ギャンブル漫画・必勝法と逆転劇一覧 - 『賭博黙示録カイジ』『嘘喰い』『ジャンケットバンク』『賭ケグルイ双』 -

 ※『賭博黙示録カイジ』『嘘喰い』『ジャンケットバンク』『喧嘩稼業』『バトゥーキ』『地雷グリコ』のネタバレ注意。

 

 

 ギャンブル漫画では天才と天才の対決が描かれる。では、なぜ天才同士の対決で勝敗が分かれるのだろう。本記事ではその勝因と敗因のパターンを分析する。

 まず問題となるのが、何をもって勝敗とするのかということだ。ここに福本伸行のギャンブル漫画の創始者としての貢献がある。

 次に、勝利という目標が定められたとき、そもそも人間は合理的に行動できないということを見る。例外は、カイジなどの社会性に欠ける人間だ。逆に、人間の不合理性を強調すると、デスゲームを題材にしたクソ漫画になる。これがギャンブル漫画とデスゲームもののクソ漫画が隣接する理由だ。

 ただし、人間の不合理性は一般には有益なものだ。『ライアーゲーム』がいかにして人間の有益な不合理性を排除しているかを見る。

 ここまでが前提だ。ここから合理的な人間同士の対決で、いかにして決着がつくのかを見る。『賭博黙示録カイジ』の「Eカード」から、無限の読み合いがどこで停止するのかを見る。主に停止するのは、ゲームのルールが更改されるときだ。第1にゲームの目的、第2にゲームの判定、第3にゲームの道具だ。

 そして、こうしたルール違反がいかにして正当化されるかを見る。ここで、なぜ『嘘喰い』で「エア・ポーカー」が人気なのかを明らかにする。また、こうしたメタ=ルールが『喧嘩稼業』や『バトゥーキ』に通底していることを見る。『ジャンケットバンク』はメタ=ルールをルールに内部化している。

 最後に、合理性という概念を再考する。この合理性という概念が、『嘘喰い』の切間創一というキャラクターと「ハンカチ落とし」のゲームに直結している。

 

1.ゲームの設定 - 天才と凡夫 -

 

 麻雀で勝ったあと、敗者やその手下に襲われ、金を奪われる。そして、自己憐憫にふける。あるいは、麻雀に負けても愛人の同情を得て、自己愛にふける。社会的な敗者の願望充足的な麻雀劇画はこういうものだ。

 負けることが悪いのではなく、そもそも、勝っても負けても変わらないため、勝負に意味がない。

 エルスター『酸っぱい葡萄』は、19世紀末のイギリスの産業界を分析した『Gentlemen and Players』を引用する。「チェスプレイヤーにとって、勝つためでなく優雅さのために指すということはありえない。あるのは優雅に勝つ方法か、勝つ方法だけで、優雅に負ける方法など存在しない」。

 

 福本伸行が画期的だったことは、あくまで勝負における勝ちを追求したことだ。『アカギ』で安岡刑事がセッティングしたり、『銀と金』の誠京麻雀編で、銀二が立会人を要求したりすることが好例だ。

 こうしたゲームの設定そのものの検証は、『嘘喰い』でより複雑に発展することになる。

 

 ゲームの設定に伴ったのが、物語からの「色と血」の排除だ。暴力については、ゲームの設定に必要であることを考えると逆説的だ。だが、ゲームのあいだは、プレイヤーたちが集中するのはゲームについてだけだ。

 

"「お前ら……… 本当になんにもわかっちゃいねぇな…」「オレたちが今取ったり取られたりしてるのは 実は点棒じゃねぇんだ」〈プライドなんだよ…………〉"(『天』)

 

"「オレは‥‥‥‥‥‥‥負けたんだ‥‥‥‥‥」「敗者は失うっ...!」「それをねじ曲げたら‥‥‥‥‥‥なにがないやらわからない‥‥‥」「受け入れるべきだっ‥‥‥!」「負けを受け入れることが‥‥敗者の誇り‥‥オレは‥‥‥」「負けをぼかさないっ‥‥‥‥‥‥!」"(『賭博黙示録カイジ』)

 

"「ねじ曲げられねぇんだっ………!」「自分が死ぬことと………」「博打の出た目はよ……!」"(『アカギ』)

 

 個人的には、場末の賭場で自棄になるアカギは柄ではないと思うが、鷲巣麻雀編の前にアカギの人生観をあらためる意味があったのだろう。

 

 こうして、ゲームの設定そのものの検証は、それを要求したプレイヤーの自負心と一致する。この自負心、すなわち自己制約を合理性と見なしてもいいだろう。

 

 ついでに、ゲームそのものへの追求を裏面から描いたのが、かわぐちかいじの『はっぽうやぶれ』だ。

 

"〈ここまで盛り上げてきて〉〈こんなつまらん勝負が勝ち牌譜として残って、終了(おわ)ってしまうとね…!!〉"(『はっぽうやぶれ

 

 こうして和了を拒否したタケオは、ゲームそのものを追求する蟹江に敗北することになる。これでタケオが勝っていたら、『はっぽうやぶれ』はまったくの凡作になっていただろう。

 

 ところで、麻雀漫画、広くギャンブル漫画は、なぜゲームそのものへの追求を福本伸行まで待たなければいけなかったのだろう。しかも、一度、福本伸行がゲームそのものへの集中という世界観を提示すると、圧倒的な支持を得ることになる。もちろん福本伸行の筆力のためもあるが、福本伸行が人気を博したのはギャンブル漫画からだ。

 それは、合理性が人間にとって貴重なものだからだ。つまり、必要だが自然ではないのだ。

 

2.デスゲームもののクソ漫画 - 凡夫と凡夫 -

 

 グリーン『モラル・トライブズ』は脳神経科学を使用し、理性と情動の働きが対立することを示す。とくに認知制御を司る前頭前野背外側部(DLPFC)と、情動反応を司る前頭前野腹内側部(VMPFC)だ。

 注目すべきなのは、ユーモアでポジティブな感情を誘発すると、合理性が高まることだ。逆に、ストレスに過敏だと不合理的な傾向にある。

 抗不安薬ロラゼパムを投与すると合理性が高まり、抗鬱薬シタロプラムで情動反応を活性化すると不合理的になる。

 

"〈オレはダメだ つくづくダメ ............〉〈ここの他の連中のように うまく取り入ることができない〉〈結果浮き 疎まれてしまう〉〈まさに典型的社会不適合者 天の邪鬼〉〈損ばかりだ‥‥‥‥‥〉〈この難儀な性格のせいで オレは行く先々で上から睨まれ ゴミ出しや窓拭きなど 損な役回りをいつも負わされる〉〈そしてなんというか............始末に悪いのは オレにはその方が心地良いというか....楽なのだ〉〈他人とぬるぬる係わって 作り笑いするより数段 楽〉〈結果 毎度繰り返してるいつものパターン〉〈一人「孤立」という沼にズブズブ嵌まっていき 気が付けば変人扱い........〉"(『賭博黙示録カイジ

 

 つまり、合理的であることは、多少は偏屈であることを必要とするのだ。

 カイジほど変人偏屈、ひねくれ者ではなくても、誰でも頑固なところはある。福本伸行はそうした粘性の感情の高貴さをはじめて描いたのだ。

 その意味で、カイジの怠けや気紛れ、その結果として、落伍者であったり貧困者であったりすることは本質ではない。

 

 一方で、そうした性格の偏りがなくても合理的な判断ができる人間が、天才ということになる。

 

"「あ…赤木さん あんた今までどこに? 探したんですよ!」「……」「ハワイ…」「連日ゴルフ場通って やっと90をきったよ」「いや――難しいな……ゴルフは」"(『天』)

 

 赤木は鷲尾と金光を誘ってハワイにゴルフしに行ったりしている。青年時代のアカギもオサムの世話を焼いたりしている。

 こうした飄々としているという天才の人物造形は、『嘘喰い』の貘さんや『ジャンケットバンク』の真経津さんにまで影響している。

 

 逆に、ストレスをかけ、感情的にさせると、誰でも不合理的になる。これがデスゲームもののクソ漫画がしていることだ。

 デスゲームで命を賭けたり、五体満足を賭けたりしているプレイヤーたちよりも、『からかい上手の高木さん』の高木と西片のほうが高度な頭脳戦と心理戦をしているということになる。

 

"「見た目だけ派手で残虐 悪趣味なデスゲームを私は是としておりませんし この戦いには相応しくないと考えております」"(『嘘喰い』)

 

 マネーゲームも同じだ。経済学者のセイラーは『セイラー教授の行動経済学入門』で、心理実験において、金銭的な報酬があるほど行動経済学的なバイアスが大きくなると指摘している。

 凡夫が天才になるため、また、天才が天才として輝くためには過酷な状況が必要だ。だが、クソ漫画は過酷な状況における凡夫を主役にしている。

 

3.ゲームのプレイヤーの調整 - 嘘つきと正直 -

 

 もちろん、日常生活では偏屈でないほうがいい。

 最後通牒ゲーム(一方が資金を分配し、もう一方はその諾否を選択する。ただし、拒否したときは資金は没収される)では、合理的に判断すれば、分配率は最小単位になるはずだ。

 だが、大多数が等分し、合理的な分配についても大多数が拒否する。

 こうして不合理な人間たちが協力しあい、社会は円滑に運営されている。

 

 一方で、アメリカの大学生とイスラエルの空軍を対象にした「囚人のジレンマ」実験では、実験名を「ウォール街ゲーム」とするか「共同体ゲーム」とするかで協力率が変わった。

 行動を先読みするためには、その相手が合理的でなければならない。『ライアーゲーム』でアキヤマが「このゲームには必勝法がある」という決め台詞を言うには、あらかじめフクナガが「騙されるほうが悪いんだよ!」と顔芸をして、プレイヤーたちの方針を合理的なものに変えていなければならないということだ。より正確には、プレイヤーたちが合理的な行動を取るだろうと、読者に納得させるということだ。言うまでもなく、『ライアーゲーム』というタイトルの命名がその最たるものだ。

 

 不合理にもかかわらず有益な判断について、スタノヴィッチ『心は遺伝子の論理で決まるのか』は「文脈」という概念で定式化している。

 人間は社会的動物であり、判断において本能的に「文脈」を汲む。この点では、動物の判断のほうが合理的だ。

 そのため、ギャンブル漫画の多くはデスゲームやマネーゲームといった、利己主義が要求されるソリッド・シチュエーションを設定する。

 

 ただし、こうした不合理性は生物学的な本能と文化慣習によるものでしかない。

 公共財ゲーム(N人で資本を出資し、そのX(<N)倍が等分に分配される)では、北米・西欧は出資率が平均50%、中東・南欧では25%、北欧では75%ほどだ。

 つまり、ただ本能と習慣だけで不合理な行動をしている人間は、異なる環境におかれれば、不合理にもかかわらず有益ではなく、不合理で当然ながら有害な行動を取ることになる。外国への旅行者はしばしばそうした醜態を演じる。

 だから、合理性によって築かれた関係は、より公平で開かれたものになる。

 

"「どうだ‥‥? カイジくん 面白かろう‥‥! これが本当の会話だっ‥‥!」「今やっているEカード これは相手の真実‥‥心を‥‥ 追い続け突き止めるギャンブル 混じりっけなし本当の意味で 心と心の会話なのだ」「この会話の純粋さ真実さ加減に比べれば 日常での友との会話など たとえそれがどんな相談事 打ち明け話であろうと 全部虚仮‥‥嘘ばかりだ‥‥!」「しかし‥‥このEカード この心理戦がらみのギャンブルは違う‥‥! 言葉一つ発せずとも‥‥真剣だっ‥‥! 真剣に互いの心を測ろうとしている 真実を追いかけている」「ギャンブルこそ 国籍・年齢・貧富の差・性別‥‥そういうあらゆる垣根をあっさり乗り越え 語り合える‥‥共通の言語なのだっ‥‥‥‥! 特に‥‥このEカードのような心理戦はな‥‥!」"(『賭博黙示録カイジ』)

 

 まさに利根川の言うとおりだ。

 『地雷グリコ』の「フォールーム・ポーカー」では、2人のプレイヤーが高次化した読み合いでたがいに手札を知ったことに対し、傍観者が疎外感をおぼえる。

 

4.いかにしてゲームの勝敗が決まるのか - 皇帝と奴隷 -

 

 では、合理的な人間同士の対決で、いかにして勝敗が決まるのかを見よう。なお、クソ漫画では合理的な人間が不合理な人間に勝つが、これは意味がない。

 なぜ合理的な判断が勝因とならないのか。『嘘喰い』の「ハンカチ落とし」から考えよう。

 「ハンカチ落とし」は1分以内に落し手がハンカチを落とし、受け手がふり返る。ハンカチが落とされてからふり返るまでのあいだの時間が罰になる。ただし、ふり返ったときにハンカチが落とされていなければ、1分間の罰が与えられるというものだ。

 受け手はいつふり向くべきか。合理的には、落とす時点をx、ふり返る時点をy、落とす確率pについて、p(y-x)+(1-p)60の最小値問題を解けばいい。確率を一様分布とすれば、30秒時点でふり返れば、罰の期待値を37.5秒に最小化できる。

 だが、落し手も合理的で、かつ受け手が合理的なことを知っていれば、30秒時点までには落とさず、受け手は自滅するだろう。

 こうして、合理的な人間同士の対決は先読みの無限後退に陥る。『賭博黙示録カイジ』の「Eカード」の勝負はまさにこれだ。

 

 これを経済学では「戦略的相互依存状況」と言う。

 新古典派経済学は合理的行動と、完全競争市場における価格は需給の均衡点だという2つの仮定をおいていた。合理的行動とは効用最大化のことだ。よって、経済学はただ最適化問題を解けばいいことになる。

 ところが、寡占市場ではそうはならない。1社が均衡価格から出しぬけば、競合他社を倒産させ、市場を独占することができる。

 じつのところ、新古典派経済学の2番目の仮定は、「価格受容者の仮定」を前提にしている。市場参加者が無限に多いため、各々が無限小の影響しか与えず、誰も価格操作はできないということだ。

 これに対し、「戦略的相互依存状況」は各々が影響を及ぼしあう。この分析のため、ゲーム理論が考案された。

 

 ゲーム理論は、最適な行動を均衡として求める。均衡とは、個々の行動が、相手の行動を所与として最適な反応の組合せのことだ。

 ここでゲームは「同時手番」だ。「同時」とは、期間の長さや先後関係のことではなく、相手の行動を知らないということだ。そのため、相手の行動を所与とした分析が最善になる。

 もっとも、「戦略的相互依存状況」の分析について、ゲーム理論の有効さも限られている。選択について混合支配戦略、組合せについて複数均衡なら、最適な行動の選択は1つに定まらない。ジャンケンなら3×3の9つの組合せすべてが均衡だが、そんなことを知っても役には立たない。

 

 ところで、これで『賭博黙示録カイジ』の「限定じゃんけん」がいかに画期的だったかがわかる。

 

"〈限定と聞いて‥‥すぐある予感が走った‥‥〉〈この勝負 運否天賦じゃない‥‥〉〈‥‥‥おそらくは‥‥‥愚図が堕ちていく〉〈勝つのは智略走り他人出し抜ける者‥‥‥‥!〉"(『賭博黙示録カイジ』)

 

 まさに「限定じゃんけん」の「限定」は「戦略的相互依存状況」を出来させるためのものだったのだ。

 

 では、いかにして均衡は勝敗の分かれたものになるのか。

 そもそも、ゲーム理論は相手の行動について無知であることが前提だ。だから、読心術で相手の行動を把握できればいい。いわば、後出しできるということだ。ゲーム理論では、これを「同時手番」に対し「逐次手番」と言う。

 「囚人のジレンマ」については、アクセルロッド『つきあい方の科学』が、「しっぺ返し」戦略が最適だと結論づけている。ただし、ゲームが1回限りか、参加者が3人以上のときには、この戦略は使えない。

 この問題に対し、読心術が有効だとして、フランク『オデッセウスの鎖』は深く分析している。具体的には瞳孔の収縮、赤面、発汗、唾液の減少、さらに、3つの不随意筋である表情筋を挙げる。オトガイ方形筋、錐体筋、前頭筋・雛眉筋だ。表情筋についてはエクマン『暴かれる嘘』による。

 これらの読心術の信憑性は、次の3点から言える。 1. 模倣の困難さ 2. ニコ・ティンバーゲンの派生原理(外生的なもののため、制御できない) 3. すべての情報を公開していること(不利な情報を選択的に非公開にするほど、信憑性は下がる)

 

 Eカードの第11戦までにおける帝愛のイカサマは、まさに、あらゆるゲームの本質を突いたものだ。

 『ジャンケットバンク』では読心術が基本技術の扱いになっている。

 『嘘喰い』でも「ハンカチ落とし」で切間創一が心音を聴いている。ただし、身体の反応はその信憑性と同じく、外生的なものだという理由で、その原因を特定しない。そして、人間は統合的だ。『嘘喰い』の最終巻では、ゴーネンが心拍数を高めて切間創一を騙している。

 このとおり、読心術がもたらす情報は限られている。また、「逐次手番」ゲームにおいて後手番が必勝でないとおり、相手の行動を知ることも必勝法ではない。

 

 イカサマとその逆用という逆転劇は明快だ。

 だがむしろ、私たちが知りたいのは、プレイヤーたちがイカサマを黙認しているときについてだろう。ゲーム理論で言えば、イカサマが「共有知識」になっているときだ。このとき、イカサマはゲームに内部化されていて、ゲームは通常のものだ。

 

"〈このEカード‥‥‥‥‥‥真剣勝負という意味ではこれが初戦っ‥‥‥‥!〉"(『賭博黙示録カイジ』)

 

 当初の問いに戻ろう。合理的な人間同士の対決で、いかにして均衡は勝敗の分かれたものになるのか。

 Eカードの第12戦は、まさにこの状況だ。カイジイカサマを仕かけ、利根川がそれを見抜くが、カイジ利根川イカサマを見抜くことを見抜いていた。

 

"〈ぐっ‥‥! 待て‥‥〉〈気が付かないだろうか‥‥‥?〉"(『賭博黙示録カイジ』)

 

 ゲーム理論は共有知識と合理性、そして無限後退的な推論から成立する。最後のものは、まさに無限の先読みだ。

 当然だが、現実にそうした推論の高次化が無限ということはない。あくまでそう見なしていいということだ。

 ここで重要なのが、シェリング紛争の戦略』が提唱する「フォーカル・ポイント」だ。人間は行動を選択するとき、高度な推論を働かせるというより、ただ「フォーカル・ポイント(顕著さ)」を利用している。この「フォーカル・ポイント」が均衡になる。

 Eカードの第12戦では利根川は過信のために無限の先読みを停止する。

 こうして、均衡は勝者と敗者を隔てたところに落着するのだ。

 そもそも「戦略的相互依存状況」が合理的な人間同士の対決である以上、「フォーカル・ポイント」は、その合理性に関するものであることが、物語としてもっとも完成されているだろう。

 

"「会長がどう毒づこうと オレはあんたを買っている」「クズだなんてとんでもない 優秀だ それもとびっきり」「オレが出会った大人たちの中じゃ 文句なくナンバー1 切れる男」「そんな男がまず この血に気付かないはずがない」「気付く 気付くさ 優秀なんだから」「そして気づいたら その血をそのまま単純に信じたりなんか これもしない」「必ず洞察する 血は見かけとみる 見抜く こちらの作為を」「当然だ 優秀なんだから」「優秀だから 気付いた後に疑うんだ」「そして その洞察はきっと届く すり替えの「時」があったことに」「そしてそこに辿り着けば その時オレがした疑わしい動きにも気付き ほくそ笑む 「このバカめっ」と」「そうなればもう自分の勝ちを疑わない そりゃそうだ なんせ今自分が相手にしているのは 自分と比べたら話にならぬクズ ゴミ 劣等 低能なんだから」「優秀な自分の「気づき」に敗れるなんて思わない」「驕る 驕るさっ‥‥!! 優秀だから‥‥‥‥‥‥!」「ここまでクズを寄せ付けず‥‥勝ち続けてきたんだから‥‥‥‥‥‥!」"(『賭博黙示録カイジ』)

 

"〈利根川敗れるっ‥‥!〉〈優秀であるがゆえの合理と驕りを衝かれ 敗れる‥‥‥!〉〈劣性の意地‥‥ 「奴隷」の捨て身の前にっ‥‥!〉"(『賭博黙示録カイジ』)

 

 この過信という敗因を、福本伸行はすでに『銀と金』のポーカー編で名言によって表している。

 

"彼の敗因は傲慢……… 彼には自分の都合 ジャックしか見えない……… その下の真実(♡9)を見通す力がない……!"(『銀と金』)

 

 青崎有吾が『地雷グリコ』の「坊主衰弱」で、『銀と金』のポーカー編のシチュエーションを、トリックは安易にもかかわらず借用したことも分かろうというものだ。

 本来は読切りだった表題作「地雷グリコ」も、この「合理と傲り」を敗因にしている。

 ギャンブル漫画は連載のため、「合理と傲り」以外に敗因となるさまざまな性格の偏りを設定する。だが、やはり物語としては「合理と傲り」がもっとも完成されている。

 

 無限後退的な推論という理論上の仮定は、主として理論経済学者のビンモアによる。行動経済学者のセイラーは、ビンモアによる理論化を批判している。

 セイラーはフィナンシャル・タイムズ誌上で、0-100の数字で、応募者の回答の平均の2/3を当てるゲームを開催した。無限後退的な推論が働くなら、回答は全員が1になるはずだ(ゲーム理論の用語で言う「逐次均衡」)。だが、最多の回答は33、次位が22だった。正答は18.91で、優勝は13の回答の応募者だった。つまり、推論の高次化は平均で2次ということになる。

 『嘘喰い』も敵側=読者の高次化した推論に対し、主人公側=作者が3次の推論を行っている。そして、読者に騙される快感を与えている。ラビリンス編なら、「貘が上着をすり替える」から「天真がそれを見抜く」から「貘は天真がそう見抜くことを見抜いていて、上着のすり替えは盗聴器を仕こむためだった」。エア・ポーカー編なら、「貘はエアタンクの圧力計を偽装していた」から「ラロがそれを見抜く」から「貘はラロがそう見抜くことを見抜いていて、圧力計の偽装を偽装していた」だ。

 

 さらに、無限の先読みで顕著なところは、ルールそのものに関わるところだ。

 

 第1はゲームの目的だ。『エンバンメイズ』の第1話である「神谷戦」では、烏丸の目的がゲームにおける勝利ではなく、ゲームそのものを利用して神谷を病死させることだったと明らかになる。『嘘喰い』の卓上「ラビリンス」では、貘がゲームに負けることで、雪井出に死の宣告を譲渡する。こうした主人公の「真意」は、勝利条件というゲームのルールそのものを変えるものだ。

 

 第2はゲームの判定だ。まず、ルールに関する文理解釈の問題だ。『嘘喰い』の「ラビリンス」で、実際には重要でなかったが、貘は「賭郎の衣服に指一本たりとも触れてはならない」という文言に注目させる。解釈は裁量の余地があるため、とくに文理解釈を問題にすると、ゲームの本質から離れたものになりかねないだろう。

 それより「ラビリンス」で重要なのは、審判の中立性を覆したことだ。審判とは、第三者としてルールに強制力を与えるもののことだ。貘は賭郎をも騙し、盗聴器を仕こむ。騙された黒服と、監督責任のある門倉の中立性が不明確なものになるため、ラビリンス編の終盤では、第三者としてときどきヒゲの黒服に焦点が当たる。

 『地雷グリコ』の「自由律ジャンケン」は発想もさることながら、ルールの確認のために1ラウンドを費やしたという合理性で、ルールの文理解釈の更改を冴えたものにしている。

 

 第3はゲームの道具だ。『賭博黙示録カイジ』の「限定ジャンケン」での「X」の問題。映画『ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ』での「リンゴ」の改造、『嘘喰い』の「マキャベリストゲーム」での「Mカード」のICチップの破壊がそうだ。ゲームの道具は解釈によってルール上の役割が与えられている。そのため、ゲームの道具も本質的には判定の問題だ。だが、解釈における裁量の余地が狭いため、ゲームの道具の偽造は説得力がある。

 

 ここで、審判について一言しておいたほうがいいだろう。『銀と金』や『賭博黙示録カイジ』の「Eカード」では、不特定多数の聴衆がいることによる。この機能はゲーム理論ではメタ=ルールとして「評判」と言われる。

 審判が制度化、すなわち外在的なルールと化しているときは、そのゲームにおける目的が問われることになる。

 ギャンブル漫画の里程標である『賭博黙示録カイジ』の「限定ジャンケン」は、債務を少数の債務者に再分配するという目的で、審判の中立性とルールに関する強制力を保証している。

 同時に、主題として、そうした制度は一時的なものでしかないことも語られている。

 

"「お前たちは皆大きく見誤っている この世の実体が見えていない」「まるで3歳か4歳の幼児のように この世を自分中心 求めれば周りが右往左往して世話を焼いてくれる そんなふうにまだ考えてやがるんだ 臆面もなく!」「甘えを捨てろ お前らの甘え その最たるは 今口々にがなりたてた その質問だ 質問すれば答えが返ってくるのが当たり前か? なぜそんなふうに考える? 馬鹿が! とんでもない誤解だ」「世間というものはとどのつまり 肝心なことは何一つ答えたりしない 住専問題における大蔵省銀行 薬害問題における厚生省 連中は何か肝心なことに答えてきたか? 答えちゃいないだろうが!」「これは企業だから省庁だからってことじゃなく 個人でもそうなのだ」「大人は質問に答えたりしない それが基本だ お前たちはその基本をはきちがえている 今朽ち果てて こんな船にいるのだ」「無論中には答える大人もいる しかしそれは答える側にとって都合の良い内容だからそうしてるのであって そんなものを信用するってことは つまりのせられているってことだ」"(『賭博黙示録カイジ』)

 

 冴えているのは、あくまで仮説だったが、『ライアーゲーム』における「事務局」の目的だ。「ライアーゲームの実態は最初に貸与される1億円を見せ金にした出資詐偽であり、勝負がおこなわれるほど利益が生じる」というものだ。勝者と敗者のゼロサムゲームだが、勝者は賞金の半額を支払うことでトーナメントから脱退し、利益を確定することができる。これにより、主催者は見せ金だけで賞金の半額を稼得することができるというものだ。主催者の目的は合理的で、しかも、公正に審判する動機がある。また、出資詐偽を阻止するにはトーナメントで優勝すればいいため、物語における主人公の動機付けとも整合している。

 

 ゲームのルールそのものの更改は、読者の予想の埒外にあるために、きわめて大きな驚きを与える。だが、ゲームのルールそのものを変えているにもかかわらず、なぜゲームの勝利を認めることができるのだろう。それを知るためには、ゲームとルールの関係について確認する必要がある。

 

5.ルール違反はどこまで正当化されるのか - 卑怯と非道 -

 

 グァラ『制度とは何か』はルールをゲーム理論の均衡として説明する。

 制限速度60キロの道路を考えよう。ここで人々は最高時速80キロほどで運転しているとする。このとき、客観的にはルールは制限速度80キロで、60キロではない。客観的にルールが制限速度60キロになるには、交通当局が100%の割合で速度違反を取締まらなければならないだろう。

 人々が最高時速80キロほどで運転しているのは、それがゲーム理論における「均衡」だからだ。

 つまり、ルールをゲームに外在的なものと見るか、内在的なものと見るかは、視点の違いにすぎない。

 ルールをゲームに内在化すれば、次のようにいえるだろう。無限回繰返しゲームにおいて、将来の期間のすべてで賞罰を執行することの利益が、そうしないことの利益を上回っているとき、そのルールは存在するといえる。

 ルールがゲームに外在的なものとして存在しているのは、それが「複数均衡」に関するときだ。右側通行か、左側通行かは、人々が互い違いに通行すればいいだけなので、どちらでもいい。つまり、右側通行と左側通行の「複数均衡」だ。だが、それでは人々が同じ方向に道を譲りあうという、よくある状況が出来するだろう。そのため、右側通行か左側通行かを、外在的にルールとして定めなければいけない。

 なお、このとき人々が同じ方向に道を譲りあうのは、ゲーム理論における「同時手番」だからだ。「逐次手番」なら、相手がどちらかに進むのを待って、それから反対方向に進めばいい。

 

 このゲームとルールの関係を明らかにしているのが『喧嘩商売』の「高野対石橋戦」だ。

 路上で喧嘩を売ってきた石橋に対し、高野はルールとして「目突き金的の禁止」を合意させる。だが、高野は金的を狙い、石橋をダウンさせる。石橋は「目突き金的の禁止」を合意させることこそ、巧妙なゲームプレイだったと理解する。

 もっとも、ここまでルールが根本的に変化するのは、これが喧嘩という目的が単純明快で、議論の余地のないものだからだろう。

 

 『鉄鍋のジャン!』でも、ジャンがよく卑怯卑劣な手を使っている。だが、むしろより美しく見えるのは、ゲームが料理で、その目的がより美味く感じさせるという単純明快なものだからだろう。だから、ジャンがマジックマッシュルームで審査員を錯乱させる試合は、同じ卑怯卑劣な手でも、ジャンの柄ではないように見える。

 

 これがルール違反の限界を示している。つまり、ルールを変化させる限界は、ゲームが成立しなくなるときだ。

 これが『喧嘩商売』の佐藤と金田の姿勢が「卑怯」と「非道」と区別される理由だ。金田のように安易に殺人を犯していれば、喧嘩というゲームどころか、人生というゲームすら崩壊させてしまうだろう。

 

 逆に、自分がルールを遵守していようが、ゲームの目的に対し、ルールを主観的に解釈し、相手がその解釈に違反したときに「卑怯」と罵る姿勢は愚かで醜い。

 橋口を倒したときの金田は卑怯卑劣で、勝ちに執着する姿勢は幼稚にもかかわらず、むしろ高貴に見える。

 

"「橋口‥‥恥ずかしいんだよ 自分の負けた相手を持ち上げて 目の前の相手を卑しめるお前の姿勢が」「お前は俺に意地を張るほど強くない」「「すみませんでした金田さんのおっしゃる通りです」「進道塾生得意の虚勢を張ってしまいました」と言え 言え 言わなければ今 見えているほうの左目えぐり出すぞ 言え」「‥‥‥す すみません‥‥でした 金田さんのおっしゃるとおりです」"(『喧嘩商売』)

 

 よくある詭弁は、ポリティカル・サスペンス映画で悪役がよく言う「我々は君とは違うゲームをしている」だ。実際には、「部分ゲーム」を入れ子にしたゲームをプレイしている。

 『嘘喰い』の同作者の『バトゥーキ』では、主人公の一里に対し、ライバルの羚が『喧嘩商売』『喧嘩稼業』の勝ちへの執着という姿勢を継いでいる。最終回で、羚はわざと一里が戦いにくい教会で勝負し、勝利を誇る。一里はおとなしく勝利を譲る。これが実際にゲームが成立していない状況だ。

 この状況はすでに『喧嘩稼業』で語られている。

 

"「たとえば俺が金隆山に喧嘩を売るとするじゃん さわやかな笑顔で「まいったまいった君の方が強いよ」――って言われて命を懸けた決意が一瞬で終わるわけじゃん」"(『喧嘩稼業』)

 

 『バトゥーキ』については後述する。

 

 ルールの更改という観点から、トリックは「ハングマン」が、対戦相手は「ラビリンス」が、物語における盛りあがりは「業の櫓」がもっとも優れているにもかかわらず、なぜ『嘘喰い』で「エア・ポーカー」がもっとも人気があるのかがわかるだろう。

 ゲーム理論は主として共有知識と合理性から成る。共有知識はゲームのルールの知識に等しい。ゲーム理論では、原則としてプレイヤーは対称的、すなわち無差別だ。「エア・ポーカー」ではゲームのルールの解明がラウンドごとに進行する。それが、読者に作中のプレイヤーとの一体感をもたらすのだ。

 

 『ジャンケットバンク』は、主催者である銀行の目的が、顧客に殺人ショーを見せることだという説明で、ルールの更改をゲームに内部化している。そんな「株主優待券目当てでイオンの株を買う」みたいなノリで殺人ショーを見にくるなよ。

 

 ルールによる均衡はつねに最善のものとは限らない。

 なぜなら、均衡はそれ自体が「フォーカル・ポイント」となり、自己実現的なものになるからだ。そのため、ルールの強制力がなくなっても、人々はルールに従いつづける。

 

 まさに、これこそ『天』の最終章で原田が赤木に悟らされたことだ。

 

"「………なんだかよ………縛られてるよな…これっぽっちのことでも…」「は…?」「フフ… たかだか……靴を履かずに庭に下りる… この程度のことでも…縛られている……!」〈…………〉「普段はやらねぇ……! 俺は今無理してやっているだけだ………! しかしそもそも…なんでそういう事をしちゃいけないかというと 靴下が汚れないようにとか…このまま上がれば廊下が汚れるとか…その程度のことだ」「でも…そんなものこうして 払えばいいだけのことだろ…! だから……もし気分が動けば…どんどん歩けばいい……! 何の不都合もあるもんか…!」"(『天』)

 

 ベルリン国際映画祭金熊賞受賞の『エリート・スクワッド』は、ブラジルの特殊警察作戦大隊(BOPE)を題材にしている。本作における警察は、権威のない、ただの権力だ。『エリート・スクワッド』では、哲学者のフーコーの理論が空論として否定される。フーコーの『知への意志』が哲学でした貢献は、人々がルールに従うのは、ルールとして認めているからだという自己言及性を明かしたことだ。なお、『エリート・スクワッド』におけるフーコーの理解は、おそらくブラジルの哲学者であるメルキオールの『フーコー』による。

 逆に、先進国では警察の権威が権力より重要になっている。これこそ、『嘘喰い』でカールが言う「無敵のバッファロー」の寓話に他ならない。

 

"「君達の数に勝てる権力など存在しない 君達は無敵のバッファローの群れだ」「不当なものと戦いたければ戦えるじゃないか」「不動の群れ 弱気を内に守り 隊列を崩さず立ち向かえば 個体で捕食動物より遥かに強靭なバッファローは 決して食われない完全な群れとなる」"(『嘘喰い』)

 

 そして、こうした自己実現的な均衡は、合理的判断によって選択されたものではないため、かならずしも最善ではない。そうした均衡を打破する、すなわち、より良い均衡に移行させることができるのは合理的な個人だけだ。

 これが『嘘喰い』のラビリンス編の主題だ。

 

"「これは秩序なんかじゃない 卑な行為」「秩序を正とするならその正は悪を生む 悪から生まれるのが秩序ある正って奴だ」「逆に正から生まれた悪はタチが悪い それはただの卑…」「ユッキーは」「卑だ」"(『嘘喰い』)

 

 また、そうした個人の合理的な行動も、最終的には徒手空拳の暴力に行着くだろう。だから、『嘘喰い』では智力と暴力という両極が併存することになる。最後にこのことを確認しよう。

 

6.なぜゲームをするのか - 人間と超人 -

 

 最後に、合理性そのものについて確認する。

 そもそも、人間は本質的には合理的でない。

 日経・経済図書文化賞を受賞した林貴志『意思決定理論』から、人間の意思決定の過程を見よう。

 人間が合理的なら、期待値がもっとも高い行動を選択するはずだ。だが、そうはならない。期待値は以下のとおりに客観的な数値から離れていく。

 

  1. 期待効用理論:サンクトペテルブルクパラドックス

 危険(risk)は不確実性(uncertainty)ではない。危険回避的、危険中立的、危険愛好的を加味。

  1. 主観的期待効用理論:情報と知識の問題。想定不可能と客観的不可能が同値。
  2. 非加法的主観的期待効用理論

3-1. 不確実性回避:アレのパラドックス。期待効用理論は危険評価については線形性を弱めるが、確率については保持する。

3-2. 曖昧性回避:エルスバーグのパラドックス

 2階の信念、すなわち、確率の正しさについての判断はできない。不確実性回避と曖昧性回避は一体。

  1. 非定常性:歴史依存性と時間依存性。動学的整合性に関する、指数割引に対する双曲割引。追跡可能(tractable)でない。ただし、準双曲割引で近似できる。

 

期待値:

E=Σ p[i] x[i]

 

期待効用:

U=Σ p[i] u(x[i])

 

 人間が生物である以上、期待値のとおりには行動できない。そこで、期待値に効用関数を適用することになる。

 とくに危険回避性だ。線形な危険中立性に対し、凹性、すなわち劣加法性になる(u(λz+(1-λ)z)>λu(z)+(1-λ)u(z))。予想されるとおり、危険愛好性は凸性、すなわち優加法性だ。

 ここで一言すべきなのは、アカギや『嘘喰い』の貘さんは危険愛好的ではなく、危険中立的だろうということだ。凡夫は危険回避的なため、相対的に危険愛好的に見えてしまうのだ。

 『セイラー教授の行動経済学入門』は、『ウォール街のランダム・ウォーカー』を引いて、実際には投資家が危険回避的なために機会損失していることを指摘している。

 

"「死ねば助かるのに………」「……」「……おまえ……麻雀がわかるのか……?」「いや…全然…」「ただ…今 気配が死んでいた………」「背中に勝とうという強さがない ただ助かろうとしている 博打で負けの込んだ人間が最後に陥る思考回路…………」「あんたはただ怯えている」〈……あのガキ……いいたいこといいやがって〉〈しかし…奴の言うとうりだ……!〉〈この手がどうして2筒切りなんだっ!〉〈どうかしてた……! 仮にここを凌いでも こんな発想してたら決してトップはとれない。ジリ貧必至…!〉"(『アカギ』)

 

 アカギの「死ねば助かるのに…」という名言は、まさに凡夫の危険回避性を突いたものだ。

 さらに、期待効用理論はプロスペクト理論によって修正される。

 

プロスペクト値:

U=Σ π(p[i]) μ(x[i])

 

確率評価関数π(p):逆S字性

価値関数μ(x):損失回避。μ'(-x)/μ'(x)>1。期待効用理論では=1。感応度逓減。μ''(x)≤0。

さらに、参照点依存。

 

 『銀と金』の誠京麻雀編からプロスペクト理論を考えよう。

 まず、確率評価関数だ。逆S字性、すなわち参照点を転換点として凹性と凸性になる。

 蔵前は牌山が減り、森田の大三元への当たり牌を引く確率が1に近づくと、その確率を逓増的に過大評価することになる。

 次に、価値関数だ。損失回避性により、それだけで高額にもかかわらず、蔵前は銀二に3,000億円(実際には現金500億円と2,500億円相当の与党議員の借用書)もの示談金を承諾させられてしまう。

 銀二の時宜を得た交渉の巧みさがわかるというものだ。

 

 最後に、『賭博破戒録カイジ』の地下に落ちたカイジの行動から、非定常性について考えよう。

 カイジは初任給91,000ペリカのうち柿ピー1,000ペリカを買い、残りを貯金しようと考えている。

 この計画はどうなるだろう。将来における効用は当然、現在と同等ではないため、時間割引が働く。このとき、時間割引はおのおの同じ割合のため、貯蓄と消費の優先順位は変わらないはずだ。

 だが、実際にそのときになると、カイジは豪遊してしまう。それどころか、1日目の浪費のあと、翌日に貯蓄する計画を立てるものの、実際に2日目になるとまた浪費してしまう。

 

"〈豪遊‥‥っ! カイジ2日続けて豪遊‥‥っ!〉"(『賭博破戒録カイジ』)

 

 まさに、大槻の名言に他ならない。

 

"「明日からがんばるんじゃない‥‥‥‥」「今日‥‥‥‥今日だけ(・・)がんばるんだっ‥‥‥‥‥‥!」「今日をがんばった者‥‥‥‥‥今日をがんばり始めた者にのみ‥‥‥明日が来るんだよ‥‥‥!」"(『賭博破戒録カイジ』)

 

 つまり、こうした時間割引は誤っていることになる。

 これは実際には時間割引が非線形のためだ。線形である指数関数的な時間割引の代わりに、双曲関数的な時間割引が提案されている。

 

指数割引:U[t] = e^[-δ[t]] u(t)

 

準双曲割引:U[t] = u(c[t]) + βΣ[T=1] δ^[T-t] u(c[t])

β=δで定常性は保たれ、β=1で指数割引になる。

 

洗練:

u(c[t]) / u(c[t+1]) = βδ(1+r)

s[t] = e[t] - (c[t+1]-e[t+1]) / (1+r)

(消費c、貯蓄s、所得e、利子率r)

β=1なら不要。

 

 双曲割引はエインズリー『Picoeconomics』、その入門書である『誘惑される意志』が提唱する。これは単純に「U[t] = u(t) / (1+t)」だが、準双曲割引として割引因子を含むものにできる。定式化の歴史とは前後するが、もちろん、代数学における線形性、幾何学における合同という条件を課している指数割引のほうが特殊だ。

 こうして準双曲割引により、将来の自分の浪費も予測できるようになる。これを使い、現在の自分の判断を、将来の自分に強制することもできる。

 これこそ、カイジたち45組がしたことに他ならない。

 45組は組合をつくり、基金を設立。そこに貯蓄し、強制的に消費できないようにしたのだ。

 

 これを行動経済学では「素朴な(ナイーブ)」意思決定に対し、「洗練された(ソフィスティケーテッド)」意思決定と言う。

 たとえば、上式を使えば、そのときどきに浪費癖が強まることを見越したうえで、貯蓄すべき金額を求めることができる。

 大槻がしていることがこれだ。大槻はほどほどに優柔不断で(効用関数が線形でなく)、また享楽的(時間因子が≒1ではない)だが、己を知るために丁度いい頃合いで1日外出を楽しむことができる。

 

 さらに、人間は論理的な思考もできない。

 歴史的名著のカーネマン『ファスト&スロー』は、人間は連言的な推理ができないことを示す。

 いくつかの前提から、「リンダ」が銀行員か、銀行員でフェミニストのどちらの可能性が高いか尋ねると、多数は後者だと答える。だが、論理的には前者の可能性のほうが高い。

 また、人間は選言的な推理もできない。大学生に、進級試験の合否発表の前後で旅行を提案すると、不明の時点では1/3しか受けなかったにもかかわらず、合格者は1/2、不合格は1/2超が受けた。つまり、場合分けして思考できないのだ。

 

 また、数理的な思考もできない。

 一般的に、合理的判断とはベイズ推定することだ。

 ふたたび『ファスト&スロー』から引くと、人間はベイズ推定における事前確率について判断できない。

 タクシー台数がA社85%、B社15%の町で事故。目撃者はB社と証言。信憑性は80%。多数は証言の信憑性を事実どおりだと答える。だが、実際には41%だ。「統計的基準率」を「因果的基準率」に変え、表現を事故に占める割合がA社85%、B社15%に変えると間違わない。

 また、代替仮説の事後確率についても判断できない。これが、よく言われるモンティ・ホール問題だ。

 

 この人間の合理性の限界について、『モラル・トライブズ』は「2次以上の因果関係について推測する能力を獲得しなかったため」と仮説を述べている。2次以上の因果関係は多すぎ、処理能力の負担が大きすぎるからだ。このため、人間の本能的な行動計画は直線的だ。

 まさに『ジャンケットバンク』の迷言にして名言のとおりだ。

 

"「どうだ ルールが全然ピンと来ねえだろ!!!」"(『ジャンケットバンク』)

 

 そして、人間の基礎的な能力が低いことで、『嘘喰い』の貘、切間創一、カラカル、天真、捨隈、ラロといった「超人」たちの勝負が魅力的なものになる。

 誤解してはならないのは、こうした合理性の能力は、箕輪のミオスタチン異常やジョンリョの眼筋といった、遺伝的な才能ではないことだ。

 

 経済学者のハーバート・サイモンは『システムの科学』で、限られた能力による人間の合理性を「限定合理性」として理論化している。

 人間の合理性はおおむね作業記憶と直列的な情報処理能力による。

 短期記憶はミラー『The Magical Number Seven, Plus or Minus Two』が、数列で7項前後だと明らかにしている。

 ところが、人間は訓練すれば100桁まで記憶できるようになる。これは複数の数字をリストにすることによる。

 また、長期記憶も同じだ。チェスのアマチュアは駒の配置を4-5個しか記憶できない一方、マスター、グランドマスターは20-25個を完全に記憶できる。ところが、棋譜でなく無作為な配置だと、4-5個しか記憶できない。これは、長期記憶の検索もリストを利用していることによる。

 合理性の能力の差はこうして生じる。

 

 サイモンは1個の「チャンク(リスト)」の長期記憶に約8秒かかることから、能力の獲得には1.5万時間、10年ほどかかると結論づけている。なお、サイド『才能の科学』はこの仮説を裏付け、才能は時間投資に依存し、いわゆる天才が存在しないことを例証している。

 真経津さんはちがう。あの体力は遺伝性でなければ説明できない。

 

 全米ジュニアチェス大会王者、世界チェス大会ジュニア部門ベスト4のジョシュ・ウェイツキンは、なぜか太極拳の世界大会王者に輝いている。

 『嘘喰い』を連載しながら、なぜかボクシングの大会に出場していた迫稔雄のようなものだ。

 ウェイツキンは著書『習得への情熱』で「僕が得意なのはチェスでも太極拳でもない。習得の技法なのだ」と語る。

 やはり、ウェイツキンも『習得への情熱』でサイモンの理論を支持する。

 『バトゥーキ』の主題は青春でも、家族でも、裏社会の抗争でも、異種格闘技戦でもない。カポエイラの啓蒙だ。『バトゥーキ』の構成は、ギャングや半グレが関わっているだけで、ほぼ進研ゼミの広告マンガだ。というより、進研ゼミの広告マンガにギャングや半グレが登場すれば、およそ『バトゥーキ』と同じ作風になる。

 だから、『バトゥーキ』の主題は総合格闘技との対決で「カポエイラは最強の格闘技ではない。ただし、格闘技に留まらない魅力がある」という結論が出たときに、およそ決着している。

 ただし、羚というキャラクターを通じ、スタミナが続けばカポエイラは最強の格闘技でありうるとも示唆している。羚の多血症は箕輪のミオスタチン異常に匹敵する発見だ。『喧嘩稼業』でも、相撲が最強の格闘技でありうるために、ミオスタチン異常を使用している。

 

 このとおり、論理的思考と数理的思考の能力は、合理性について本質的ではない。

 クイズやナゾトキについてエリート主義だと言う人々がいる。だが、私たちは将棋の名人に劣等感を覚えたりはしない。自分たちと関係がないからだ。クイズやナゾトキについて差別されているという人々は、それらの課題を解けないからではなく、解けるから不満を感じている。だから、そうした人々の自分たちも課題を解けるようにすべきだという主張は、ただ意味がない。

 合理性とは、合理的に行動する方法を知っていることだろう。つまり合理性は、合理性の能力を得る方法を知っていることも含む。もっとも、ギャンブル漫画のゲームくらいなら、合理性の能力は紙と鉛筆があれば足りる。

 

"「分かった ちょっと待て」「俺が今 表にして計算してやる」"(『嘘喰い』)

 

 マクレイ『フォン・ノイマンの生涯』には次のような逸話が書かれている。20キロ離れた2台の自転車が時速10キロで直線上を走っている。この2台がすれ違うまでに、時速15キロで飛ぶハエはそのあいだを往復で何キロ飛ぶか。これはひっかけ問題で、すれ違うまでに1時間なのだから、答えは15キロだ。この問題にノイマンはしばらく考え、「15キロ」と答えた。答えを知っていたのかと尋ねられると、「無限級数の和を計算するだけだろう」と答えたという。

 ギャンブル漫画の読者にとって魅力的なのは、ノイマンの計算能力よりも、ひっかけ問題に気づく発想力のほうだろう。ちなみに『フォン・ノイマンの生涯』によると、ノイマンはめちゃくちゃギャンブルが弱かったらしい。

 『嘘喰い』の「業の櫓」編の誤爆した人主は、合理性の能力について、暗算ではなく紙と鉛筆を使った場合だ。

 これがクソ漫画の「頭の良い」ことの描写が頭の悪いことの理由だ。どのように能力を使えば課題を解決できるかについて、無能なのだ。

 なお、計算能力については、須田良規井田ヒロト東大を出たけれど』がゲームの強さとして魅力的に描いている。

 

 『嘘喰い』が画期的だったのは、そうした構想力を描いたうえで、合理性の能力を描いたことだ。

 しかも、そうした合理性そのものを主題にしている。

 『嘘喰い』の登場人物はおおむね智力と暴力に役割が分かれている。そこにおいてカラカルは、ウェイツキンや迫稔雄のように、智力と暴力の両方を極めている。だが、そうした習得への情熱は超人願望とも接している。

 「業の櫓」編でカラカルは超人になることに失敗し、敗北する。

 

"〈1万メートル…? 見誤ったか… ……私は存在出来なかった…… たかがこの3百メートル程度の塔にさえ…〉"(『嘘喰い』)

 

 超人思想と神秘体験の場としての旅客機と、主舞台である東京タワーが結実した名場面だ。カラカルが賭郎勝負をせずに退場したことは惜しいが、その価値はある。

 一方、捨隈は合理的思考の能力を極めつつ、危険回避性を限界まで高めた人物だ。それでは意味がないということが、カラカルの敗北と並ぶ「業の櫓」編の主題だ。

 「業の櫓」編の長大化もやむを得ないところだろう。

 

 じつのところ、現実におけるギャンブルの強さは、ただ合理性を徹底することだ。

 既述したとおり、『セイラー教授の行動経済学入門』によると、個人投資家は証券市場で危険回避性のために損失を被っている。

 また、同書は競馬についても分析する。競馬はオッズ比が実際の確率から離れているため、長期的には稼得することができる。とくに大きいのが大穴バイアスで、不合理に大穴馬券を買う人々がいる。セイラーの「人々は勝つために競馬をするのではない。なぜなら、競馬ファンの仲間同士で競馬場に行っても、グループで賭けないからだ」という指摘は爆笑だ。

 名著のテトロック『専門家の政治予測』は合理的思考の能力についての研究だ。本書は予測の能力を1. 経験に対する信念の客観性 2. 信念の論理性 の2つで定義している。

 本書はバロン『Thinking and Deciding』を引き、気象学者とプロのブリッジプレイヤー、ポーカープレイヤーの判断は完全に確率どおりになっていることを挙げる。また、ポーカーの世界大会のタイトル保持者であるアニー・デュークは、『確率思考』で、判断をただ確率に近づける方法を説く。

 だが、こうした強さはギャンブル漫画の題材にならないだろう。くり返しになるが、『東大を出たけれど』は例外的にこうした強さの魅力を描いている。

 

 経済学における合理性は一般に効用最大化のことだ。だが、サイモンはそれが現実的でないことを指摘する。

 買物するとき、予算制約線のもとで効用最大化する品物の組合せを選ぶことは組合せ最適化問題だ。これはNP完全な問題で、計算時間が指数関数的増加を上回る。当然、そんな計算をしているはずがない。実際には、ただ「要求水準」を上回る選択をしている。サイモンはこれを「最大化」に対し「満足化」と理論化する。

 ゲーム理論についても、プレイヤーと選択肢の数が増えるほど、同じ問題が発生することはわかるだろう。

 この「要求水準」は「歴史依存的」だ。

 クライン『決断の法則』は意思決定の研究だ。本書によれば、チェスでさえ判断は論理的思考ではなく記憶との照合による。チェスのマスターに1手5秒の早指しを課しても判断は悪化せず、思考を口に出させても、最適な判断は最初の発想だ。

 効用最大化は積分可能でなければできないため、非経路依存性を前提としている。

 

 さらに、効用最大化をおこなっても、数学的には開区間や半開区間でなければならない。

 でなければ、サンクトペテルブルクパラドックスが生じる。コイン投げで表が連続で出た回数が賞金となる賭けで、それに値する賭金は無限に発散する。

 また逆に、クロムウェルの差止め規則の問題も生じる。コインが不正なものでないと100%の確率で仮定すれば、裏が何回連続で出ても、公正である確率は0%に収束しない。

 

 つまり、完全な合理性は時間中立的であることを必要とする。さらにそれは、非物質的であることと接している。

 それが切間創一の「超俗」と「天命」の意味だ。

 『嘘喰い』で智力と暴力の両方で最高位にいるのは、おそらく切間創一だ。少なくとも、切間撻器はそうだったようだ。だから、しばしば切間創一は「超個体」として賭郎と自身を同一視している。

 サイモンは「機能」を「目的の達成における主体と環境との関係」と定義する。逆にいえば、「機能」の限界は主体と環境の区別による。覚醒したとき、切間創一はこの限界を超越する。

 

"「私にとって完璧とは 己に根差す機能を自由自在に操ることである」"(『嘘喰い』)

 

 超俗的な哲学者であるパーフィットは『理由と人格』で、人間が時間依存的なことを論証する。逆に、人間が時間中立的なのは、その対象が他人でかつ死人のときだけだ。

 ここから、パーフィットは無私になることを推奨する。"その変化がわれわれの感情にもたらす影響は、人によって違うかもしれない。(中略)私は真理が解放と慰藉をもたらすと感ずる。おかげで私は自分自身の未来や死について関心を持つ程度が小さくなり、他の人々について関心を持つ程度が大きくなる。私は関心のこの拡大を歓迎する。"。

 言うまでもなく、時間中立的であることは、すべての歴史について知っていることを要求する。

 

 期待値と期待効用の区別は、古典であるナイト『リスク、不確実性、利潤』の影響が大きい。

 本書によれば、リスク、すなわち危険と不確実性は異なる。すでに知られている危険は問題ではない。なぜなら、統計学的に、保険によって無効化することができるからだ。だから、逆説的ではあるが、真の問題は、その問題がまだ知られていないことを前提とする。

 利子は生産性の差と耐忍のために、あらかじめ定められたものだ。それに対し、利潤は不確実性を引きうけることで発生する。そうするものが経営者だということだ。

 なお、『専門家の政治予測』は原理的に予測が不可能な4つの場合を挙げている。1. 経路依存性(タイプライターの配列) 2. 複雑性(リンカーンの護衛、フェルディナント大公の運転手) 3. 戦略的相互依存状況 4. ブラックスワン理論

 『リスク、不確実性、利潤』のいう企業家あるいは経営者は、人間そのもののことだろう。

 これが『銀と金』の名言「死人の考え」の意味だ。

 

"「そう!」「それ庶民の夢っすよ! 五十億の金利ったら仮に年六%で えーと……‥一億で月五〇万」「どへー月二五〇〇万……‥! ひーっ」「ぼうず……」「それは死人の考えや………」"(『銀と金』)

 

 人間の生は記憶を得て、不確実性を減らしていくことだ。だが、生には限りがある。そのことを受けいれられず、ただ合理性の能力を肥大させていたのが蔵前や鷲巣だ。

 逆に、そうした生の意味がなく永らえても仕方がない。それが、死ぬまで自分自身でいつづけるために、赤木が生前葬をおこなった理由だ。

 

 「ハンカチ落とし」で切間創一は記憶の欠如のために敗北する。

 超俗であることとは時間から独立していることだ。切間創一の敗因が記憶という歴史に関するものだったことは、超俗そのものの否定という意味があったのだろう。

 

 切間創一が勝利したのは「コインの幅寄せゲーム」だ。ここで、蜂名直器こと切間創一は時間を超越している。

 つまり、ここで切間創一はギャンブルそのものを超越している。

 

"「君にギャンブルは向いてない …… …いや」「…… 僕は今まで 見た事がない ギャンブルに向いてる人間など」"(『嘘喰い』)

 

 合理性について、ここまで目的は不問にしてきた。

 だが、「機能」を「目的の達成における主体と環境の関係」と定義するなら、逆に主体と環境の相互作用を機能として、そこに事後的に目的を想定しているともいえる。擬人法的な考えといわれるものだ。

 エルスター『酸っぱい葡萄』は目的についての判断も含む、合理性の定義を提唱する。とくに問題となるのが「適応的選好形成」だ。なお、「選好」は効用最大化の効用と数学的に同値で、同じ意味だ。

 限られた可能性しかないとき、人々が環境や能力に合わせて欲求を縮小させるというものだ。このとき、本人は満足していても、客観的には不合理だ。身近なところでは悪趣味だ。高尚な文化を利用できてなお悪趣味なら、それが自由なものだといえるが、実際には、不自由で、ただ低俗な文化しか利用できないために悪趣味なことが多い。

 このnote記事(『ヤン・エルスター『酸っぱい葡萄』要約』)は、『酸っぱい葡萄』における選好の変化をちいかわで例解している。

 適応的な選好が問題なのは、非定常的な選好が問題なのと同じく、計画的な行動ができなくなるからだ。

 セン『不平等の再検討』と、経済開発に携わる哲学者のヌスバウムの『女性と人間開発』は「適応的選好形成」の概念を採用している。ただし、ヌスバウムは自由の獲得も相対的な価値しかないことを注意している。ここでは『理由と人格』の「鳥のように飛びたいという願望も合理的だ」という主張が挙げられている。

 余談だが、ヌスバウムはこのために独立した「基本的善」の基準が必要だと説く。『嘘喰い』の「ファラリスの雄牛」編における、梶と郁斗や滑骨との思想対決はまさにこれだろう。

 

 既述のとおり、福本伸行のギャンブル漫画の主人公は自負心をもつ。『賭博黙示録カイジ』の兵藤はこれを揺さぶる。

 

"「そんなもの破ればよかろうっ‥‥‥!」「え‥‥?」「反故反故っ‥‥!」「カイジくんが黙っていれば誰にもわからない‥‥‥‥そんな口約束守る義務なしっ‥‥‥‥‥!」「バ‥‥バカを言うなっ‥‥‥!」「ククク‥‥‥」「と言うより‥‥‥‥‥カイジくんもそうするに決まっているっ‥‥‥! 今は一種の興奮状態だから‥‥‥‥‥‥‥ヒロイックな気分で払うとかなんとか言っているが‥‥‥‥‥‥な〜〜に‥‥‥‥」「普通の暮らしに戻れば‥‥瞬く間に普通の感覚に戻り‥‥‥‥普通に裏切るっ‥‥!」「それが人間‥‥」"(『賭博黙示録カイジ』)

 

 重要なのは、こうした不合理性に対し、兵藤は自身を合理的だと考えているだろうことだ。兵藤は利己主義と合理性を極めているため、ギャンブルという「部分ゲーム」のルールを破ることに、なんらの葛藤もない。

 

"「見ての通りだ‥‥‥‥‥‥」「え‥‥‥‥?」「見ての通り‥‥‥‥‥‥折れた足をいじられると彼は痛いが‥‥‥‥‥」「わしは痛まない‥‥!」"(『賭博黙示録カイジ』)

 

"「わしはその冷酷 必然を認め 常に自らに言い聞かせておる ところが‥‥‥‥世の中にはそれではいかん 助けなければなどと‥‥言い出す輩もおって‥‥‥わしは実に‥‥‥こういう連中が嫌いでの‥‥もし本気でそう思っておるのなら さっさと金を送ればいいのだ グズグズ言わずに‥‥‥」「ビシビシ送るべしっ‥‥‥!」「が‥‥‥‥なぜか奴らはそれをせんのだ そっちに話が及ぶと 突然ほおっかむり 曖昧な逃げ口上に徹する わしは‥‥‥そういうクズにもならぬようにも戒めておる つまり‥‥‥‥わしは生涯人を助けぬ‥‥‥と そう‥‥ハッキリ決めておる‥‥‥‥!」"(『賭博黙示録カイジ』)

 

 『モラル・トライブズ』はこの兵藤の合理性を逆用し、倫理的であるなら、ただちに国際募金に寄付しなければならないことを説く。

 だが、こうした合理性は現実的ではないだろう。兵藤もまた蔵前や鷲巣の同類だ。

 倫理にしても、私たちが価値を感じるのは『賭博破戒録カイジ』の「優しいおじさん」のような、普通の人間の普通の善行のはずだ。

 

 さて、私たちは結論に達したようだ。

 ところで、『バトゥーキ』は最終章でB・Jがビゾウロと対決する。これは『エアマスター』の「深道クエスト」を物語の中心に構成したものと見ていい。「深道クエスト」が印象的なのは、ただ脇役が活躍しているからではなく、深道という、読者と同じ視点のキャラクターがラスボスと対戦するからだ。読者と同じ視点をもつこととは、作中で完全な合理性が達成されていることに他ならない。

 B・Jの無感情と合理性という主題は『嘘喰い』の捨隈と通底している。そして既述したとおり、羚に継承されている。

 その一方で、最終章での、一里とアルナとペドロ、アグリと一里、ギラとレグバという3組の家族の物語はきわめて感動的だ。この主題は家族愛で、愛とは不合理なものだ。

 

 スタノヴィッチは人間の合理性について、クワインことばと対象』の「ノイラートの船」という比喩を使う。私たちは船をはじめから建造するのではなく、航海中に改造していかなければならないということだ。

 「業の櫓」編で、貘さんはまさにこの船の比喩を使う。

 人間の意味ある生は合理性を高めていくことだが、すべての生は不合理に決まった歴史によるし、将来も完全な合理性に至ることはない。

 『嘘喰い』は頑健に構成されているが、「廃ビル脱出」編から「ハングマン」編に対し、「ラビリンス」編から「業の櫓」編、これに対し「プロトポロス」編から「ハンカチ落とし」編は、明らかに新たに構想している。

 『嘘喰い』という作品そのものが「ノイラートの船」なのだ。

 

○付録 ギャンブル漫画の主人公の戦略

 

 ここまで経済学の概念を利用してきた。

 ロス『経済理論と認知科学』は、ミロウスキー『Machine Dreams』の経済学の分類に解釈を与える。ミロウスキーの分類法は、経済学とは問題解決方法の発見だというものだ。そして、それぞれの方法の代表的な論者を挙げる。

 ロスはそこに"経済学の哲学的基礎付け"を与える。

 要するにタイプ別キャラクター診断だ。これをギャンブル漫画に利用しよう。

 

  1. ケネス・ジャッド:計量経済学:徳倫理学
  2. アラン・ルイス(Alain Lewis) :新古典派経済学功利主義論理実証主義
  3. ハーバート・サイモン:実験経済学:記号論
  4. ダニエル・デネット行動経済学:物理主義
  5. ジョン・フォン・ノイマンゲーム理論:機能主義

 

  1. クソ漫画の主人公
  2. 桃喰リリカ(カワイイ電卓)、御手洗暉(キモイ電卓)(※このタイプがギャンブル漫画で主人公になることはない)
  3. 伊藤カイジ、早乙女芽亜里
  4. 斑目貘、赤木しげる
  5. 秋山深一、切間創一

 

○必勝法と逆転劇一覧

 

○『銀と金

 

○「ポーカー」

・ルール:-

イカサマ:カウンターテーブルを通した透視。

・展開:

 透視の逆用。

 敵が♠J♥9から♠Jを捨てたことを透視。かつ、すり替え防止で捨札にタバコの葉を乗せる。すり替えのための停電が起きる。だが、持札には♠Jがあった。

 敵は2枚目の♠Jの存在を告発。しかし、2枚目の♠Jは、ゲームの盤外である捨札に仕込まれていた…

(備考:手汗の伏線)

 

○『賭博黙示録カイジ

 

○「Eカード」

・ルール:X1枚とY4枚、Z1枚とY4枚の2組を使用。XはYに、YはZに、ZはXに勝つ。交互に1枚ずつ出して開示。決着がつくまで続ける。3戦ごとに役を交代。Zの役での勝利は配当率が5倍。全12戦。

イカサマ:嘘発見器

・展開:

 第1戦:有利なXの役。1枚目にXを出し勝利。

 第2戦:1枚目にXを出し勝利。

 第3戦:保守的になる。敵が読心術を示唆。3枚目にXを出し敗北。

 

 第4戦:不利なZの役。賭けも落とす。2枚目にZを出し敗北。

 第5戦:あえて先出しの2枚目にZを出し敗北。

 第6戦:賭けを上げる。意図的に2枚目にZを出すが、その思考を嘲笑され敗北。

 

 第7戦:決定的な敗北で戦意喪失。5枚目にXを出し敗北。

 第8戦:あえて1枚目にXを出し敗北。

 第9戦:2枚目にXを出し、思いがけず勝利。敵の反応からイカサマに気づく。

 

 第10戦:敗北。嘘発見器イカサマを看破。

 第11戦:賭けを聴力から命に変え、乾坤一擲の勝負。イカサマを逆用、勝利。

 第12戦:初の実力勝負。読み合いで勝利。

 

○『賭博破戒録カイジ

 

○「チンチロ」

・ルール:-

イカサマ:456サイ

・展開:

 イカサマを暴露。特製のサイコロを使う合意を得る。常識外の全面1のサイコロを使用。

 

○『賭ケグルイ双

 

 河本ほむら原作の漫画は読むほど頭が悪くなる。そのため、『賭ケグルイ』のスピンオフとして『賭ケグルイ双』が連載開始したとき、まともな頭脳戦が展開されていることに、ファンたちは「河本先生、なにか悪いものでも食べたんじゃないだろうか…」と心配した。

 

○「スリーヒットダイス」

・ルール:サイコロの1-3、4-5の出目をU、Dとして、さきに3連続のパターンを当てたほうの勝利。

イカサマ:回答用紙のすり替え

・展開:条件付き確率のため、パターンの頻度に差がある。DUU、DDU、UDD、UUDが最頻。

 しかも、パターンを特定すれば、また頻度に差が生じる。回答用紙のすり替えで後出し。

 除光液で回答を偽装して逆転。

 

○「魔法のダイスゲーム」

・ルール:334488,115599,226677の3種類のサイコロを使用。出目が大きいほうの勝利。

イカサマ:-

・展開:平均値は同じだが、条件付き期待値で後攻が有利。胴元として荒稼ぎするが、マーチンゲール法で賭場荒らしされる。

 

○「カップリングギャンブル」

・ルール:グループ間でマッチング。マッチングの成否が勝敗になる。

イカサマ:発表順の順送り

・展開:連続でマッチングが成立。情報漏洩が疑われる。

 実際には、裏切り者はマッチングの提案を1つ前に順送りして提出。相手は発表後に諾否を決めることができていた。

 

○『ライアーゲーム

 

○「少数決」

・ルール:少数派の勝ち残り。1人か2人になった時点で決着。

イカサマ:-

・展開:参加者は22人。

 8人でチームを組み、つねに同数で分かれる必勝法を取る。

 だが、じつは黒幕が同じ必勝法で3組を組織していた。

 他の組と内通して逆転。

 

○「リストラゲーム」

・ルール:複数回、1人5票で最下位を決める不人気投票。

 ゲーム中は自由な売買が可能。売買契約は審判が履行させる。

イカサマ:-

・展開:参加者は9人。

 黒幕が孤立させるように誘導。一方、たがいに全票数を投票する必勝法を提案。他の7人が結託しても、得票数は5票のはず。

 だが、黒幕は10票を得票していた。付則のルールを利用し、取引を売買していた。

 他の7人と秘密裏に同時に取引。1抜けし、自分の票を最下位候補に売る。最終回に近づくほど価格は高騰。

 

○「密輸ゲーム」

・ルール:2チームで対戦。各回、代表者が0-1億円を密輸。他方の代表者が密輸額を提示。上回っていれば没収。下回っていれば密輸。密輸額が0円のときは、提示額の半額を支払う。

 密輸額の合計が多いチームの勝利。

イカサマ:内通

・展開:代表者の個人責任。つまり、チーム戦である以上に個人戦。そのため、誰も密輸しないし検査しないはず。

 だが、敵チームは連続で1億円を密輸。ついに自チームのひとりが1億円の密輸を看破。

 提示額は5000万円か1億円だろうと推測し、5001万円を密輸するが、看破される。

 敵チームのひとりと自チームのひとりが内通していた。

 敵チームの残りと内通して逆転。

 

○「エデンの園ゲーム」

・ルール:

 X、Y、Zのいずれかに投票。

 Zが無投票なら、XとYで多数派に賞金、少数派に罰金。引分けは無効。全員同票なら、全員に罰金。

 原則として、Zに罰金、その他に賞金。Zで全員同票なら、全員に賞金。

 Zが1人のみの場合、高額の罰金。Z以外が1人のみの場合、賞金とボーナス。

イカサマ:押印と投票用紙の偽造。

 

・展開:全13回戦。参加者は11人。

 

・序盤

 1回戦:2人が裏切り。Zの投票はなくなる。

 2回戦:フクナガが6人で多数派工作。多数派工作をされれば、多数派のみ賞金か、全員罰金か。アキヤマが多数派の投票を看破し、全員罰金。

 3回戦:同前。

 4回戦:アキヤマがXに投票すると宣言。多数派が裏切り、X7票、Y4票に。

 

・中盤

 5回戦:仕切り直し。再度2人が裏切り。

 6回戦:X1票、Y10票。Zのアイテムにメッセージを残していた。メッセージに気づいた参加者は未投票でスタンプのみ置いた。マヌケが見つかる。

 7回戦:全員のスタンプを1人が預かる戦略を取る。だが、X1票、Z10票。天才的な裏切り者はこの展開を予測、あらかじめスタンプを使用していた。

 8回戦:X4票、Y6票、Z1票。Zはアキヤマ。裏切り者がスタンプの戦略を逆用した。アキヤマは退場。

 9回戦:裏切り者が名乗る。裏切り者はナオかもう1人のスタンプでZに投票したと宣言。

 結果はX6票、Y3票、Z1票。だが、Zは裏切り者のものだった。スタンプを逆用し、裏切り者を陥れた真の裏切り者がいた。裏切り者の宣言はそのための防衛策だった。

 

・終盤

 10回戦:アキヤマが復帰。アキヤマはXのアイテムを焼却。結果はY2票、Z9票。

 11回戦:X10票、Y1票。Xのアイテムをあらかじめ隠していた。

 12回戦:Y10票、Z1票。Zは真の裏切り者のもの。計票は電子回路による。これを利用し、アイテムを偽装した。

 6回戦で、スタンプを逆用できたのは投票順から3人のみ。9回戦で裏切り者に先手番を取られた1人を除外。さらに今回、真の裏切り者の代理投票のみしないことで、真の裏切り者を特定。

 13回戦:Z11票。

・備考:囚人のジレンマとその対策、囚人のジレンマ入れ子化と、囚人のジレンマを使い倒した傑作。

 

○『ジャンケットバンク

 

○「ウラギリスズメ」

・ルール:一方がXとYのどちらか選び、もう一方が当てる。ただし、賭金はXで2倍、Yで1/2倍になる。

イカサマ:通し

・展開:イカサマを看破。敵を動揺させ、定石(Yの選択)を外させる。

 

○「気分屋ルーシー」

・ルール:2人のプレイヤーが箱の5面の5箇所から1箇所ずつ指定。交互に当てる。

イカサマ:偏光性の塗料

・展開:イカサマが看破される。しかも、同じ箇所を指定したと挑発される。実際、その通りになる。

 箱そのものの交換を疑う。

 相手は全箇所を指定していた。最終面のみ正常に指定。

・備考:『嘘喰い』の「ラビリンス」の換骨奪胎。

 

○「ライフ・イズ・オークショニア」

・ルール:全4ターン。1-4の4枚の競売札を使用。2枚以上、同種の競売札が使用された場合は無効。2回先取で勝利。

 落札価格が累計16点を超えると失格。

 2対2。3ラウンドの先勝で勝利。

イカサマ:-

・展開:罰は電気。

 1勝1敗1分で第4ラウンド第1ターン。4,2/1,1で落札。一方、累計15点に達し、死の淵に立つ。

 絶体絶命の状況下で思考。

 第2ターン。3,3/4,3で死を回避。一方、敵に落札させ、累計13点に追いやる。

 第3ターン。残る競売札は[1,2],[1,4]/[2,3],[2,4]。すでに敵は3で落札できない。相方が4で阻止することも不確実。しかも、第3ターンと第4ターンは同値。

 2,1/2,2で勝利。第1ターンの時点でここまでの推移を予測していたことになる。

 

 主導権を確保。しかし、勝利を確定させず、第11ラウンドまで延長させる。

 第2ターン。残る競売札[2,3],[1,4]/[2,3],[1,4]で累計点15,11/13,14。1人を除き、全員が詰みに。逆上させ、警察の介入を示唆させて粛清させしめる(ゲーム開始前の伏線)。勝負を超えた勝利。

・備考:オークションなら真実表明入札が支配戦略になる。よって、問題はバッティング。

 とくに、この2対2のルールでは、4,3と3,4の順番に提出すればかならず引分け以上になる。そのため、むしろ主目的は敵に16点以上を取らせるという殺し合いだろう。顔のいい成人男性を椅子に拘束して電気拷問するだけだと、殺人ショーとはまた別のいかがわしいショーになるし。

 村雨さんが獅子神に4から降順に提示するように指示したのは、既述のとおり、落札についての必勝法ではある。村雨さんだけで戦うつもりだったのだろう。

 個人的に、獅子神さんには読心術に開眼しないでほしい…

 

○「サウンド・オブ・サイレンス」

・ルール:3つのアイテムに0、2、3ポイントが設定。交互にアイテムを配置、選択し、さきに累計10ポイントに達したほうの敗北。

 アイテムはレコード。ラウンドごとにペナルティの音響兵器で拷問。

イカサマ:-

・展開:レコードのジャケットを交換して攻防。

 レコードは外装で、電子回路が本体。すでに3枚のレコードとも電子回路を交換したと宣言。

 敵は電子回路を探すが、見せた電子回路は無関係のもの。

 本来、音響兵器は耐えられるものではなかった。敵は1度のペナルティで昏倒。

・備考:『嘘喰い』の「マキャベリストゲーム」の換骨奪胎。

 真経津さんの脳筋ゴリラ戦法の第1段。

 

○「ジャックポット・ジニー」

・ルール:X4枚、Y1枚、Z1枚の6枚のカードを使用。Xはポイントを4倍に増加。Yは相手のポイントの1/2を奪取。Zは相手がYのときのみ、相手のポイントの9/10を奪取。YとZは引分けのときは無効。

 3ラウンド。

 ポイントは金貨。敗者は累計ポイントの金貨で生埋めになる。

イカサマ:-

・展開:決着後もポイントの清算が終わるまで監禁が続く。そのため大勝で衰弱死。

・備考:『エンバンメイズ』の神山戦の類例。

 

○「アンハッピー・ホーリーグレイル

・ルール:1個のαと2個のβ、1個のAと2個のBをそれぞれ配置。βのとき、Aはマイナス1ポイント、Bは2ポイント。αのとき、Aは2ポイント、Bはマイナス1ポイント。

 前半で各々1個を選択、αβ側の得点になる。後半で役割を交換、各々残る2個から1個を選択、AB側の得点になる。

 さきに10ポイントに達したほうの敗北。

 アイテムは毒。

イカサマ:-

・展開:ゲームを楽しもうと称して解毒剤であるAを飲ませ、反則負けさせる。平静を装っていただけで、実際は解毒剤の薬効は乏しかった。

・備考:2種類の毒はアルカロイド系のアコニチンとテトロドトキシンをモデルにしているのだろうが、具体名を伏せて、かえって状況が曖昧になっている。しかも、のちに毒に関するルールは茶番だったという補足説明をしている。

 真経津さんの脳筋ゴリラ戦法の第2段。

 

○「ブルー・テンパランス」

・ルール:3枚のカードが1ポイント、10ポイント、ラウンド数の2倍のポイントを表す。一方は各カードの正負を決めて配置。ただし、すべて同じ正負にはできない。もう一方が、自分か相手を指定して選択。

 相手との大差をつければ勝利。

 ポイント差は気圧の加減圧で、2ラウンドごとに執行。

イカサマ:-

・展開:秘密のルールが存在していた。100ポイント差をつけると敗北。

 秘密のルールに注意を逸らし、急激な減圧をさせて逆転勝利。

・備考:気圧による拷問は『特捜部Q』からの着想か。

 真経津さんの脳筋ゴリラ戦法の第3段。

 

○『嘘喰い

 

○「セブンポーカー」

・ルール:テキサスホールデムイカサマに対する厳罰。

イカサマ:ジュースカード

・展開:敵がジュースカードで透視。すり替えを看破。イカサマを告発しようとする。

 だが、すり替えたカードは扇状の持ちかたのために見えていた部分のみ。ただの切れはしだった(伏線あり)。その意味は、敵がフォールドしなければジュースカードのイカサマを告発するということ。脅迫で勝つ。

 

○「ラビリンス」

・ルール:6×6のマスに2点の「入口」と「出口」、20本の「壁」を設定。2人のプレイヤーがそれぞれ「壁」に当たるまで解く。

イカサマ:転写

・展開:消しゴムで油性マジックペンの転写を防ぐ。かつ、紙の裏に油性マジックペンで描き、偽の「壁」を転写させる。

 シャープペンを使用させないように没収する、あらかじめシャープペンで描いていた用紙を提出させないように1度破棄させる、シャープペンの消しゴムの破片を使用、と攻防。

 

○「ニム」

・ルール:ニム

イカサマ:-

・展開:ビルの全3階にそれぞれ設けたスイッチでニム。ニムには2進法を使用した必勝法がある。1階のスイッチを単純に全押しすることを狙った不意打ち。

 遠隔操作の後攻に対し、スイッチを物理的に連動させて勝つ。

 

○「ファラリスの雄牛」

・ルール:体内時計ゲーム。誤差の秒数は蓄積し、最下位のものへの罰になる。最上位のものが罰を執行するか、もう1巡するか選択する。

 決着には関係しないが、即時に罰を執行できるピタリ賞がある。

イカサマ:モスキート音

・展開:拍子計でイカサマをしていることを察知。ペースメーカーだと推測し、レーザーポインターを照射。だが、無為に終わる。

 次いで、席替えを要求。それも無為に終わるかと思われたが、じつは、すでにイカサマの正体を看破していた。モスキート音を発するスピーカーに鏡を立てかけ、その震動をレーザーポインターの反射で見ていた。

 "(ある意味では郁斗にこれほど似合わない言葉もないが)(違うんだよ)(この場にいる誰より郁斗にはある優れた能力(ちから)がある)"というトリックが見事。

 

○「マキャベリストゲーム」

・ルール:6枚のマスをコマが順次、移動する。6人のプレイヤーは10票ずつ投票権を所有。第1位と第2位の投票数の差だけコマが移動する。最上位が同数の場合は不動。自分のマス目にコマが2回止まると敗退。

イカサマ:-

・展開:

 ①-⑥のマス(原作ではA-F)。まず①が見せしめで敗退。コマは②に。②者は買収工作。次いでコマは⑤に。

 ②者は安全策で5票の投票を図るが、投票権の売買の誤情報で6票を投じ、自滅。

 次いでコマは③に。③者の敗退が他の全員の勝利条件。談合で、まず残数7票同士の協力が提案。次いで、全員の残数が16票を超えるため、全員で協力。投票用のカードを開示し、全員で1票ずつ投票。

 ルールには穴があった。カードを使用しなければ、自動的に1票の投票が計上される。そうしてカードを秘蔵。が、それも誤解。投票権はカードのICチップで管理されていた。

 一方、③者は全員のカードのICチップを破壊。所持数を0票にする。放置されていた①者のカードで逆転。ゲーム開始時点、すでに①者のカードを奪っていた。そのために自動的な投票もされなかった。

 

○「ハングマン」

・ルール:ババ抜き。

 ババに1-5の数字が割当てられ、合計失点が11に達すると敗北。ただし、作中では3敗してはならないというだけの役割。

イカサマ:人工視覚

・展開:

 まず2敗。

 その後、まず1勝。敵が運任せにするが、また1勝。

 "「何が起こっているんだ!?」"の驚異の展開。

 ババであるハングマンのカードを引いたはずが、それは落書きした「8」だった。種明かし。人工視覚でギャンブルの実況中継をそのまま窃視。実況中継は監視カメラの8台を順番に切替えていること、その周期を確認。つまり、故障中の1台で盲目になる周期を。

 実力で、すなわち運任せで勝負していれば、まだ勝目があったととどめを刺す。

 

○「実物大ラビリンス」

・ルール:6×6の迷路を解く。進んだマスの総計だけポイントが蓄積。プレイヤー同士が同じマス目で遭遇したとき、ポイントを消費、上回るほうが実力行使の権利を得る。

イカサマ:色聴

・展開:

 迷路の法則は左折か右折のみというものだった。敵は色聴で他のプレイヤーの進行状況を把握。

 迷路上には罠のマス目があった。敵のイカサマを看破(開始地点が角部屋でないことを見抜いた、「み…」の失言。なお、イカサマの本質は超聴覚で、共感覚かは重要ではない)。救助に来た審判の動きで、自分の動きを偽装。

 さらに、そもそも審判に盗聴器を仕掛けていた(ゲーム開始以前の伏線)。

 

○「業の櫓」

・ルール:数当て。それぞれ1-10のうちの1つを選択。合計数を申告。挑戦の機会は3回。ただし賞罰を受けることで、勝敗と無関係に挑戦できる。このとき申告した数は公開される。また、論理的に不可能な数は申告できない。

イカサマ:-

・展開:

 予備の1ラウンドでそれぞれ11、10を申告。

 本番の1ターンで敵は8を申告。敵は実力行使で殺しにかかる。

 予備の2ラウンドではそれぞれ12、14を申告。

 本番の1ターンで13を申告。

 予備の3ラウンドでも13を申告。ここまでの全情報で自分の数は6か7の2択に狭まる。敵は15を申告。

 本番の2ターンで敵は16を申告。確実な推測のはずだったが失敗。じつは、敵の8の申告はブラフ。直接的に勝敗を決める挑戦で、論理的に不可能な数を申告するはずがない。そのルールの間隙を利用。

 だが、ブラフは看破されていた。敵の殺意は偽装(スーツのボタンを閉じなおさなかった。殺そうとして、そのじつ、警察の狙撃手からかばった)。13の申告はブラフだった。

 15か16の2択を外したときに疑問を持つべきだったと心理分析。さらに、自分の数が9か10という状況で、あらためて2択を提示。みずから9の証拠まで見せるが、敵は自滅。

 

○「エア・ポーカー」

・ルール:5回戦。プレイヤー2人。各カード5枚、チップ25枚。

 カードには6-65までの任意の数字。ラウンド数と同じ参加料を支払わなければならない。カードを選択、開示後、ベット。特殊なペナルティ。

 チップは約5分のエアタンク。水中で行い、10秒以上、離席すると敗北。

イカサマ:通し、圧力計の偽装(※どちらも主人公側)

・展開

 第1回戦:手札は各々25,26,36,39,45/8,15,44,47,63。

 36/15を提出。勝敗の法則を知るためにフォールドはできない。一方、参加料の総数15点を超える敗北はできない。最終的に8点をベット。15が勝利。

 第2回戦:39/8を提出。エアタンクをすべて放出し、無呼吸で15点を総賭け。39が勝利。

 勝敗の法則が解明される。カードの数は、トランプの所定のデッキから作られる、最善の役の数字の合計数。

 敵に法則を伝え、思考で酸素の消費を促す。

 第3回戦:残るカードは25,26,45/44,47,63。25,45は5の倍数で、準最強のカードのストレートフラッシュ。47は最強のカードのロイヤルストレートフラッシュ。

 45/47を提出。持点は29/16点。5点をベット。参加料以下の9点差にはならないはずが、特殊なペナルティ。条件は、役で同じカードを使ったときの敗北。ペナルティはベットと同点の減点。

 第4回戦:残るカードは25,26/44,63。持点は17/19点。

 敵がエアタンクの圧力計の偽装に気づく。

 26/63を提出。敵は8点にレイズし、フォールドする。

 第5回戦:25/44を提出。第4回戦の時点でストレートフラッシュは作れなくなっているはずが、協力者が拷問のペナルティを受忍し、意図的に敗北していた。通し(テーブルを叩く伏線)でも暗号を使用していた。逆転勝利。

 酸素切れを待つ敵に、圧力計の偽装が偽装だったと示してトドメ。

 

○「ハンカチ落とし」

・ルール:1分間に先攻、後攻がある時点を選択。差が後攻の罰になる。ただし、後攻の選択のほうが早かったときは、1分が罰になる。また、そのとき罰が執行される。先攻と後攻は交互に交代する。執行された罰、または未執行の罰が合計5分を超えると敗北。

イカサマ:閏秒(※主人公側)

・展開:

 

・第1回戦表:罰は臨死。先攻の貘は失敗、いきなり臨死。

 裏:貘が切間創一の正面に立つ奇策。蓄積24秒。

・第2回戦表:貘は蓄積25秒。

 裏:切間創一は開始5秒で失敗。臨死1分24秒。

・第3回戦表:貘は冴えて蓄積4秒。

 裏:切間創一は1分の安全策で蓄積36秒。

・第4回戦表:貘は蓄積3秒。

 裏:貘は0秒。切間創一は保険的な34秒でそのまま蓄積。

・第5回戦表:貘は開始1秒で成功。あえて臨死することで蓄積の最大容量を増やすという逆転劇。さらに、蘇生の保証がないという再度の逆転劇。

 裏:貘は0秒。切間創一は開始15秒で成功、そのまま蓄積。

・第6回戦表:貘は失敗、臨死1分33秒。

 裏:切間創一は覚醒して蓄積8秒。

・第7回戦表:切間創一は0秒。貘は安全策の1分でそのまま蓄積。

 裏:切間創一がエコロケーションイカサマを使用。開始前にハンカチを置く逆転劇。それにもかかわらず開始0秒で成功。

・第8回戦表:切間創一は5秒。貘は安全策の1分で蓄積55秒。次の臨死で死亡することが確定。

 裏:切間創一は失敗、あえて臨死する秘策を使用。臨死2分34秒。

・第9回戦表:切間創一は0秒。貘は安全策の1分でそのまま蓄積。

 裏:切間創一は勝利が確定したため、1分の安全策。閏秒の大逆転。

 

○「コインの幅寄せゲーム」

・ルール:2枚のコインを10マスと5マスの2列の両端を設置。どちらかのコインを動かしてゆき、両方とも詰められたほうの敗北。

 動かすことのできるマス目の数はコーヒーフレッシュのロットナンバーで決定。ロットナンバーが2桁のときは、どちらかの数字を選択。どちらもマス目の数を上回るときは1の扱い。

・展開:初戦で秒殺。

 再戦を頼み、条件として自分も賭けることに。さらに、マス目の数はコーヒーフレッシュの抽選で決めることに。抽選器代わりにコーヒーフレッシュの山を渡される。賭金はロットナンバーの合計。

 コーヒーフレッシュで先攻後攻を決める。72、66で後攻に。

 途中、ロットナンバーの法則を知るためと称して、コーヒーフレッシュを買収。3百万円を始まりに散財。ついに5千万円を放出。それは敵の裏金1億円だった。敵は高飛びを決意、残る5千万円の回収を図る。

 賭金をロットナンバーの和から積に変更。

 使用されたロットナンバーは(5,12)(2,11)(1,13)(15,20)。

 コインの幅寄せゲームは2列で間隔を等しくするという必勝法があった。そのため先攻が必勝。敵はコーヒーフレッシュを配分するときに仕込みをしていた。

 残る21でも勝てるが、5千万円のために先攻後攻の決定で使った72を拾う。

 だが、72はひそかに開封。6に重ねられていた…

 敵の残るコーヒーフレッシュは(39,43,63)。自分が配分した相手の山は(3,8,33,38)。あっさり8を引かれて大手詰み。

 そもそもコーヒーフレッシュの使用は誘導されていたという驚異の展開。"「あの時 既に君のメンタルは僕の管理下にあった」"。

 テーブルにあった18個のコーヒーフレッシュ、(1,2,3,5,8,11,12,13,15,20,21,33,38,39,43,63,66,72)は仕込まれていた。敵の自由意志は初戦と、そのときにコーヒーフレッシュで先攻後攻を決めようとしたところまで。

 21で妥協していれば勝てていたとトドメ。

 "「君にギャンブルは向いてない …… …いや」「…… 僕は今まで 見た事がない ギャンブルに向いてる人間など」"

 

 備考:所与のコーヒーフレッシュは(1,11,12,21,13,15,2,20,72,3,33,43,63,38,39,5,66,8)。

 城道の考えとしては、最大の数と5を含む数を確保。5以下を含まない数は除外。

 (1,15,21,2,72,43,63,5,39)を確保、(11,12,13,20,3,33,38,66,8)を分与。

 だが、蜂名はあらかじめ城道に6を引かせ、必勝法に則する立場を逆転させることを決めていた。たまたま手近にあった72を基準にして、それ以下の数だけで組を構成。5を含む数と、5以下を含まず、かつ、7もしくは8を含む数を仕込んでおく、という手順だったと思われる。

 ギャンブル漫画史上の金字塔。

 

○参照

 

・「囚人のジレンマ」実験

 

・独裁者ゲームのメタ分析。分配率0%が36%、50%が17%。20%以上分配したのは55%。:Engel『Dictator Games』

 

・『セイラー教授の行動経済学入門』第2章「協調戦略」から

 

・公共財ゲーム。出資率は40-60%。ゲームの経験、人数、金額に無関係。:Marwell, Ames『Economists Free Ride, Does Anyone Else?』

・複数回繰返し。53%から2、3回で急減。6回から16%で低止まり。1ラウンド初回48%、2ラウンド初回44%で、セットを改めると回復する。よって「学習」にはよらない。:Isaac, et『Public Goods Provision in an Experimental Environment』

・回数を通知しても影響はない。:Kreps, et『Rational Cooperation in Finitely Repeated Prisoners' Dilemmas』

 

・協調行動ゲーム。7人中3-5人拠出で全員にボーナス。拠出率51%。ペナルティをなくすと58%、ボーナスをなくすと87%に。

 討議を設けると成功率100%に。「約束」をする。:Dawes, et『Organizing Groups for Collective Action』

・討議なしで拠出率30%、ありで70%。ボーナスが他のグループに支給される場合は、討議ありでも30%以下。

 全員一致でなければ「約束」は無効。犠牲者の合意、合意者の人数は無関係。:van de Kragt, et『The Minimal Contributing Set as a Solution to Public Goods Problems』

 

・『セイラー教授の行動経済学入門』第3章「最終提案ゲーム」から

 

最後通牒ゲーム。最多は等分。:Güth, et『An Experimental Analysis of Ultimatum Bargaining』

 等分が76%。利己主義には74%が罰。:Kahneman, et『Fairness as a Constraint on

Profit Seeking』『Fairness and the Assumptions of Economics』

・2ラウンド、割引率25%。2ラウンド目で最多は25%弱。:Binmore, et『Testing Noncooperative Bargaining Theory』…指示で誘導していた。

・割引率が10-90%で影響なし。:Güth, et『Ultimatum Bargaining for a Shrinking Cake』

・多段階に。2ラウンドなら理論値、3ラウンドなら等分、5ラウンドなら2ラウンド目における理論値に。:Neelin, et『A Further Test of Bargaining Theory』

・つまり、理論値にはならない。:Ochs, Roth『An Experimental Study of Sequential Bargaining』

 

・12ドルか、14ドルの分配か。最多は14ドルの等分。ただし、「分配者を指名した」と告げると強欲になる。指名の方法がゲームの勝敗か、コイン投げかは無関係。:Hoffman, et『Entitlements, Rights and Fairness』

 

・『モラル・トライブズ』から

 

・「囚人のジレンマ」実験、公共財ゲームでは、決断に時間をかけさせるほど協力率は下がる。慎重な思考の利益について考えさせると下がり、直感的思考の利益について考えさせると上がる。:Rand,et『Spontaneous Giving and Calculated Greed』

最後通牒ゲームの分配率は、西欧で平均44%。20%を下回ると50%が拒否。パプアニューギニアのアウ族は平均50%超で、高すぎる提案も拒否。パラグアイアチェ族、インドネシアのラメララ族は平均50%、最低のペルーのマチゲンカ族は平均25%で、拒否は25人中1人のみ。:

 独裁者ゲームの分配率は、アメリカの大学生は50%か0%。ボリビアのチマネ族は平均値、中央値とも32%。

 公共財ゲームの出資率は、西欧は平均40-60%、大半が100%か0%。ボリビアのチマネ族はほとんどが約50%。マチゲンカ族は平均22%、100%は0人。

 1.協力への報酬 2.市場への統合 という2因子の影響が2/3。性別、年齢、富は影響しない。

:Henrich,et『In Search of Homo Economics』『Costly Punishment across Human Societies』『Markets, Religion, Community Size, and the Evolution of Fairness and Punishment』

・大都市における公共財ゲームの分配率は、アテネ、リヤド、イスタンブールは平均25%。協力者への「反社会的処罰」が多い。ボストン、コペンハーゲン、ザンクトガレンは平均75%超。この2者では繰返しゲームの影響なし。ソウルでは協力率が上昇。

 この結果は世界価値観調査とも一致。:Herrman, Thoni『Antisocial Punishment across Societies』、Elingen, Herrman『Civic Capital in Two Cultures』

 

・「囚人のジレンマ」実験を「ウォール街ゲーム」、「共同体ゲーム」と呼ぶと協力率が変わる。:Liberman,et『The Name of the Game』

 

・レベルk思考

 

・Camerer,et『A Cognitive Hierarchy Model of Games』

・Thaler『From Homo Economicus to Homo Sapiens』、Nagel『Unraveling in Guessing Games』

・情報開示ゲーム。1-5の数字について、受信者は「数字-予想」、発信者は「5-予想」を没収される。唯一の逐次均衡は1のみ確率100%で非開示。だが平均1.7。2でも58%が非開示。:Jin,et『Is No News (Perceived As) Bad News?』

 

・『モラル・トライブズ

 

・人間は数量的な判断ができない。「汚染された2つの河川の浄化費用」の質問を、「20の河川」に変えても回答は同じ。Baron, Greene『Determinants of Insensitivity to Quality in Valuation of Public Goods』

・時間を定め、熟考を促すと功利主義的回答の割合が上がる。:Suter『Time and Moral Judgement』

・間違えやすい数学の問題を解かせると、功利主義的回答の割合が上がる。:Paxton,et『Reflection and Reasoning』

・認知的負荷をかけると、功利主義的判断には時間がかかるが、非功利主義的判断は変わらない。:Greene, Morell『Cognitive Load Selectively Interferes with Utilitiatian Moral Judgement』、Tremoliere『Mortality Salience and Morality』

・直感的思考を好むひとは功利主義的回答の割合が低く、慎重な思考を好むひとは功利主義的回答の割合が高い。:Bartels『Principled Moral Sentiment and the Flexibility of Moral Judgment and Decision Making』

・認知制御能力が高いほど功利主義的回答の割合が上がる。:Moore,et『Who Shalt not Kill?』

 

前頭前野背外側部(DLPFC)…認知制御を司る。ストループ課題(赤で書かれた「青」の文字を判読する等)で機能する。前頭前野腹内側部(VMPFC)…情動反応を司る。:Greene, Sommerville『An fMRI Investigation of Emotional Engagement in Moral Judgement』

・前頭側頭型認知症(FTD)患者は、健常者とアルツハイマー患者の20%に対し、60%が功利主義的な回答をする。:Mendez, Anderson『An Investigation of Moral Judgement in Frontotemporak dementia』

前頭前野内側部に損傷のある患者は、功利主義的回答の割合が約5倍。:Koenings,et『Damage to the Prefrontal Cortey Increases Utilitarian Moral Judgements』、Ciaramelli,et『Selective Deficit in Personal Moral Judgement Following Damage to Ventromedial Prefrontal Cortex』

・ストレスに過敏だと功利主義的回答の割合が下がる。:Cashman『Simulationg Muder』、Navarrete,McDonald『Virtual Morality』

 

・ユーモアに関係するポジティブな情動を誘発すると、功利主義的回答の割合が上がる。:Valdesolo,et『Manipulations of Emotional Context Shape Moral Judgement』、Strohminger,et『Divergent Effect of Different Positive Emotions on Moral Judgement』

抗鬱薬シタロプラムを投与し、扁桃体前頭前野服内側部などの情動反応性を高めると、功利主義的回答の割合が下がる。:Crocket,et『Seroronin Selectively Infuluences Moral Judgement and Behavior through Effects on Harm Aversion』

抗不安薬ロラゼパムを投与すると、功利主義的回答の割合が上がる。:Perkins『A Does of Ruthlessness』