇役だからだ。

 さて、サルトルの対自には疎外*の意味もある(『存在と無』第3巻、p.586)。(*ここにおける疎外はヘーゲル主義でなくマルクス主義における意味だ。新著の田上孝一著『疎外論入門』を参照せよ)

 疎外化の顕著なものが教養(ビルドゥングス)、すなわち人格形成だ。

 教養小説(ビルドゥングス・ロマン)と青春マンガの関係について、石岡学著『みんなの〈青春〉』を参照する。

 『みんなの〈青春〉』は「青春」の文献学だ。先行研究として三浦俊彦著『青春の終焉』、古屋健三『青春という亡霊』がある。

 「青春」は19世紀末に徳富蘇峰の使用を端緒として、20世紀初頭の日本近代文学の主題になる。無論、白樺派など、これはエリート主義だった。

 一方で、地方、貧困層の若年層がエリートに対抗し、教養主義を掲げる。「青年」はこれらの若者の呼称になった*。(*このことは竹内洋著『教養主義の没落』が話題書になったことで、にわかに有名になった)

 1950-60年代、高度経済成長期の社会変革と立身出世の理想像もあり、なおも「青春」は顕揚される。なお、この間、「恋愛」については、『愛と死をみつめて』などの「純愛」と、太陽族の両極があった。

 だが、1972年のオイルショックと高度経済成長期の終焉に伴い、「青春」は没落した。高校進学率は50年代の5割から70年代初頭の9割に、大学進学率は1割から3割に上昇し、「青春」は特別なものではなくなった。70年代以降、若年層の呼称は「青年」から「若者」に代わる。80年代にはタモリやとんねるずが「青春」をパロディしていて、すでに記号化していた。これが『青春の終焉』と『青春という亡霊』の研究結果だ。

 『みんなの〈青春〉』は、70年代から現在までの50年間を研究したものだ。

 「青春」は記号化したが、記号として流通している。とくに60-70年代の「青春ドラマ」の「学校」、「部活」、「夕日」の表象は根強い。

 ただし、「青春」は自己言及的、自己参照的なものになった。雑誌『Seventeen』の2010年代以降の「思い出づくり」特集シリーズが顕著だ。目的が「思い出づくり」というのは、自己目的化の終極だ。

 とくに、1980-90年代のバブル時代における大衆消費文化の影響が強い。この時期、若年層が消費者のターゲットになり、マーケティングが行われた。夏と冬のバケーション、クリスマスやバレンタインなどのイベントが「恋愛」とともに宣伝された。青少年の統計調査では、80-90年代だけ青少年の性行動が多い。

 2000年代は、映画では「NEO青春モノ」と「キラキラ青春映画」、文芸では朝井リョウ、あさのあつこなどの青春小説が、依然として「青春」を表象する。ただし、40-50年代の石坂洋次郎などの青春小説が親や旧世代との対立を主題にしたのに対し、綿矢りさ、金原ひとみなどの青春小説は同世代間の葛藤を主題にしている。70年代以前の社会変革や立身出世に対し、現在は等身大で刹那的、享楽的な経験が「青春」の理想像になっている。

 だが、逆説的にも、70年以前の「青春」と同様、現在も「青春」はその失敗も「青春」と見なす。70年代以前の「挫折」、現在の「痛み」、「傷」だ。

 

 『スキップとローファー』でみつみと志摩の物語は、一義的な「青春」だ。そして、ミカの物語は二義的な「青春」だ。

 ミカのように批判的、とくに自己批判的な人格は、一義的な「青春」には合わない。

 つまり、大衆消費社会の到来を経て、皮肉にも、かつて教養主義が対抗していたエリート主義こそが、いまの対抗文化になっているのだ。

 なお、ミカが屈折していることには、かつて肥満児だったという理由が与えられているが、これは重要ではない。その程度の事情なら誰でも持っているし、特別な事情を持つにしてはミカはあまりに普通だからだ。

 第30-31話でミカと並ぶ向井司も、内省的で、異性に苦手意識があり、男女別学、すなわち旧制中学校らしい人物造形だ。

 いわば、江頭ミカは令和の新教養主義だ。

 

哲学者が現実でなく文学を例に引くことについてのバーナード・ウィリアムズの弁明

 哲学者が現実でなく文学を例に引くことについて、哲学者のバーナード・ウィリアムズは『恥と運命の倫理学』で「哲学者が文学の代わりに実人生を例にとると、人生よりむしろ出来の悪い文学のようになるからだ」と弁明する。
 無論、これは韜晦だが、愉快な口上だ。

 ところで、ウィリアムズの実際の引例はどのようなものか。
 ウィリアムズは「道徳的な運」(所収『道徳的な運』)で『アンナ・カレーニナ』を引例する。
 「道徳的な運」はカントの道徳哲学に対する批判だ。カントの道徳哲学は道徳性が普遍性をもつことを前提とする。だが、人生は運に左右される。結果、社会的評価、自己評価として、人生が道徳的なものか否か分かれる。このときの感情は道徳的感情だ。よって、カントの道徳哲学は誤っているという趣旨だ。
 なお、「道徳的な運」はネーゲルの「道徳における運の問題」(所収『コウモリであるとはどのようなことか』)への批判でもある。この論文では、後悔など、このときの感情は道徳性とはかならずしも関係しないとされる。
 そして、ウィリアムズが結果的な道徳的な成功として挙げるのがゴーギャン、失敗として挙げるのがアンナだ。

 ウィリアムズの『アンナ・カレーニナ』の引例は一読して奇妙だ。ウィリアムズの例話では、まるでアンナのヴロンスキーとの不倫が善行であったかのようだ。強いて言えば、まるで『アンナ・カレーニナ』というより、映画や劇への、その出来の悪い翻案のようだ。
 ウィリアムズ自身が不倫の挙句、離婚、再婚したという有名な伝記的事実がある。ウィリアムズの哲学の背景として語られることも多い。が、ここではそのことは忘れよう。
 ナボコフが『ロシア文学講義』で読解するとおり、アンナの堕落の理由は人生への倦怠で、ヴロンスキーとの不倫は、副次的な行いでしかない。ナボコフ曰く、ヴロンスキーは「大して深みのある男ではない」「凡庸な精神のもちぬし」だ。そして、アンナの自殺は冒頭から予示されている。
 むしろ、ウィリアムズはナボコフが「あの夢見る田舎女」「あの物欲しげな自堕落女、エンマ・ボヴァリーとは違うのである」と語る『ボヴァリー夫人』を引例すべきだったろう*。

 だが、ウィリアムズはエンマは引例できなかっただろう。なぜなら、『ボヴァリー夫人』の登場人物の行動はすべて社会的、経済的に決定していて、選択の余地がないからだ。したがって、運も、道徳的な是非も論じえない。
 だがまた、それは『アンナ・カレーニナ』も同じだ。ウィリアムズは運が介入したために、『アンナ・カレーニナ』は道徳的な選択が不道徳な結果をもたらしたと語るが、この主張は運の概念を選択の先後で混同していて、この主張に『アンナ・カレーニナ』を引例することも滅茶苦茶だ。
 ナボコフは『ロシア文学講義』で、文学の筋(プロット)はすべて論理的でなければならないと語る。
 そして、カントの道徳哲学が主張するとおり、将来の完全な予測は不可能でも、選択はつねに合理的でなければならない。なぜなら、私たちにはそれしかできないからだ。

 たしかに、ウィリアムが語るように、哲学者が人生でなく文学を例に引くのは、人生を例に引くと、人生よりむしろ出来の悪い文学のようになるかららしい。ただし、逆の意味で。
 ワイルドの警句のとおりだ。芸術が人生を模倣するのではなく、人生が芸術を模倣する。せめて、よく出来た文学を模倣したいものだ。

*なお、ナボコフは『アンナ・カレーニナ』という訳題は『カレーニン夫人夫人』と言うようなもので馬鹿らしいと指摘している。

『コールミー・バイ・ノーネーム』ドラマ版の原作からの変更点まとめ

 ドラマ版『コールミー・バイ・ノーネーム』最高でした!

 映像化作品は原則として原作を推すほうなのですが、『コルミノ』については未見未読のかたにはドラマ版を薦めます。原作を評価した上でです。このような作品は他に映画版『リング』くらいです。

 なので、気になって原作とドラマ版の異同を確認しました。まとめましたので、よければ参考にしてください。

 

 原作は全4章にプロローグとエピローグです。

 プロローグは出会い、第1章は賭けとおうちデート、第2章はデートと愛の過去、3章は深まる関係と天の襲来、4章は別れと真相解明、賭けの決着、エピローグは後日談、という構成です。

 ドラマ版の全8話はプロローグと1章を1ー2話、2章を3ー4話、3章を5ー6話、4章を7話に、ほぼ原作ママで再構成しています。2話のアイドルが主演の低予算ドラマっぽい(すみません)おうちデートのシークエンスも原作ママです。

 ただし、8話はほぼオリジナルです。原作は賭けの決着で物語が終わり、あとは後日談だけですが、ドラマ版は愛と琴葉があらためて対決しています。

 

 以下、まとめです。

 原作の区切りを赤、ドラマ版の区切りを青で表示しています。

 

◯エピグラフ

 

・原作では鮎川信夫の『紫檀』からエピグラフを掲げています。

 これくらいカッコいいエピグラフは、他にホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』と伊藤計劃の『虐殺器官』くらいですね。

 

◯プロローグ

 

◇1話

 

・「女同士でも法定強姦罪は成立するから!」「(間)詳しいんだね」のセリフを追加。

 伏線!

 原作でも真相解明のあとで触れています。文章だとさすがに露骨ですからね。

 

・愛を文学部ロシア文学科から法学部に変更。

 全体的に法律関係の話が即座に展開できるようになっています。

 

◯1章

 

・一般教養の「国際社会論」を「世界古典文学論Ⅰ」に変更。

 全編で『千夜一夜物語』を背景音として流せるようになっています。

 文学部不要論の論者に見せたいですね。文学部がなければ恋愛ドラマで自然に文学を引用することもできません。

 

・早苗と未希が親友で、束が友人という関係を、早苗と束が親友に変更。

 名塚未希…! お前の尊い犠牲はドラマ版『コルミノ』として実を結び、ムダにはならなかったぞ…!

 

◇2話

 

・束の恋愛上級者アドバイスその1。これは原作ママだが、4話の追加点への布石に。

 『キネマ探偵カレイドミステリー』のマルチバースの下りは当然、省略。

 

・レンタルビデオ店での少年の万引き未遂を、雑貨店での酒類にして簡略化。

 

・権利許諾の関係で、ミヒャエル・ハネケの『ハッピーエンド』を架空の映画の『静かな食卓』に変更。

 内容は『ハッピーエンド』そのまま。ということは、ドラマ版『コルミノ』の世界には『ハッピーエンド』みたいな映画が2本もあるのか。嫌な世界だな…

 ちなみに、原作には『500ページの夢の束』らしい映画も登場しています。自閉症を題材にした低予算映画だと、感心できないものもあるのですが、これは良作です。

 

◯2章

 

◇3話

 

・池袋のサンシャイン水族館から水道橋の後楽園遊園地という地下鉄丸ノ内線沿いのデートコースを、江ノ島水族館と海岸に一本化。

・当然、全編で水族館は江ノ島水族館に変更。

 

・水道橋の橋上でネコを助けようとした少女を救出する状況を、海に流されたぬいぐるみを回収するものに変更。

 おかげで愛と琴葉の対話が海辺と水中で迫力のあるものに。

 私事ですが、「原作を読んで、先の展開を知ってるしな」と余裕でかまえていたのが、このあたりから居住まいを正して見るようになりました。ありがとう江ノ島の海…! あるいは、地球温暖化で東京が水没してくれてもいい…!

 

◇4話

 

・愛の回想を簡略化。早苗の存在を重点化。

 

・「琴葉が私を見つけてくれた」「琴葉と会ってから少しだけ自分のことを好きになれた。人からどう思われても気にならないくらいに」のセリフを追加。

 賭けの決着への伏線。

 これは妙技!

 

◯3章

 

・琴葉が理工学部でも数学科だということを省略。原作で琴葉が数学科を選択したのは「数学の言葉には美か沈黙かしかないから」。例えば、ロシア文学は異なる。

 原作ではこれが賭けの決着への布石になっています。

 怯える琴葉に、愛が「どの定理だって誰かが証明したんだろ! どんな未解決問題だって私が証明してやるよ!」と啖呵を切ります。

 私は『博士の愛した数式』の世代ですから、数学の例えは分かりやすいですね。

 ドラマ版ではこれを結婚の公的証明に変更しています。

 

・束の恋愛上級者アドバイスその2を追加。

 

・村田のノンデリ発言をヘタレのイキリにして雰囲気を変更。

 

◇5話

 

◇6話

 

・オープニングで「そのとき見た彼女はぞっとするくらいきれいだった」のモノローグ。

 原作は間接話法で愛の複雑な心理が語られているが、不安と戦慄を1つのモノローグに要約。

 これは妙技!

 

・セリフで暴行であることを明確化。

・琴葉の視点を重点化。とくに視覚効果。8話の布石に。

 

 私事ですが、原作ではここの琴葉のセリフが一番好きです。

 "「アンタのことメグちって呼ぶんはな、半分こにしたろと思ったからなんよ」……「愛と書いてめぐみなら、メグと呼んで半分こやろ? アンタの愛を引き裂いたろーって」……「だって、名前から愛に満ちてるなんてずるいもん。だから、せめてもの抵抗」……「でもな、メグち。愛の、心の部分は上にあったんよ。ウチが選んだメグの中に」"(p.180)

 見事!

 

・指輪交換の舞台を歩道橋上に変更。8話の布石に。

・「法的には結婚できない」のセリフを追加。同上。

・「夜が怖い」のセリフを追加。

 原作では前半の「雷が怖い」の伏線(p.145)。

 

◯4章

 

・別れ話のときの「はじめは憎かった。いまは苦しい」の、琴葉の心情の吐露を省略。

 

◇7話

 

・束の人生相談を追加。

・村田との会話を追加。

 

・天との対決を追加。

 天は邪悪!

 児童に対する性犯罪者の邪悪さを知るには、ネージュ・シンノの『悲しき虎』がいいかもしれません。「弁護士には父の自白がなければ有罪にはならなかっただろうと言われた。父は法廷ですべてを自白した。陪審員が自分に同情するだろうと思っていたのだ」。邪悪!

 

・旭による真相解明はすべて省略。

 原作は愛の主観視点だから、旭という解説役が必要だった。

 

◇8話

 

 原作のエピローグを除き、ほぼオリジナル。

・琴葉の視点から全編を回想。

・琴葉の早苗との対話。

・琴葉の村田との対話。愛に頼まれてボディガードをする村田。

 村田、お前ってやつは…! ヘタレなのに…!

 

・歩道橋上で愛と琴葉が対決。

 "「ウチ、怖いよ、メグち」「何が?」「ウチはきっと、いつかメグちを傷つける」「そんなことない!」「そうなの! だってウチはそういう愛情しか知らない!」"

 このダイアローグはあまりにも見事!

 原作は小説で呪いと祈り、受苦と救済のもつれを地の文で表現していますが、ドラマ版もその主題を継いでいます。

・"「琴葉は私を好きなんだよ」"

 ヒューッ!

 原作の賭けの決着での"「……でも、私に宿命があったとしたら、それは君だった」"(p.228)の決めゼリフもなかなかです。

 原作では琴葉の不義密通は代償行為だったけれど、それはそれで代償されていたというくだりがあって、このあたりの斜線堂有紀先生の現実感は好きです。

 

・結婚として愛を証明できるか、あらためて賭け。

 

◯エピローグ

 

・後日談を江ノ島デートに変更。

 

 原作の末文も見事。

"

 久しぶりにしたキスは懐かしいグロスの感触がした。

 古橋琴葉の味がした。"

 で、エンドマーク(p.235)。



「『さむわんへるつ』における正面性について」補論:ラブコメとは囚人のジレンマ

ドン・ロス『経済理論と認知科学』

 記事が長いですから, 補論は別項とします. 議論は「『さむわんへるつ』における正面性について」を前提とします.

 この補論では上掲のロスの『経済理論と認知科学』で挙げるべきマンガは, 泉博士の『信号オールレッド』だということを証明します. 『週刊少年ジャンプ』2024年46号掲載の読切り作品です. 残念ながら単行本化されることはないでしょう. ですが, もっともラブコメらしいラブコメだといえます.

 

 『経済理論と認知科学』は経済学に哲学的基礎付けを与えるもので便利です. 経済学における合理性の概念を明快にします.

 逆に, 哲学に理論的でない経済学を足したものがヒースの『ルールに従う』です. ヒースは一般書の『資本主義が嫌いな人のための経済学』で, 自分は微積分が理解できないが経済学を理解できると宣言します(https://note.com/rabbitsecuhole/n/nb3b23b0d0725). できるはずがありません.

 問題は微積分を知らないという無知ではなく, 微積分を知らなくても経済学を理解できると思う反知性主義です.

 解析学や線形代数学というより, 義務教育の微積分や行列を知らないひとほど, 数学的に正しくないということを言います. ひとは未知のものに恐怖か畏敬をおぼえるからです. ですから「知の欺瞞」は欺瞞を識別できない, 教育を受けていない人々だけの問題です. 例えば, 翻訳家の山形浩生はマッカーシーの『ステラ・マリス』を数学と物理学の知識が反映されていると絶賛しましたが, 小説家の円城塔は『本の雑誌』の書評でボロクソにこき下ろしました.

 

 『経済理論と認知科学』によれば, 人間は3つの理由でノイマン型コンピューターと見なせません. 1. 認識論における外在主義 2. 行動経済学における時間的非整合性 3. 神経科学における反局在論 の3つです.

 神経経済学者のエインズリーは時間割引の指数割引U[t] = e^(-α[t]) u[t]に対し, 双曲割引U[t] = u[t]/(t+1)を提唱します. ちなみに, 行動経済学では一般に準双曲割引U[t] = u(c[t]) + βΣ[t0] α^(t0-t) u(c[t])を使います.

 指数割引は合同変換ですから, 時間的非整合性, 結果的な短期的思考は生じません.

 ところで, この微分は無限小変換z' = iωe^(iωt)zです. 実部と虚部に分ければx' = -ωy, y' = ωx. つまり, 無限小変換は角速度1の回転変換(x', y')^t = (cosθ, -sinθ), (sinθ, cosθ) ・ (x, y)^tです. ですから合同変換です.

 そして双曲変換は一方を虚軸にとった回転変換(x', y')^t = (coshθ, -sinhθ), (-sinhθ, coshθ) ・ (x, y)^tです. ですから複素射影平面やリーマン球面上では, 単位円を含む楕円と, 双曲線, 放物線は同じです.

 ですから時間的非整合性の本質は, 指数割引か双曲割引による時間割引のモデルでなく, 異なる行為主体のあいだの対立です.

 ヒースは学部初年次の前期で習うくらいの解析学も知らないため, 『資本主義が嫌いな人のための経済学』で行動経済学を民間心理学だと誤解しています. カナダの高校では, 数学の授業に微積分でなくアイスホッケーを習うのかもしれません. 氷上をスケートで滑り, 制限時間内により多くのビーバーをホッケースティックで打ちとばしたチームの勝ちというスポーツです.

 さらに言うと, カナダの中学校では多項式を習わないようです. ヒースは双曲割引を"自滅的", すなわち短期的利益の優先だと言います. 紙を用意して指数割引と双曲割引の関数グラフを描き, 選好逆転の時点でハサミで切れば, カナダの中学生にも誤りがわかります. わからなくても, 石を用意すればカナダの小学生がジャンケンで遊べます.

 『経済理論と認知科学』によれば, 規範的合理的選択理論は行動主義の方法論をとりながら, そのために民間心理学を温存して崩壊したそうです.

 

 一般にニヤニヤはキャラクターの理性と本能の葛藤のために生じます. 長期的思考と短期的思考の異なる行為主体のあいだの囚人のジレンマです.

 『信号オールレッド』は予知能力という小道具で, 長期的思考のほうに直感, すなわち本能を置いたからもっともラブコメらしいラブコメです.

 読者は理性的で未来を予知しています. そしてキャラクターが理性で本能を抑圧しているさまを見て, その失敗を予想し, ニヤニヤを感じます.

 読者の心理とキャラクターのそれとが異なるという点で, ニヤニヤはイチャイチャと異なります. イチャイチャは読者とキャラクターのものが一致していなければ感じません. ですからキャラクターがイチャイチャを感じていて, とくに状況が身体的なものでなければなりません.

 『信号オールレッド』は未来と現在, 理性と本能の2つで, ニヤニヤが瞬間的, 直接的なものになり, もっとも強くなっています.

 エインズリーは『誘惑される意志』で短期的思考を4つ挙げます. 短期的なほうから昇順に, 1. 痛み 2. 癖 3. 中毒 4. 強迫観念 です. 一般的なラブコメについて, キャラクターの自己抑圧的な理性は, 理性でなく強迫観念です.

 エインズリーは双曲線関数的な時間割引率を指数関数的なものに近づける方法としてルールを挙げつつ, しばしばルールが強迫観念でしかないことを言います.

 数学的にはルールはゲーム理論における均衡でしかありません. でなければ交通ルールすら説明できません. 具体的には近江俊秀の『「人は右、車は左」往来の日本史』を参照してください. 左側通行のルールが合理的だと思うひとと, 右側通行のルールが合理的だと思うひとが出会えば, どうなるかわかるでしょう. 偶然の出会いから恋がはじまります.

 

 『経済理論と認知科学』は結論として, デネットの物理主義について, 志向姿勢の哲学は倹約的に不要だとして, ノイマンの機能主義がもっとも適当だといいます.

 ノイマンは『自己増殖オートマトンの理論』で生命とは何か言います. 問題は定義で, 生物全体や基本的部品を定義とすれば, 問題は消えます.

 

 "それに対する適切な名前は思いつきませんが, それを”複雑さ”とよべば一番よくわかるでしょう"(『自己増殖オートマトンの理論』p.94)

 

 重要なのは, 系統進化と, 合成するオートマトンがされるものより複雑だという事実に対することです. 一定の複雑さを超えると, 自己より複雑なオートマトンを合成できます.

 これで問題は無知より反知性主義だということがわかります.

 ヒュームの「理性は情念の奴隷にすぎない」という格言も, ノイマンの機能主義で理解すべきでしょう. 理性と情動はどちらもシステム全体の部分にすぎません. 人生の意味の哲学の基本論文である,ウィギンズの『真理、発明、人生の意味』は, 人生は個人における囚人のジレンマとその解決だと言います.

 ラブコメは囚人のジレンマとその解決そのものです.

 パワーズの『囚人のジレンマ』の引用で結びます.

 

" ずっとあとになって、理性第一主義の父が、いかにこの映画を愛していたかを思い知って、僕はショックを受けることになる。そもそも、古い映画のほとんどをーー現実逃避の、時間の浪費でしかない映画も含めてーー父は愛していた。父さんが映画館に行く姿は一度も見たことがなかった。けれども家では、夜になると、父さんは丁重な態度で僕を誘ったものだ。「いま放送してるやつ、見ないか?」。僕は勘づくべきだったのだ。父さんはすべての科白、すべての登場人物の名前を知っていたのだから。

 だが、手遅れになるまで、僕は理解しなかった。思いがけないことに、かのプロの教育者は、友と呼ぶ人もなく、世界でほんとうは何が起きているのかを見出そうとしつつ、なお依然として、堕落していても性根は正しい女性と、黄金の心を持ったやくざ者、という寓話を愛していたのだ。安っぽいことこの上ない物語のトリックに、父はあっさり釣られた。最後の最後まで、ほか(、、)の場所という可能性を、ほかの(、、、)人が生きる物語を、ひそかに愛していた。僕はつねづね、知性と感傷とはたがいに相容れない一対の角だと思っていた。そうではない。父はその両方を、少なからず代償を払いつつ、兼ね備えていたのだ。そして残された僕たちも、同じようにその代償を払っている。"(『囚人のジレンマ』p.85-6)